第23話 ハンナとヒナ

——絶体絶命だ。


 蒼壱はそう考えながら、目の前で幸せそうに料理を頬張るヒナを見つめて、小さくため息を洩らして俯いた。


「お料理すっごく美味しい!」


 ヒナは小さな口に次々と料理を放り込んで、美味しそうに食べている。何をしていても可愛らしいんだから反則だ、と蒼壱は思いながら、チラリとディードに視線を向けた。

 ディードは蒼壱の視線に気づき、僅かに会釈をした。


「アオ……ハンナお嬢様、ヒナ様のお部屋の準備は整えてあります」

「う……うん……」


 蒼壱は憂鬱そうに返事をした。


 ヒナがいくら聖女とはいえ、王宮に身を置くには不適切であるとランセル公爵が抗議したのだ。娘のハンナがヨハンの婚約者であり、ミゼンとも噂となっているところにヒナまで加わる事が、国にとって災いとなるとの判断だろう。

 お陰でこうして言い出しっぺのランセル公爵家で、ヒナを引き取る事になった訳なのだが、蒼壱としては邸宅までもが気を許せない場所となってしまい、想い人のヒナと過ごせる事が嬉しい反面、冷や冷やする時間が増える事に複雑な気分だった。


「ヒナ様のお部屋は西館の日当たりの良い角部屋にご用意いたしました」

「ありがとう、ディード!」


 蒼壱は感動したようにディードに答えた。ディードがヒナの為に用意した西館は、アオイの自室から中庭を挟んで回った先だ。つまり、部屋で女装を解いても安全な様にと配慮してくれたのだ。


「ハンナ。食事の後、ヒナ嬢に邸宅を案内してやってはどうだ」


 公爵の提案に蒼壱は『ディード宜しく!』と言いたい気持ちを必死に抑えて、「勿論ですわ」とにこやかに微笑みながら答えた。




「王宮の庭園にも負けないくらい広いのね!」


 邸宅の庭園でヒナがはしゃいだ様にそう言って気持ちよさそうに腕を伸ばした。

天気が良く降り注ぐ日差しの眩さよりも何倍もヒナの可愛らしさが眩しい、と蒼壱は目を逸らした。

 ヒナの言う通りランセル公爵邸の庭園は本当に見事なもので、流石は随一の富を誇る公爵家と言われるだけの事はあるなと思える程だった。

 ただ、どうしても蒼壱は咲き乱れる薔薇を見ると、ミゼンとの王宮の庭園での出来事を思い出し、顔をしかめざるを得ない。まさか入れ替わっている事を誰よりも先にミゼンに知られるとは予想外だった。更に、ミゼンの要求がハンナとデートを重ねる事で、周囲に二人の仲を見せつけるという内容であったことも予想だにしなかったことだ。

 少なくともこのゲームのヒロインであるヒナは、ミゼンルートには入っていないのだと言う事は確かだろう。

 この後は確か舞踏会イベントがあるはずだ。そこでどの攻略対象とヒナが踊るかで、ルート解放が決まる。華がアオイルートにする為に魔物討伐に出かけ、必死になって名声ポイントを稼いでくれているのだから、今はそれに甘えるしかない。


 ——それでも……。

 俺にも何かできないだろうか。ゲームの中ですら華にばかり負担をかけて、俺はなんて不甲斐のない男なんだろう……。


「ハンナ?」


 俺に出来る事はなんだろうか。役立たずの俺に一体何ができるだろうか。


「ねえ、ハンナ!」


 トン! と、肩を叩かれて、蒼壱はハッとして顔を上げた。心配そうに覗き込むヒナの顔が直ぐ目の前にあり、思わず「わっ!」と声を上げた。


「大丈夫?」

「あ……ごめんなさい。少し考え事をしてしまっておりましたの」


 慌てて取り繕いながら、蒼壱の心臓はドキドキと強く鼓動していた。


 ——落ち着け俺っ! 彼女はゲームの世界のヒナじゃないか。現実世界の妃那ひなさんとは別人なんだっ!!


「考え事? 忙しいのにつきあわせちゃってごめんね」


 すまなそうにしているヒナに、蒼壱は慌てて「そんなことありませんわ!」と声を上げた。


「……アオイの事が気になっていたのです」

「あ、そっか。ハンナの弟さん。魔物討伐に行ってるんだもんね。確かに心配よね。でも、アオイさんってすごく強いって聞いたわ。稀代の英雄になるかもしれないって、皆が口々に誉めていたもの」

「ええ。アオイの強さは分かっているつもりでも、それでも心配でなりません」

「そうだよね……」


 ヒナはため息をつくと、大きな瞳を伏せて俯いた。サラリと艶やかな黒髪が肩に零れる。


「第二王子殿下も、私の代わりに出てくれたんだものね。誰も怪我なんかしないで無事に帰って来てくれるといいけれど」

「ヒナが責任を感じる必要はございませんわ。聖女だから討伐隊に参加しろだなどと、あまりにも理不尽な命令ですもの!」


 考えてもみれば、ゲームの世界とは主人公にとってなかなかに理不尽な出来事が多い。結局の所その難関をクリアしてこそのゲーム性を楽しむ為なのだから仕方がないのだが、実際にその中に入り込んでしまった身としては受け入れがたいものがある。


「文句を言うような人が居るのでしたら、私に仰ってくださいませ! 徹底的に潰してさしあげますわ!」


 蒼壱は(わ、今の台詞、ちょっと悪役令嬢らしいじゃないか!?)と思いながら憤然として言い切ると、ヒナにニコリと微笑んで見せた。

 ヒナは大きな瞳にうるうると涙を溜めたかと思うと、パッと蒼壱に抱き着いた。


「ありがとう、ハンナ! そんな風に言ってくれるのはハンナだけよ! 私、この世界でハンナに会えて本当に良かったわ!」


 ふんわりとヒナから良い香りが漂って蒼壱の鼻を擽った。柔らかいヒナの感触と温もりが伝わり、蒼壱は思わず顔を真っ赤にした。


 ——ヒナ、おっぱいでっか……!


「あわ……あわわわ……」


 ああ、人って本当にテンパるとあわあわ言うものなんだなと思いながら、蒼壱は慌ててヒナの両肩を掴み、自分から引きはがした。


「ごめんなさい。嫌だったよね。貴族のご令嬢に私ったら」

「い……いいえ!? その、少し驚いただけですわ!」


上ずった声で答えた蒼壱に、ヒナは「ホント!?」と、瞳をキラキラと輝かせた。


「私、ハンナ大好き! お友達になれてとっても嬉しいわ!」

「ヒナ、鼻血出ちゃうからあんまり……」

「鼻血?」

「あ、いえ!? は、ハンカチ忘れちゃいましたっ!」


——何言ってんだ俺!?


「ねえ、ハンナ。お願い、今日だけでいいから一緒に寝てくれないかな? 広いお部屋で心細くって……」


 両手を合わせて懇願するヒナに、蒼壱は顔面蒼白になった。

——待て待て! それはヤバイ! いくらなんでも無理だっ! 

 と、フルフルと首を左右に振った。


「あの、私……寝相が悪くてヒナを蹴飛ばしますし、歯ぎしりとイビキと寝言が酷いので!」

「気にしないから平気よ!」


——平気じゃないってばっ!!


「そ、それに夢遊病の気があって、夜になると『悪ぃ子はいねがぁ!』って怒鳴り散らしますの! ヒナがいくらいいと言っても、そんな姿、恥ずかしくてお見せできませんわっ!」


——恥ずかしいどころの騒ぎじゃないっ!


 ヒナは残念そうに「そっかぁ……」と唇を尖らせた。


「ハンナがそんなに恥ずかしがるなら仕方ないわ。我慢する」

「ご、ごめんなさいね……」


——華に殺されそう……。

 と、蒼壱は引き攣った笑いを浮かべながらも、なんとかやり過ごせた事にホッとしたような残念なような複雑な気持ちを味わった。

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