第26話 ヨハンの生誕祭1

 ヨハンの生誕祭は祝い一色の華やかなムードで、飾り立てられた街並みもさることながら、ダンスパーティーが開かれる王宮内はひと際煌びやかで、訪れた貴族達の装いも花を添えるが如く鮮やかだった。


 そんな中、華は仏頂面でグビグビとレモネードを飲んでいた。

 この祝い事の主役であるヨハンから、『執務が立て込んでいて迎えに行けない』という内容の手紙が届いたのは今朝の事だった。蒼壱はヒナをエスコートして先に邸宅を出ていた為、ヨハンの迎えをドキドキしながら待っていた華にとっては泣きたくなるほどにショックだった。ヨハンの婚約者だというのに、たった一人で王宮へ向かうのは正直気が引けたが、出席を辞退するわけにもいかず、恥を忍んで向かった。


 そして今、ヤケ酒ならぬヤケレモネードを飲んでいるという具合である。


——ヨハンなんか、大嫌いっ!

 ぷっと頬を膨らませている華の前に、蒼壱にエスコートされたヒナが申し訳なさそうに赴いた。


 ヨハンから贈られたドレスは、ヒナの黒髪に似合った桜色のドレスだった。蒼壱もヒナに合わせた色で仕立てたマントを、詰襟の上に片側から掛けており、随分と洒落て見えた。華よりも背が高い蒼壱は、女性らしい顔立ちながら逞しく感じた。


——確かに我が弟ながら攻略対象としてイケてるな、蒼壱は。

 と、思わず華が関心していると、ヒナが声を発した。


「ハンナ、ごめんね。独りぼっちにさせちゃって。心細いよね?」

「へ!? ヒナのせいじゃないし!」


慌てて首を左右に振った後、「ヨハンのバカが全部悪いんだもん」とフンと鼻を鳴らした。


「華、殿下から贈られたドレス、着なかったんだね」

「……あー、うん……」


 気まずそうに頷いた後、華は二人を追いやるように「ほら、私の事は気にしないで踊ってきなよ!」と、二人の肩を叩いた。


「主役がまだ来てないからね、先にあいさつ回りにでも行って来るよ。聖女様と話したい連中が山ほどいて、周囲が騒がしくて仕方が無い」


蒼壱の言葉にヒナは首を左右に振った。


「アオイ様の英雄譚を皆聞きたいんじゃないかしら!」


 老若男女問わず、二人は大人気の様だ。華は「いってらっしゃい」と、手を振ると——私はなんか食べて来ようかな——と考えてフロアの隅に設置されてある軽食コーナーへと向かった。


 華はヨハンから贈られたドレスを一目見た瞬間、自分に贈られたものではないとすぐに分かった。あれは蒼壱に贈られたものだ。華よりもずっと清楚で可憐な蒼壱に似合う色だからだ。

——どうせ私は、ドレスなんか似合わないもの。ヨハンの目には、私なんか映ってない。いつもそう、私は女の子らしくなんかないから……。

 きっとあのドレスが似合うような清楚な女性がヨハンの好みなんだよね? 額や首に傷のある私なんか不釣り合いだもん。


 華が着ているドレスは、首元が隠れるデザインのドレスだった。蒼壱との差がなるべく分からないように露出を押え、コルセットの締め上げも殆どしていない。


——ヨハンは、もし騎士アオイにドレスを贈るとしたら、何色を選ぶのかな。


 そう考えて、それはあまりにもおかしな話だと苦笑いを浮かべた。男が男にドレスを贈るなど正気の沙汰ではない。


——贈り物のドレスを着て来なくて不敬だって叱られるかな。


「ハンナ嬢」


 サンドイッチを手に取った華に声を掛けたのは、左耳に房のついたピアスを垂らし、愛嬌のある笑みを浮かべた男だった。


「ミゼン。あんた、パーティーに参加してたんだ? 王子様がこんなところに一人で居て大丈夫なの?」


あっけらかんと言った華に、ミゼンは困った様に小さくため息をついた。


「僕が主役のパーティーでは無いのですから問題ありませんよ。それにしても、今日は性別を戻したのですね。どちらをどう呼ぶべきか悩まされます」

「ああ、じゃあ私の事は『華』って呼んで」

「『ハナ』ですか? 『ハンナ』ではなく?」

「うん」


 華は少しヤケになっていたので、後先も考えずにそう言った。ミゼンに命を助けて貰ったということもあり、すっかり気を許しているのだ。


「その、愛称のようなものでしょうか。兄上の婚約者相手に、あまり馴れ馴れしくするのは気が退けます」

「今更何言ってるの? 私とあんたの仲じゃない」


——どんな仲だろうか……。

 と、ミゼンは愛嬌のある笑顔を華に向けながら、心の中で思った。


「私、あんたの事、結構好きだよ。周りが何言ったって、仲良くしたいものはしたいもの。話してて楽だし」


華の言葉にミゼンは面食らった様に瞬きをした。


「……僕と話していてですか?」

「うん!」


 ミゼンは自身が他人に対して滅多に心を開かない性分であり、愛嬌のある笑みで上辺だけの関係性を取り繕うのに慣れていた為、華のそんな明け透けな様子に驚いた。

 第二王子という立場上、周囲にいる者は様々な思惑を胸の内に秘めて近づいて来る事が多い。両親にさえ気を許す事ができない環境下に幼少の頃から身を置いていては、自ずと他人を信用できない人間へと成長するのも仕方の無い事だった。


「怪我の具合どお? あんな酷い怪我だったんだもん、お世話係の人にびっくりされちゃったんじゃない? 痛い思いさせちゃってごめんね」


 心配そうにミゼンを見上げて話す華に、ミゼンはニコリと微笑んだ。

——兄上が彼女に心を赦す気持ちがよくわかる。


「特に何も問題無かったですよ」

「そうなの!? 私ならあんな背中見たら悲鳴上げちゃうかも」

「気にかけられた事などありませんから」

「王子様なのに?」


 きょとんとして小首を傾げた華に、ミゼンは頷いた。


「王族の付き人とはそういうものです」

「ふーん……なんか、寂しいね」

「いいえ。気楽ですよ」

「人に気にされないのが気楽なの? それはやっぱり寂しいよ」


 華の言葉がミゼンの心に深く刺さった気がした。


——もしも彼女に無視をされたり、気にかけて貰えなかったのならば。それは確かに寂しい。

 ミゼンはそう考えて、僅かに手を動かした。まるで華が逃げない様に捕まえておきたいとでも言わんばかりの自分の動きに、ミゼン自身が戸惑った。


「貴方は僕を気にかけてくれるのですか?」

「当然じゃない」

「僕を気にかけても何も得る者はありません。兄上と違い、僕は第二王子の身です。王位を継ぐ事はできないのですよ?」


少し早口でまくし立てる様な言い方をするミゼンを見つめて、華は小首を傾げた。


「ミゼン、何ムキになってるの? 友達を心配するのは当たり前じゃない。王位がどうとか、何にも関係無いことだよ」


 そう言って華はニッコリと微笑んだ。その満面の笑みが余りにも純粋で、屈託のない笑顔だったので、ミゼンは思わずドキリと心臓が高鳴った。


「私、あんたにはホントに感謝してるよ。なんたって、命の恩人だものね! 私を助けて崖から落ちたのに、それを心配しないような鬼じゃないよ。今度何かあったら私があんたを助けてあげる。約束ね!」

「……守られることではなく、守ることを望む女性は初めてです」

「あはは、女の子らしくなくてごめん!」


ミゼンは首を左右に振った。


「貴方は、この会場の誰よりも美しい女性ですよ」


 その言葉にカッと顔を赤らめて、華は狼狽えた。


 男性からそんな風に言われたのは初めてだった。

 学校の女友達から『華って美人だよね』と言われたことはあっても、そんなことは女性同士でよくあるやりとりだ。

 恥ずかしそうにしている華の様子が可愛らしく、ミゼンは小さく笑った。


「そんな言葉は聞き飽きているでしょうに」

「ううん! お、男の人からそんなこと、初めて言われたし……」

「貴方程の美人がですか? アオイと交代するのを止めてみれば、毎日聞き飽きる程浴びる言葉でしょうに」

「あ、そっか。社交辞令だもんね、誰にでも言うんだよね!? ハハハ……私ってば恥ずかしい奴……」

「普段は社交辞令ですが、今日の僕は本気でそう思ったから言ったのです」


ミゼンはエメラルドグリーンの瞳で華をじっと見つめた。


「華は、美しいですよ」


 フロア内は主役であるヨハンの登場がまだである為、ダンスパーティーの会場であるというのに踊る者の姿が見受けられなかった。


 ミゼンがすっと華に手を差し出して、ニコリと微笑んだ。愛嬌のあるいつもの笑みではなく、どこか懇願するような瞳を華に向けている。


「華、僕と踊って頂けますか?」

「あ……ミゼン、あの……ごめん……」


 困った様に顔を背けた華に、ミゼンは当然だと思った。

——彼女は兄上の婚約者なのだ。個人的なお茶会はともかく、このような公の場で自分と踊る姿を他に見せるわけにはいかないのだろう。


「すみません。調子に乗りました」


 寂しげに微笑んで差し出した手を下げようとすると、華が「違うの!」と、ミゼンの手を掴んだ。


「あの、私ね。すっごく踊るの下手なの。きっとミゼンの足を踏み砕いちゃう……」


 顔を真っ赤にして言う華の姿が余りにも可愛らしく、ミゼンはふっと笑った。


「では、防御の魔術を掛けて踊るとします。それならば良いですか?」

「それでもすっごく痛いと思うけど、いいの? それに私、ババだし……」

「ババ??」


 きょとんとした顔をしたミゼンに、華はコクリと頷いた。


「……うん、『ハズレ』ってこと。だって、皆ヒナと踊りたいはずでしょ? 聖女だし。私となんて、誰も踊りたがらないよ」


 ミゼンはフト周囲の様子へと視線を走らせた。華にダンスの申し込みをしようにも、生誕祭の主役である第一王子ヨハンが姿を現さず、また、ヨハンの婚約者である彼女に、遠慮して声を掛けられないのは当然の事だろう。


「それならば僕も『ハズレ』ですよ。皆、兄上と踊りたいでしょうから」


 ミゼンの言葉に、華はぷっと笑った。その表情が余りにも可愛らしく、ミゼンは華の手の甲に思わずキスをして、「僕がリードします」と、歩を進めた。


——うわ、ミゼンってやっぱり王子様で攻略対象なんだなぁ……。


 女性扱いされる事に不慣れな華は、何となくこそばゆい思いをしながらもミゼンのエスコートに従った。


 二人がフロアの中ほどへと足を運ぶと、待ってましたとばかりに控えていた音楽家達が音楽を奏で始めた。優雅にお辞儀をし合う華とミゼンの姿を見て、招待客達もまた我もとフロアの中ほどへと進み出て、互いのパートナーを見つめ合い、皆一斉に踊り始めた。


 蒼壱は隣に居るヒナを誘うことも忘れ、華とミゼンの様子を呆然として見つめていた。


 ——華ってば、ヨハンが見たら流石に傷つくんじゃ……? まあ、俺はあいつが嫌いだからいい気味だとは思うけど、それでもやっぱり……。


 蒼壱はできることなら二人が踊る様子をヨハンが目にすることも、耳にすること無ければいいと願った。

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