第24話 ミゼン
……パチリ……パチ、パチ……
瞳を開けると、ゆらゆらと揺れる炎が見えた。くべられた木が弾け、音を発している。華は暫く夢うつつでその炎を眺めながら、自分は今どこで何をしているのだろうかと考えた。
そうだ、確か魔物を討伐しに来て、森に入った。巨大な狼の様な魔物に遭遇して……。
——ひょっとして。私、死んでる!?
慌ててガバリと起き上がると「あっ」と、驚く声を上げた者が居た。
「気が付いたようですね?」
ニコリとミゼンが愛嬌のある笑みをうかべて見つめていた。嫌に距離が近い。フト自分の置かれている状況を見ると、ミゼンが着ていたコートを羽織って、彼の膝の上で寝かされているようだ。
「うわっ!?」
驚いて身体を弓なりにし、バランスを崩して地面に転がりそうになった華を、ミゼンが「おっと」と、抱き留めた。
「わわわわわわ私、ど、どうなっちゃったの!? まさかあんたと地獄に落ちちゃった!?」
華の言葉にミゼンは声を上げて笑うと、優しく華の髪を撫でた。流石は第二王子で攻略対象だと言うべきか、笑い方も上品で、おまけに綺麗な顔立ちだなと、華は何故か悔しく思った。
「人聞きの悪い。まだ地獄に落ちていませんよ。まあ、貴方と共に落ちるのでしたら、僕は喜んで落ちますが」
ミゼンは華の肩からずり落ちたコートを直してやると、膝から降りようとする華に対し、ポンと優しく肩を叩いてそのまま大人しくしているようにと促した。
「気候が良いとはいえ夜は冷えます。そのままじっとしてください。地べたは冷たいですから」
「何が一体どうなっちゃったの?」
「巨大な魔物の攻撃は僕の魔術でなんとか弾きましたが、貴方がその衝撃で崖から落ちてしまいましたから、助ける為に僕も一緒に落ちたのです」
ミゼンがすっと指を上へとさしながら話し、華もその先を辿って見ると、確かに断崖絶壁と言える岩肌が月明かりに照らされて不気味に聳え立って見えた。
「あんなところから落っこちちゃったの!?」
「ええ」
「魔物はどうなったの? 討伐隊の皆は!?」
「魔物は殲滅しておきましたから問題ないでしょう」
「私、どうして無事なの!?」
「僕の魔術で……ですが、少々防ぎきれませんでした」
よく見ると、ミゼンの腕や手に切り傷があり、恐らく岩肌から突き出た箇所で擦ったのだろうと見て取れた。華が無傷なのは、ミゼンが庇ってくれたからなのだと理解した。恐る恐るミゼンの背に触れようと伸ばした華の手を、ミゼンがパッと掴んだ。
「すみません、背中はかなり擦りむいてしまったので、触らないでいただけますか?」
「そんな事言ってる場合じゃないよ! 早く手当しなきゃっ!」
華はそう言うと、ミゼンの膝の上から降りてポーチから簡単な応急セットを取り出した。怪我は運動をしていれば遭遇する事もあるので、少しばかりなら手当の心得があった。
「シャツ、脱げる?」
「女性の前で服を脱げと仰るのですか?」
「そういうのいらないから早く!」
ミゼンはふっと笑うと華の指示に従ってシャツを脱いだ。想像していたよりも傷だらけの背が露わとなり、華はその痛みを想像して眉を寄せた。焚火の炎に照らされて、ミゼンの白い肌が影を落とし、その凹凸から鍛え抜かれた肉体であることが強調されている。傷が無ければ美術のデッサンモデルに最適だろうと思える程に、美しい肉体だと思った。
てきぱきとミゼンの手当をしながら、華はお礼を言った。
「助けてくれてありがと。こんな怪我までさせちゃってごめん」
「こちらこそ、治療をしていただいて有難うございます」
「折角綺麗な背中なのに」
「それは、お誉め頂き光栄ですね」
治療を終えてミゼンはシャツを着こんだが、岩肌に擦り切れて背中部分はボロキレと化していた。よく見ると、華にかけられていたコートも無残なものだった。見事な刺繍が施されていたマントは最早使い物にならず、華が寝ていた地面へと敷かれていたものの、役に立つ状態でもなかった。
「どうして助けてくれたの?」
華の言葉に、ミゼンは微笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「自分の為ですよ」
「どういう意味?」
眉を寄せた華を、突然ミゼンが押し倒した。唖然としながら自分を覗き込むミゼンの瞳を見上げると、彼はすっと唇を華へと近づけた。
——う……わ……キスされる……!? こいつ、股間蹴り飛ばしてやるっ!!
と、思ったものの『いや、でも助けて貰ったし!?』と考えて、華はどうしたらいいのか分からなくなり、身体がピシリと石の様に固まった。
身体が強張って身動きが取れなくなった華の唇とミゼンの唇が、触れ合う寸前でミゼンはピタリと止めた。
ドキドキと激しく鼓動する心臓が、口から出て来そうだ……吐きそう……と、華が思った時、ミゼンは華からすぅっと離れた。
「……今日の僕はどうかしてますね。無理やりでは意味がないというのに」
ミゼンの言った言葉の意味が理解できず困惑した華を他所に、彼はやれやれと肩を竦めた。
「乱暴を働いてしまいすみません。もう何もしませんから、怯えないでください」
「お、怯えてなんか!!」
そう言いながら、華は自分の身体が震えている事に気づいて、ぎゅっと歯を食いしばった。
——なにこれ、魔物相手に戦った私が、こんなこと程度で怖がるなんて。
「貴方を隣国ハリュンゼンに取られる訳にはいかないのです。そう思って気が焦ってしまいました」
「ハリュンゼン? フォルカーのこと? どういう意味??」
「ランセル公爵の
——何? 全然頭がおっつかない……。
むくりと起き上がって胡坐をかいて座ると、華はじっとミゼンを見つめた。華にみつめられて、ミゼンは少し怯んだ様に目を逸らした。
「……つまり、あんたはアオイ(男)が好きなの?」
「そんなワケないでしょう!? 止めてください、気味の悪いっ!」
気まずそうな様子と一変し、ミゼンが慌てて声を放つと、少し不貞腐れた様に眉を片方下げた。その表情が少し可愛いと思ってしまった自分に、華は呆れて乾いた笑いを放つ。
——ミゼンって、大嫌いなキャラだったのになぁ……。
「じゃあどうして私がハンナだって知ってて助けてくれたの? そんな怪我までしてさ。あんたのキャラじゃないんじゃない?」
小首を傾げて問いただして来る華に、ミゼンは困った様に肩を竦めてみせた。
「やれやれ、この行動には自分でも驚いているんですから、理由を問われても正直なところ答えられませんと言った方が正しいですね。今回の討伐では、できれば隊は壊滅寸前まで追い込まれてくれたら良いとさえ思っていたのですから」
「ど、どうして!?」
「貴方さえ無事でいれば良かったんです」
「でも、あんたなら余裕であんな魔物なんてやっつけられたんじゃないの?」
「僕が参加した作戦が大勝利を収めては不都合が生じますから」
「それは一体どうして?」
ミゼンの言う事は全く意味不明だ、と華は思った。
ミゼンはヨハンを引きずり下ろし、自分が王位を継承することを望んでいるのだと思っていたからだ。ゲームのミゼンルートでは、ミゼンがヒナを手に入れる為にずる賢く汚いやり口でヨハンを陥れており、華はストーリー上とはいえ、そんなミゼンが大嫌いだった。
ヨハンルートでも悪役令嬢役のハンナよりも強烈な邪魔をしてくる悪役だった為、プレイしている蒼壱の横で何度「こいつムカツク!」と言ったか知れない。
「勘違いしている様ですのでお伝えしておきますが、僕は兄上に取って代わるつもりなど毛頭ありません」
「え!?」
素っ頓狂な声を上げた華に、ミゼンは困った様に苦笑いを浮かべた。
「やはりそう疑っていたんですね」
「……うん」
そう答えて、華は自分のそもそもの考えが間違っている事に気づいた。
ミゼンルートになっていなければ、ミゼンがヨハンに取って代わる様な行動を取らないわけなのだから、現状アオイルートで進めようとしている以上、ミゼンが敵になる要素がないのだ。
アオイルートの場合、ミゼンとアオイもまた親友同士であるという設定だった為、特段ミゼンが邪魔をするような行動を取る事は無かった。アオイは攻略対象としては一番低難易度だったので、悪役令嬢のハンナが少々邪魔をするくらいで、わりとすんなりクリアできた印象だった。
「あちゃー、私、あんたのこと勝手に誤解してたかも。ごめん」
悪いと思った時は素直に謝るのが華の良いところの一つだ。ミゼンはそんな華の様子を見て「いいえ」と首を左右に振ると、華の髪を優しく撫でた。
「誤解されるのも無理は無いと思います。母上が僕を国王にしたがっているのは事実ですから。ことあるごとにハンナ嬢と共にいさせようとするので、僕もその期待に応えるしかないのですよ。母上は強引な方ですから、反抗を赦しません。アオイを傷つけさせない為にも、素直に従って頂くしかありませんでした」
つまりミゼンは、王后から蒼壱を守る為に、わざとしたくもないデートを繰り返していたのだ。
華はなんとも申し訳なくなってミゼンを見つめた。彼は自分の母親が過ちを犯す事を必死になって防いでいるのだ。
「……ひょっとして、だから自分が参加した作戦は大勝利したら困るの? あんたは王様になりたくないから、功績を残したくないってこと?」
「はい。僕には王になる気持ちはこれっぽっちもありません」
きっぱりとそう答えて微笑むミゼンを見つめ、華は瞳を輝かせた。
——これってつまり、アオイルートだと、ミゼンはただのエキストラみたいなものじゃないの!? むしろ仲間みたいなものかも!?
ミゼンルートでのストーリーを思い出してみると、確かにミゼンの言う通り本人には元々王になろうという野望が存在していなかった。ヒロインのヒナの心がただただ欲しくて、それ故に盲目的に『聖女を手に入れるには王位継承権を得なければ』と行動した結果だったのだ。
ミゼンというキャラクターも当初は愛想笑いのつかみどころがないキャラであったものが、好感度が上がっていくにつれて、類まれなる魔術の才能を持った小賢しくもヒロインへの執着が激しい男へと豹変していく。
「ヒナの事はどう思ってるの?」
「質問ばかりですね」
ミゼンは困った様に小さくため息を吐くと、華に手当をして貰った腕の傷を撫でた。その様子が嫌に色気があって、華は僅かに身を退いた。
——ヨハンはヒーローの王道なのに、ミゼンってなんか悪役っぽい色気があるんだよね。
「言ったでしょう。僕には王位を継ぐ気は無いのです。とはいえ、第二王子として国の事を思えばこそ、聖女であるヒナさんを戦場に出すには余りに時期尚早と判断して、僕が代わりに出ると進言しただけです。彼女は恐らく兄上の伴侶となる女性でしょう。ハンナさん、つまり貴方は、跡目争いの火種を潰す為、この先兄上との婚約を破棄される運命にあるのだと言う事です」
——ところがどっこい、ヒナはアオイルートだもん。
華はニマニマと笑うと「そうだね」と頷いた。
ヨハンとの婚約破棄の話に、てっきり傷つくと思っていたミゼンは、華のその様子を不思議そうに見つめた。
「……ショックじゃないんですか?」
「何が?」
「兄上との婚約が破棄されるのですよ?」
「なんで私がショックを受けるの?」
「あれ程兄上を好いていたではありませんか」
「は!? 私がいつ!? 冗談じゃない、あんな冷血王子っ!!」
華は自分でそう言って、その言葉にズキリと心が痛んだ気がして僅かに顔を顰めた。
胡坐をかいていた足を抱える様に座り、膝の上に頬をつくと、溜息を吐く。
「私、恋愛とかそういうのよくわかんない。どうせこんな男みたいな女なんて、誰も相手になんかしないもの。ハンナに入れ替わった蒼壱の方が皆から好かれてるんだから良くわかるでしょ?」
寂しげにそう言った華を覗き込む様にミゼンが見つめた。
「以前は気高く上品で女性らしいご令嬢であったハンナさんが、突然変わったのは何故ですか? 入れ替わる前なのかと思いましたが、アオイに確認したところ、二人が入れ替わったのは兄上の初出征の時からだとの事でした」
中身が入れ替わりましたと言ったところで通じないだろう、と華は困った様に笑った。
「心境の変化かな。前の方が良かった?」
「僕が何故わざわざこの作戦に参加したとお思いですか?」
「わかんない。なんで?」
「今の貴方に興味があるからです」
ミゼンの言葉に華はクスクスと笑った。
「暇なの?」
「そう見えますか?」
「うん」
ミゼンもニコリと微笑んだ。
「ではそういう事にしておきます」
そう言うと、ミゼンはすっと立ち上がった。断崖絶壁を見上げて「これは流石に登れませんね」とため息をつく。
「全く、騎士団も役立たずが多いですね。隊長を探すのにこうも時間をかけるとは」
「魔法で何とかならないの?」
「……あまりこき使わないで頂けますか? 恰好悪いので我慢していますが、背中が痛くて泣きそうなんですから」
華はブッ! と噴き出すと、ケラケラと笑いだした。
「ごめん、そうだよね。怪我人をこき使うところだった。私のせいで怪我したのに。明るくなったら
「女性を野宿させるわけにはいかないと思ったのですが」
「そんなの気にしないから平気だよ。一人きりだったら怖くて泣いてたかも知れないけどさ。ホラ、座って」
華に促されてミゼンは渋々座ると、二人は明るくなるまでその場で待つ事にした。
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