第28話 ヨハンの生誕祭3
華はミゼンの足を踏まないように必死だった。しがみ付くように固く手を握り、錆びついた機械の様にガチガチな動きを見せる華の様子に、ミゼンは小さく笑った。
「そう緊張する必要はありませんよ。踏んでも大丈夫ですから」
「でも、骨砕いちゃうかもしれないし!」
「そうも僕にひっついては、周囲に増々妙な噂が立ちますよ?」
ミゼンの指摘に華は顔を上げた。愛嬌のある笑みを浮かべる彼の顔が近い事に驚き、「うひゃっ!」と色気の無い悲鳴を上げて、ミゼンから離れようとした華は、ぎゅっと彼の足を踏みつけた。
「おっと。なるほど、防御の魔術キャパを超えてダメージが入りました。なかなかの攻撃力ですね」
「ご、ごめんっ!」
「冗談ですよ。さあ、もっと楽しんでください。折角のパーティーなのですから」
ミゼンが妙に嬉しそうに微笑むので、華は『ホントに痛くないのかな?』と、少しホッとした。緊張が解れたせいか、先ほどのガチガチの状態から大分スムーズに踊れるようになった気がする。
ミゼンが上手くリードしてくれていることもあり、華は段々と楽しくなってきた。ミゼンと目が合う度に、彼がニコリと愛嬌のある笑顔を向けてくれるので、華もつられて笑顔になった。
「流石、驚くべき上達力ですね」
「安心して踏めるって思うと緊張しないみたい」
——ディードと練習した時は、踏む度に断末魔の悲鳴が響いてたし……。
「アオイと一緒に練習したことはないのですか? 息もぴったり合うでしょう」
「確かに! 蒼壱と練習したら緊張しなくて済んだのかも。ああ、でもきっと本番でヨハンと踊ることになったら、きっと踏み砕いてたと思う」
クスクスと笑う華の姿を、ミゼンはじっと見つめた。
「華は、アオイと仲が良い様で羨ましいです」
「どうして? ミゼン、蒼壱と仲良くなりたいの? ひょっとしてやっぱり気があったり?」
「そんなワケ無いでしょう……」
ミゼンの耳で房のついたピアスがさらりと揺れた。
「そのピアス、素敵だよね」
「……これは兄上の母、前王后陛下から頂いたものです」
「そうなの!?」
「ええ。これでも幼い頃は、私達兄弟は仲が良かったのです」
華はヨハンの幼少期を想像した。あの真面目でお堅いヨハンにも可愛い時代があったのだと思うと、その頃の彼に会ってみたいと思った。
「ヨハンの子供時代なんて想像もつかないけど、どんな感じだったの?」
「とんでもない悪戯好きの悪ガキでしたよ」
「ええ!? ヨハンが!?」
「僕も兄上について回って、一緒に悪戯をして叱られたものです」
「うそ、可愛い!!」
華が眩しい程の笑顔をミゼンに向けた。
「そっか、それならきっと、また仲良しになれるね」
——なれるはずがない。
そう言いかけて、あまりにも確信めいた笑顔を向ける華に遠慮して、ミゼンは「なれるでしょうか」と問いかけた。
「うん。なれるよ!」
ミゼンは華の笑顔に吸い込まれそうな程に見惚れた。それはまるで希望の光で自分を照らしてくれる天使の様にすら思えた。
——彼女は兄上の婚約者だ。母である王后の言いなりになって彼女を手に入れるつもりであったが、今は何よりも自身が彼女を手に入れたいという気持ちでどうにかなりそうだ。
しかし、王后はハンナではなく、聖女であるヒナを婚約者にしろと指示してきた。その方が王位継承に有利となるからだろう。この先はヒナにアプローチする行動に出ることを余儀なくされた。
「……今だけは僕の自由な時間です」
切実そうに言葉を発して、ミゼンはフト王族用の通用門でこちらを見つめるヨハンの姿を認めた。
ヨハンは眉を寄せ、華と踊るミゼンを不愉快そうに見つめ、ミゼンと目が合うと逸らした。
「ねぇ、ミゼン」
声を掛けた華を見下ろすと、彼女は少し照れたように頬を染めて笑った。
「ホントはね、ヨハンが迎えに来てくれなかったから、パーティーに参加するのが嫌だったの。でも、来て良かった。そうじゃなかったら、ダンスがこんなに楽しいだなんて一生気づかなかったもの。ミゼンのおかげだよ、ありがとう」
ミゼンはこれからヨハンが華にどんな態度を取るかを予測し、そんな風にお礼を言ってくれる彼女に申し訳なく思った。
「華。すみません、僕は……」
奏でる音楽が鳴りやんだ。ハッとしてお辞儀をし合う二人の側へとヨハンがつかつかと真っ直ぐに歩を進めた。靴音に気づいて華が振り返り、ヨハンの姿を見て僅かに笑みを浮かべた。
——ヨハン。やっと参加できたんだ。良かった。こっちに向かって来るってことは、ひょっとして私と踊るのかな? ハンナはヨハンの婚約者だから。ミゼンと練習できて良かった。ヨハンとも上手く踊れるかも……。
しかし、ヨハンはそんな華の横を素通りした。ヨハンの後ろ姿を見つめる華の前で、ヨハンが手を差し伸べてダンスに誘ったのは——。
——ヒナだった。
ヒナの隣で蒼壱が眉を寄せ、「殿下?」と言葉を発した時、ヨハンはジロリと蒼壱を冷たい眼差しで睨みつけた。
「最高の誕生日プレゼントをありがとう、アオイ」
「……え? 何の事です? 殿下、俺は何も……」
「何故私を『殿下』と……」と言いかけて、ヨハンは「いや、もういい」と首を左右に振った。
「ヒナ。私と踊ってくれぬか? 今日は私が主役のパーティーだ。私へのプレゼントだと思って」
「勿論。ヨハン様には沢山助けて貰ったもの。寧ろ恐れ多いくらいよ。でも、私でいいの? ハンナが……」
「私はそなたと踊りたい。頼む、ヒナ」
優しいヒナにとって、切実たるヨハンの様子を見て拒否する事などできるはずもない。
呆然と見つめる蒼壱の前でヒナの手を取り、ヨハンは広間の中央へと進み出た。主役の登場と聖女を称え、盛大な拍手が会場内を包み込み、音楽が奏でられる。
華はミゼンに促されて広間の隅へと寄り、二人が踊る様子を蒼壱同様呆然としながら見守っていた。
——嘘……。ヨハンルートになっちゃったってこと?
ヨハンの生誕祭で、ヒロインのヒナが最初に踊る相手がエンディングルートに大きく影響する。
僅かに顔を強張らせる華を見つめ、ミゼンは傷つく彼女の心を想って自らの心もズキリと痛みが走った。
「華、すみません。僕はこんなつもりでは……」
「よぉ、ミゼン」
必死に弁明しようとするミゼンの前に、フォルカーが遮るように割って入った。
「兄貴を傷つけて楽しいか?」
「違います! 誤解です!」
「嘘つけ。こうなるって分かっててハンナ嬢と踊ったくせに」
フォルカーの指摘にミゼンは一瞬悲し気に眉を寄せた後、ニコリといつもの愛嬌のある笑みを浮かべて見せた。
「……お見通しでしたか」
「お前の強かさには脱帽だぜ」
——ヨハンルートになっちゃったから、ミゼンはヨハンを陥れようとしてるってこと? そのために私と踊ったの?
悲しそうな目で華に見つめられ、ミゼンはふっと目を逸らした。
「興が醒めた様です。僕はこれで失礼します」
「逃げるのか?」
「どう思われ様と結構です。貴方とは気が合いそうもありませんから」
「食えねえ野郎だ」
華に向かって軽く会釈をすると、「楽しかったです」と一声かけて、ミゼンは踵を返した。去って行くミゼンの姿を見送った後、フォルカーは華を見て「あれ?」と小首を傾げた。
「なんだ、今日は嬢ちゃんなのか?」
華は真っ青な顔をしながら頷いた。フォルカーはこれはまずいと察して、華の前に立ち、ヨハンとヒナが踊る様子を視界から遮った。
「なんだよ、俺はてっきり今日も入れ替わってんのかと……」
——クソ! だったらヨハンなんか放っといてさっさと来ときゃ良かった! 俺だって嬢ちゃんと踊りてぇってのに!!
悔し気なフォルカーとは裏腹に、華は今にも泣き出しそうな顔を必死になって抑えていたので、フォルカーはギクリとした。
「じ、嬢ちゃん……?」
「だって、私踊れないし。ヒナと……アオイが……だって……」
ふえ……と、華は顔をくしゃくしゃにして泣き出したので、フォルカーが慌てて華を周囲の目から隠そうとし、持っていたグラスをわざと床へと落とした。
「おっと! すまねぇ、怪我は無いか? あ、ちょっと切っちまったか!? よし、治療しに行こう。な!?」
ひょいと華を抱き上げると、「うわ、大変だ、急がなきゃなー!」と棒読みに声を発して広間から出て行った。
バタバタと廊下を駆けて休憩室へと駆け込むと、華をソファへとそっと座らせてハンカチを差し出した。
華は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、ヒック! と泣き癖まですでについている状態で、フォルカーは困った様に頭を掻いた。
「あー……えーと、なんつーか……すまん」
とりあえず謝った後、フォルカーは華の頭を優しく撫でた。
「なあ、だいじょう……」
「ヨハンなんか大嫌いっ! うわぁああああん!!」
「ああ、そう! 嫌いだよな? あんな奴!」
「もう口利いてやんないんだからっ!!」
「そ、それは……泣くんじゃねぇか? あいつ」
「泣けばいいもん! 泣いたって赦してやんないっ!」
はぁ……と、フォルカーはため息を吐いた。
——ミゼンの野郎、いちいち面倒事を起こしやがって。なんでヨハンがヤキモチ妬く様な真似をわざわざしやがった。
と、心の中で悪態をつく。
「なあ、嬢ちゃん。それ、ヨハンが贈ったドレスじゃないよな? なんで……」
「だって、蒼壱にプレゼントしたドレスを私が着れるはずないでしょ!? 私、首にだって傷があるのに!」
「……あー」
——なるほど。そりゃ尤もだ。
「分かった。何となく状況は把握したぜ。けど、ミゼンの野郎と踊ってたのは何でだ?」
「ヨハンのバカが迎えに来てくれなかったからだもんっ! 私、一人で参加したんだよ!? ミゼンが話しかけてくれなかったら、私はぼっちだったんだからっ! どうしてそんな酷い事するの!? すっごく恥ずかしくて惨めだったんだからっ!!」
ぐすぐすと泣きじゃくる華の背を優しく撫でて、フォルカーは頷いた。
「……そりゃあ確かにヨハンが悪いな」
「待ってたんだもん……。なのに来ないから。ずっと来ないから!」
豪快に鼻水をかむと、華はポソリと「でも私、ヨハンを傷つけちゃったの? ドレス、着てなかったから。ヨハンは私の首の傷のこと、知らないし」と、呟く様に言った。どんな状況になっても相手の気持ちをフト冷静に思いやる事ができるのは、華の良いところだ。
フォルカーはそんな華が愛しく思った。
「でも、嬢ちゃんだって傷ついただろ?」
「私、頑丈だから平気」
「こんなに泣いてんのにか?」
「だって、ヨハンは男だから泣けないでしょ?」
——蒼壱も、いつも我慢して泣かなかった。ホントは泣き虫だったくせに、男だから。
「俺が泣きそうだぜ……」
「どうして?」
「さあな」
フォルカーはじっと華を見つめた。女性の恰好をしている姿をマジマジと見つめた後、少し照れた様に顔を背けた。
「かっこよく決める言葉が全く見つからねぇ」
「何が?」
「他の男の為に泣いてる嬢ちゃんを、どう口説けばいいってんだ?」
「何ソレ」
ぶっと吹き出して華が笑うと、「あんたはそういうキャラじゃないでしょ?」と、ケラケラと声を上げた。
「よし、笑ったな? 嬢ちゃんは笑ってた方がずっといいぜ?」
フォルカーはニッと笑うと、華の頭を優しく撫でた。
「大丈夫さ、ヨハンの奴には俺からちゃんとフォロー入れておくから。な?」
——フォローなんか入れたかねぇが、仕方ねぇか。
と、フォルカーはため息をついた。
フォルカーにとってヨハンは、放っておけない弟の様な存在であると同時に、大切な同盟国の王子なのだ。フォルカーがいくら華に好意を寄せたところで、ヨハンの気持ちを無碍にするわけにはいかない。
華を抱きしめて、『俺にしておけ』と言えたのならどれほどに良いかと考えながら、フォルカーはニッと笑った。
「……さて、どうすっか。会場に戻るか?」
「止めとく。ヨハンの邪魔したくないし」
華は首を左右に振って寂しげに微笑んだ。
——私、悪役令嬢だもん。いない方がいいに決まってる。誰だって聖女のヒロインと一緒に居たいもんね。
「邸宅に帰るよ。ありがとう、フォルカー。また世話を焼かせちゃったね」
「いいさ。送るぜ」
立ち上がろうとするフォルカーに、華は首を左右に振った。
「平気。あんたは会場に戻って次期女王候補でも探しなよ。私、一人で帰りたいし」
パッと立ち上がると、華はニコリと精一杯明るく笑って見せた。
「この借りはいずれ返すからね!」
「……男くせぇこと言ってんな」
「へへ。じゃあね! あ、蒼壱に伝えてくれる? 先に帰ってるって」
「おう」
華は手を振ってフォルカーと別れると、急いで廊下を駆けた。
——ごめん、蒼壱。後は宜しく。私、あの場にはどうしても居られないや。
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