第21話 すれ違い

『魔物討伐の緊急要請に参加』って、確かにそんなミニゲームイベントがあったなぁ……。


 華はうんざりしながら参戦する為の準備を進めた。華の額には傷を隠す為のバンダナが巻かれており、灰色の布が細い眉を隠していた。

 蒼壱の耳に入る前にさっさと出発してしまおうと考えて、急いで馬具の点検まで終える。


——蒼壱のことだから、きっと自分が行くって言いだすもん。額の傷の事も責任感じてるみたいだし、私の不注意なのに合わせる顔が無いよ。


 馬にひらりとまたがると、華は馬の首を優しく撫でた。長距離の移動はまたお尻が痛くなるだろうなと苦笑いを浮かべる。


「お手柔らかにね……」


 さあ、行くか! と、気合を入れた時、「アオイ!!」と呼び止める声が聞こえ、華は振り返った。

 金色の髪を乱し、ヨハンが叫びながら華の側へと駆けつける。嫌に慌てているヨハンの様子に、華はきょとんとして小首を傾げた。


「ヨハン、どうしたの? そんなに慌てて」

「急な出征要請があったと聞いた。私には何の報告も無かったのだ!」


 取り乱した様にそう言うヨハンの声が僅かに上ずっている。そんなに不安に思う程自分は頼りないだろうかと、華は少々困惑した。


「大丈夫! やっつけてくるから」


任せろと言わんばかりに、華はコツリと胸当てを叩いて見せ、ニッと笑った。ヨハンはチラリと王宮の門の方へと視線を向けた後、馬上の華を見上げた。


「私も行こう」


 突然のヨハンの申し出に華は「へ!?」と、思わず声を発した。


「ダメだよ! 何言ってんの!?」

「しかし! 友を戦場に向かわせておいて私だけが安全なところでのうのうとなど出来ぬ!」


——この人、自分が王子様だって自覚ないの!?


「友人なら、信用して欲しいけれどなあ」

「だが……!」

「私ってそんなに頼りない?」

「そうではないが……」


華の言葉にうつむいたヨハンを見て、華はふっと笑った。


「でも、心配してくれてありがとう。ああ、そうだ。ハンナにも伝えてくれる? 心配要らないって」


 数名の騎士がヨハンに会釈をしつつ、「ランセル卿、先に向かいます」と華に声を放ちながら馬を走らせ、正門を出て行った。緊急出征であるため準備が出来た者から出発し、現地で合流する予定なのだ。


「行かなきゃ」


手綱を握る華の手をヨハンが咄嗟に掴んだ。

——え!? 何!? まだ文句あるの!?

 と、驚いた華に、ヨハンは真剣な眼差しを向けていた。


「……ヨハン?」

「必ず無事で戻るのだぞ? 怪我などしたら、承知せぬからな。逃げても構わぬ。自分を大事に思って欲しい」

「や、逃げるとかできないけど……」

「私はそなたが一番大事だ!」


 華はカッと顔を赤らめてヨハンから顔を背けた。

——こいつ、アオイには本当に優しいんだから。腹立つなぁ……。


「……仰せの通りに」


 ぼそりと華が言うと、ヨハンが馬から一歩離れた。華は馬の腹を蹴り、ヨハンに大きく手を振ると正門から出て行った。

 その背を見送りながら、ヨハンはぎゅっと拳を握りしめた。


 緊急出征の連絡がヨハンに無かったのは、誰の策略だろうかと考える。そもそも初出征の日、第一王子であるヨハンが指揮を執ることになったのも異例だった。普段はどんな不条理にも顔色も変えずそつなくこなすヨハンだったが、今回の報告が無かった件については怒りが込み上げる自分を不思議に思った。


 恐らく親友が巻き込まれた事が腹立たしいのだ。自身に降りかかる火の粉は払えても、その払った火の粉がアオイに跳ねるのであれば、払わずに火傷を負った方がずっと楽だ。


 王宮に戻ろうと振り返った時、ヨハンはゾクリとして足を止めた。


 そこはまるで、ヨハンの失墜しっついを今か今かと待ちわびる魑魅魍魎ちみもうりょう達が渦巻く場所の様に感じたからだ。彼らは時として刃を放ち、ヨハンの希望の光を打ち壊す。


「……アオイ。よもやわが身は戦場の方が安全なのやもしれぬ」


 ポツリとヨハンが呟いた時、馬のいななく声が聞こえた。見ると、ミゼンが馬具を装着した馬に跨り、ヨハンの方へと向かってきた。

 群青色の詰襟の上には瑠璃るり色の長いコートを羽織り、見事な刺繍の施されたマントを背には垂らしていた。


「兄上。こんなところで如何なさいましたか?」

「……いや、そなたこそ。仰々しい出で立ちで何処へ行くというのだ?」


ミゼンは笑顔をすぅっと引くと、馬上からヨハンを見下ろした。


「自国を護りにです」

「何?」


思わず聞き返したヨハンから、ミゼンは無表情のまま視線を外した。

 いつもの愛嬌のある笑顔とはまるで別人の様だ。


「ミゼン!!」


王宮から蒼壱がドレスの裾を掴んで駆けて来た。側に立つヨハンに目もくれず、ミゼンの乗る馬へと駆け寄ると、すがりつく様にミゼンのマントの裾に触れた。

 何故かその光景にズキリと心を痛め、目を逸らしたいと思いながらも、ヨハンは立ち尽くした。


「ハンナ嬢、貴方がここへ来てはいけませんと申したはずですが」

「でも! それでも……」

「約束は守ります。約束通り、アオイをお守りしますよ」

「必ず……!」


 ミゼンはニコリと愛嬌のある笑みを浮かべ、蒼壱に手を伸ばすと、愛しそうに髪に触れた。サラサラと蒼壱の髪が肩へと零れる。


「さあ、離れてください。急ぎますから」


ミゼンが馬の腹を蹴り、正門を抜けていく様子を、蒼壱が不安げに見送った。


 二人の様子をヨハンは呆然として見つめた後、ハッとして「ハンナ嬢」と、声を掛けた。


「アオイが、『心配は要らない』とそなたに伝えるように……」


 ヨハンの言葉を聞いて蒼壱は全身の血液が沸騰するかと思いながら、ヨハンを振り返り睨みつけた。


「殿下がアオイを見送ったのですか!?」

「……ああ」


——こいつ、華は女の子なのに……!!


「本当に、貴方は冷たい人です!!」


 蒼壱はヨハンを殴りつけたくて握る拳が震えた。

——だめだ。これ以上ここに居ると、本気で殴ってしまいそうだ。俺は暴力なんか嫌いなのに。

 それでも。華がどんな思いでヨハンに見送られたのかと思うと……!!


 蒼壱は自分の不甲斐なさとヨハンへの怒りとが相乗して、込み上げる怒りを押さえつけるのに必死だった。


 華は女の子だ。どんなにかスポーツ万能でも、魔物討伐に行くだなんて恐ろしくて堪らないに決まっている。それを受けるのは、蒼壱の為であり、ヨハンの為なのだ。

 華がヨハンの事を話す時は「あんな奴」と言いながらどこかいじけた様子を見せていた。ヨハンに惹かれているからこそそんな態度を取るのだと、蒼壱には分かっていた。


——好きになった男に自分が女性であると告げる事もできず、その男を護る為に慣れもしない戦場に身を投じる気持ちが、お前に分かるか、ヨハン!!


「貴方に王になる才覚はありません」


 蒼壱は怒りをどうにか押し込めながらそれだけを言い残すと、ヨハンの前から早々に立ち去った。


 一人ポツリと残されて、ヨハンは俯いていた。

——私に、王たる才が無いが故に、ハンナ嬢はミゼンを選ぶのだとでも言いたいのか?


 ふっと自嘲すると、ヨハンは一人王宮へと戻って行った。

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