第19話 傷

「アオイ!? 一体どうしたというのだ、その怪我は!!」


 フォルカーに抱きかかえられて執務室へと運び込まれてきた華を見て、ヨハンが困惑しながら声を上げた。


「ヨハン、ヒナはどこだ? 治療を……」

「すぐに呼んで来よう!」


 ヨハンはヒナを連れて来る事に少しの躊躇ためらいも見せなかった。急ぎながらも冷静さを保って人払いを命じた後、自分も執務室から出て言った。再び戻って来ると、黒髪の少女を連れて華の側へと赴いた。


「ヒナ。済まぬがアオイの傷を癒してはくれぬか?」


額から大量の血を流す華を見て、ヒナは困惑しながらも力強く頷いた。


「解った。できるかわからないけど、やってみるわ!」


ヒナは華の額に手をかざした。パッと光が放たれて、華は自分の額が熱くなったような気がした。

 じりじりとした痛みが退き、傷が癒えたのだと華にも分かった。


「ヒナ……さん、ありがとう」


 お礼を言った華を覗き込みながら、フォルカーは浮かない顔をしていた。ヨハンもまた眉を寄せており、華は困った様に笑みを浮かべて見せた。


「どうしたの?」

「……ヒナ。これ以上は無理なのか?」


ヨハンの言葉に、ヒナは「ごめんなさい」と言って頷いた。


「何?」


 二人のやり取りを不安に思って華が眉を寄せると、額に引きった感覚があった。そっと額に触れると、指先になめらかな肌とは明らかに異なった感触が伝わる。


「……傷痕、残っちゃったか」

「すまねぇ」

「どうしてフォルカーが謝るの? あんなの事故だし! 私が意地になっちゃったんだもん、自分が悪いんだよ」

「けど、俺がちゃんと気を付けてたら!!」


「気にする事は無い」


ヨハンが二人のやり取りに口を挟んだ。


「傷痕は、男の勲章だと言うではないか。アオイ、気にする事などない。むしろ貫禄が出来たくらいではないか?」

「ヨハン!」


フォルカーがヨハンに掴みかかった手を、華が掴んだ。


「……うん。ありがとう、ヨハン。気にしないよ」


 華は立ち上がると、自分の癒しの力が弱い事を気にして悲し気に俯くヒナに、ニコリと微笑んだ。


「有難う、ヒナさん。お陰で助かった」

「ごめんなさい。ちゃんと、綺麗に治せなくてごめんなさい!」

「全然! ヨハンが言ったとおり、男の勲章だもん! むしろ綺麗に治らなくて良かったんだって」


——大丈夫。どうせゲームの中のことだもん。現実世界に帰りさえすれば、傷痕なんか消えてるはず。


——きっと消えてる。きっと——


「よし! 稽古再開しよう。フォルカー、ほら、付き合ってよ!」

「お……おう」


フォルカーの袖をぐいぐいと引っ張ると、華は無理やりに執務室を後にした。


——でも、この間現実世界に帰った時、蒼壱の姿が無かった。ってことは、私達は肉体ごとこの世界に転移してるのかな? だとしたら、この世界でついた傷痕って身体に残っちゃうのかな? そういえば、首の傷はどうなったんだっけ。


 華は自らの首筋を指で触れた。僅かに凹凸を感じ、サッと血の気が引く。


「嬢ちゃん……」


——最悪……。私、まだ誰とも付き合ったことすらないのに、首だけじゃなく顔にも傷なんか作っちゃうだなんて!


「なぁ、嬢ちゃんって!」


——どうしよう。蒼壱……話がしたいのに……。


「嬢ちゃん、聞けよ!」


 フォルカーは華の両肩を掴み、覗き込んだ。ポタポタと華の瞳から涙が零れ落ちる。


「俺なんかで悪いが、どんなことがあろうと嬢ちゃんの味方だ。断言する! 責任だってなんだってとってやる!」

「そんな、フォルカーは何にも悪くなんか無いのに。大丈夫、平気だよ、私……」


 涙を零しながらも笑おうとする華に、フォルカーは「笑うな!」と、声を上げた。


「笑う必要なんかねぇ。強がる必要なんかねぇだろう? 今周りに気遣ってる余裕なんか、嬢ちゃんには無いだろうが。罵って、泣き叫んでくれたって構わねぇんだ。な? 頼むから……嬢ちゃんに強がられると、情けなくなっちまう」


華は自分の瞳からとめどなく溢れ落ちる涙を抑えることをせず、顔を真っ赤にした。


——額の傷なんかよりもなによりも、ヨハンに『男の勲章だ』って言われた事が、何よりも辛いっ!!


「う……うわあああああああっっ!! ああああああ!!!」


フォルカーは声を上げて思いきり泣き喚く華を、黙って力強く抱き続けた。華が泣き疲れて眠るまで、ずっと……。





 夜遅くに、フォルカーはランセル邸へと華を送って行った。何事かと使用人達が騒ぎになったが、公爵がフォルカーの顔を見知っていたので、落ち着いた様子で話を聞いてくれた。

 アオイが額に傷を負った事、それをヨハンがかくまっていた聖女が癒し、恐らく明日には噂が広まるであろう事も報告し、すべて自分の責任であるとフォルカーは頭を下げた。


「ハリュンゼン第一王子殿が謝罪する事など一つも無い様に思いますが」


 公爵はそう前置きして話し出した。


「お恥ずかしながら、今このヒルキア王国は後継者問題に少し過敏になっています。渦中にいるのはご存じの通り、私の娘のハンナです。娘は元々ヨハン第一王子殿下の婚約者であったはずが、最近はミゼン第二王子殿下との噂が絶えません。そこへきて聖女の存在が明らかとなっては……」


 少し間を置いて公爵はニコリと笑みをフォルカーに向けた。


「娘の身が危ぶまれます」


 フォルカーはその発言で公爵が何を言いたいのか全て把握した。


 公爵は口には出さないものの、自分の娘と息子が入れ替わっていることに気づいている。額に傷をつけたのが娘の方であるということも理解しているのだ。

 つまりはフォルカーに、ハンナがヨハンに選ばれなかった場合——いや、として選ばれなかった場合、ハリュンゼンに連れ帰り、次期女王として迎えてくれればいいと言いたいのだろう。

 上手い物だと思った。流石はヒルキア始まって以来の才知を誇る宰相と謳われるだけの事はある、とフォルカーは公爵の狡猾さに感嘆の声を上げそうになり思わず嚙み潰した。

 この夜中に、わざわざこうしてフォルカーが公爵邸を訪れてまで謝罪に来た理由を、公爵は一瞬のうちに読み取ったのだ。


『ハリュンゼンの第一王子は、次期女王として聖女かハンナのどちらかを国に連れ帰る気だ』と。


 オルヴァ・ランセルの名は他国にも轟く程の高名だった。彼は自分の望みを何一つ口にせず、娘ハンナの身をフォルカーに受け入れさせたのだ。


——流石に……嬢ちゃんも嫁に来る時は男装せずに来てくれるんだろうな?


 フォルカーはふっと笑って頷いた。


「ご心配には及びません。ハンナ嬢の身の安全は我がハリュンゼンが保証致します」


 その言葉に公爵は満足そうに頷いたのを見て、フォルカーは席を立った。

 急ぎハリュンゼンに戻り、いつでも次期女王を迎え入れられる様、準備が必要だ。


 フォルカーにはフォルカーなりの思惑があり、何も全てを公爵の思惑通り受け入れたというわけではなかった。元々ヒルキアを訪れたのは女王候補探しであることには違い無いが、ヨハンから「聖女の確認をして欲しい」という依頼を受けてのものだった。

 ハリュンゼンとヒルキアは同盟国である故に、聖女の存在を互いの国同士情報交換する盟約を結んでいた為だ。

 ヒナの神聖力を目の当たりにし、フォルカーは彼女が聖女であると認めた。まだ能力としてはさほど強く無いとはいえ、確かに傷を癒す力を持っているのだから。ハリュンゼンの次期女王として迎えられたらどれほどによいことかと、彼女がヨハンの手中にあるという事が悔しくさえ思えた。

 そこへきてアオイの存在が彼に更なる衝撃を与えた。ヨハンから凄まじい程の弓の名手で命を助けられた親友であると聞いてはいたが、背が高く鍛え上げられた身体のフォルカーを軽々と投げ飛ばし、王子というステータスを持つ自分の軽口にもさらりとかわす。あまつさえ、剣を交えてみれば、それなりに腕が立つと自負していたはずが同等とも思える腕前を披露する。


 そんなアオイが、まさか女性であるとは……。


 アオイ・ランセルという存在を知らない者が見れば、何処から見ても可憐な美少女だ。男の成りをしているからこそ、美少年なのかと考え直すものの、彼女の白い肌にはドレスもよく映えることだろう。男慣れしていない様子も嫌に男心をくすぐるし、意地を張る様子も健気な程に真っ直ぐだ。

 強引にでもハリュンゼンに連れ帰りたいとすら思ったが、彼女はヨハンの婚約者なのだと言う。決して手が届かぬ高嶺の花を二人も見せつけられた気分をフォルカーは味わった。


 そこへきて公爵の提案はフォルカーにとっては正に、棚から牡丹餅状態であったと言えた。

 国の為を思えば、聖女を次期女王として迎え入れる事が最善であるに違いない。しかし、フォルカーの気持ちとしては、アオイを……いや、ハンナを自身の伴侶として迎え入れたいと思った。


 二十歳にもなるフォルカーが婚約者すらいないという状況は、王族としても異例だった。フォルカーは軽そうな素振りをしておきながら、自身の妻がハリュンゼンの未来を左右する重要な人物になるのだと理解していたが故、悪い言い方をすれば相当慎重に女性を見定めていたのだと言えるだろう。


 そんな彼が、華に心を動かされたのだ。


 夜も遅いというのに、フォルカーは馬を走らせながら高揚する気持ちを抑える事ができなかった。

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