第17話 フォルカー

 蒼壱が王后とのお茶会で窮地に立たされている頃、華は一人街へと出向いていた。街道に沢山の露店が立ち並び、王都は賑わいを見せている。


 多くの人々が行き交いごった返している道を意気揚々と歩きながら、華はウインドウショッピングを楽しんだ。現実世界では見たことも無いような物で溢れ返っているのだから、目に映るどれもが新鮮で、華は瞳を輝かせながらキョロキョロと見回した。


——ま、残念ながら通貨がよくわかんないから、何にも買えないんだけれどね。

 華はポケットからいくつかの硬貨を取り出してじっと見つめた。公爵家がいくら金持ちでも、その硬貨がどれほどの価値があるのかがさっぱり分からない以上、買い物などできはしない。


 うーん。見た感じ百円に近いけれどなぁ。でも百円と一円って色が似てるじゃない? この世界でこの硬貨が一円だったら、赤っ恥かいちゃう。稽古後で喉が渇いてるのに……と、華は恨めしそうに露店に並ぶフルーツジュースを見つめた。


 とはいえ、穴が空く程見つめたところで、硬貨の価値も分からなければジュースが手に入るわけでもない。華は渋々諦めて、邸宅に帰ったら蒼壱にお金の事を聞こうと考えた。王妃教育を受けている蒼壱なら、この世界の事を華よりは知っているはずだ。


「泥棒——ッ!!」

「へ!? 私、何も盗んでなんかっ!」


 驚いて咄嗟に振り返った華に向かって、フードを目深に被った男が真っ直ぐ突進してきた。その背後に露店商らしきエプロンをつけた中年の男が、大慌てで追っている姿を認めると、華はすぅっと手を伸ばした。


「せーの!!」


華はフードを目深に被った男の両袖を掴むと、倒れ込む反動を利用しながら男の膝を蹴り、巴投げを決めた。


「柔道部の助っ人してて良かったぁ~」


 パンパンと手を払いながら言う華に、「おお——!」と周囲に居た者達が歓声を上げた。


「兄ちゃん凄いなぁ!」

「今の、なんて技だい!?」

「初めて見るねぇ!」


 華は照れながら「いやー、我ながら間合いバッチリ」と笑っていると、華に投げられた男がむくりと起き上がった。


「ってぇーな!! 何しやがる!!」

「泥棒が何言ってるの!」


腰に手を当てて華が凄むと、男は「はぁ!?」と、素っ頓狂な声を上げた。


「俺は泥棒なんかじゃねぇよ! 泥棒は! ……っか——!! 逃げちまったじゃねぇかっ!!」

「……へ?」


男が指さした方向に一目散に逃げ去る少年の姿が見えた。

 露店の店主が華の側までやっとのことで辿り着くと、膝に手をついて息を切らしていた。


 男はすまなそうに頭を掻くと、店主に向かって「わりぃなおっちゃん。あの小僧を取り逃がしちまった」と言った。……つまり、泥棒の少年をフードの男が追いかけて、それを店の店主が追いかけていたところを、華が割って入ってフードの男に巴投げをかましたということだ。


「ご……ごめんなさい! 私が間違えちゃって!!」


華が大慌てで頭を下げると、店主は呼吸を整えて「まあまあ」と笑った。


「騒がしちまって悪かったね。二人共、ありがとうよ」

「貴方も、ごめんなさい! 痛かったでしょう!?」


 男に手を差し伸べて屈んだ華を見上げた途端、男は突然華の手をぐいと力任せに引っ張った。不意打ちを受けて華がつんのめると、男が華を抱き留めた。


「ちょっと! 何す……」


華の口を男が慌てて抑えると、「乳が見えてんぞ、このバカ!」と、小声で言った。


——父? え? 乳?? それって、胸のこと? つまり、おっぱい?


 ボン!! と、華の頭の上に湯気が上がった。剣の稽古の後、さらしをはずして着替えたまま町に繰り出したのだ。華が着ている服は着替え用に持ってきた簡素な男物の服で、屈むと襟口から腹の方までガバリと見える。


「何だ? 兄ちゃん達、仲良しか? まあいいや。世話をかけたね」


 店主がそう言うと手を振って去って行った。

 男はふぅと小さくため息をつくと、自分の腕の中でぐすぐすと泣き出す華を抱き上げて、米俵の様に担ぎ上げた。


「ひえ!?」


 華が悲鳴を上げる間もなく男は華を担いだままぴゅーっとその場を後にし、賑わう街道から小道へと入ると、華をそっと地面へと降ろした。


 華は涙目のまま何が何だか分からないと大混乱していた。


「うう……ファーストキスすらまだなのに、おっぱいを知らない男に見られるだなんて、最悪」

「そんな粗末な乳なんか見たかねーや」

「酷いっ!! まだ発育途中なのっ!!」

「だろうなぁ? それで完成形なら同情するぜ?」

「そこまで言わなくたっていいでしょっ!!」

「まあまあ、嫁の貰い手が無かったら俺が貰ってやるから」

「あんたなんかお断りに決まってるでしょ!?」


ぷんすかと怒る華を前に男はケラケラと笑うと、「まあ、そう言うなよ」と、言いながらフードを下ろした。

 ブラウンの髪に、無精髭。優男やさおとこ風な瞳に男らしい太い眉の、なかなかのイケメンっぷりが露わとなる。


「げ。フォルカー!!」


 華は思わず声を洩らした。

——この人! 攻略対象の隣国の王子、フォルカーだ!! いや、もっと長い名前だったと思ったけれど、長すぎて覚えてない。

 とにかく、ヨハン、ミゼン、アオイ、フォルカーの四人の攻略対象がこれで出揃ったってわけだよね? 隠しキャラは知らないけど……。

 

「あれ? 嬢ちゃん、俺の名前を知ってんのか?」

「あ……!! えーっと! 感が当たった~? なんちゃって!!」


 大慌てで誤魔化そうとしたが、時既に遅しだ。フォルカーは豪快に笑うと、華の背をトンと優しく叩いた。


「フォルカー・クロイ・ジェミル・ハリュンゼンだ。ヒルキア王国の人間が俺の名前を知ってるだなんて、光栄だな」


 フォルカーは攻略対象の中で最年長だ。歳は二十歳という設定で、隣国ハリュンゼンの王子だ。ワイルドな見た目に豪快な性格をしているが、女性にはすこぶる優しく、いざとなればその髭を綺麗にそり落とし、驚く程の紳士と化す。

 華としてはこのゲームの中で唯一悪く無いと思った攻略対象だったが、いざこうして目の前に居るとなるとなんとも現実味が沸かない。


「で、お嬢ちゃんはどうしてそんな男の恰好なんかしてるんだ?」

「えーと、これにはちょっと色々訳があって……」

「名前は?」

「え? あ、えーと……」


 さて。なんと名乗るべきかと華は頭を捻った。

 攻略対象であるフォルカーとはこの先も関わる事になるだろう。しかし女性とバレてしまったからには今は『ハンナ・ランセル』と答えた方が良いだろうと考えて、「ハ」と、言いかけた。


「フォルカー! ここに居たのか。突然姿を消すので探すのに難儀した」


 突如フードを目深に被った男がもう一人現れて声を掛けたが、その声に華は聞き覚えがあった。男もまた華を見て「アオイ?」と言い、自らのフードを後ろへと降ろした。


 さらりとした金髪の美男子の顔が露わとなる。


「私だ。ヨハンだ。そなた、何故ここに?」


——絶体絶命とはまさにこの事です。ええ!!

 華は途方に暮れて、ぱくぱくと口を動かした。


「おっと! ちょっとそこで偶然会ったんだよ。なぁ!?」


 何かを察してフォルカーがそう言ったので、華はぶんぶんと首を縦に振った。


「そうか。フォルカー、そなたには後程紹介しようと思っていたのだ。この者はアオイ。ランセル家の嫡男で、私の親友だ」

「あ……アオイ・ランセルです。お見知りおきを、ハリュンゼンの第一王子殿下」


フォルカーがすっと手を差し出して、華と握手を交わした。


「おう。宜しくな!」


ニッと笑ったあと、フォルカーは無精髭を撫でながらボソリと「……嫡男ねぇ」と言ったので、華は生きた心地がしない状態で乾いた笑いを発した。


——なんか、色々やらかしちゃったみたい。ごめんね、蒼壱っ!!


 華は叫びたい気持ちを押えながら、フォルカーとヨハンの前で立ち尽くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る