第15話 贈り物
華は近衛騎士見習いの訓練を受けに、蒼壱は王妃教育を受けに王宮に通い始め、一月程経った。
二人共筋が良いと評判になり、その噂は王宮外にまで広まった。
ランセル公爵は増々鼻高々で、二人を自慢したいが為に様々なパーティーへと連れまわすので、婚約者の居ないアオイに扮する華は行く先々で令嬢たちに囲まれる羽目になった。
「華、モテモテじゃないか」
「嬉しいと思う!?」
王宮で剣を振って一人稽古をしながら、華は蒼壱へと悲鳴の様に声を発した。
今日は大事な客人が来るからと、ヨハンは稽古に参加していない。
蒼壱はそれを知って、華の様子を見に王妃教育の休憩中に稽古場へと立ち寄ったのだ。
「もう、ホント勘弁して欲しいよ。公爵はどうしてああも親ばかなんだろう」
「この世界だと十七歳の息子に婚約者すら居ないのは不安なんだろうね。家格で勝手に婚約者を決めずに、本人の意思を尊重するだけマシなんじゃないの?」
「他人事の様に言わないでよ。アオイの事なんだから!」
「俺にとっては結局アオイ・ランセルだって他人事だよ」
「もう……断るのも大変なのにぃっ!」
華はうんざりとため息をついた。
「ところで華。そういうお誘いってなんて言って断ってるの?」
「もう、めんどくさいから一律『運命の女性と出会う為』って言ってる」
華の答えに蒼壱はぶっと噴き出した。
「はあ!? なにそれ!?」
「だって、嘘じゃないでしょ!? ヒナが現れるのを待ってるんだもん! アオイ・ランセルはヒナとくっついてエンディングを迎えないといけないんだしっ!」
「それにしたって、もうちょっと言いようがあるじゃないか」
「危ない人扱いされてそれ以上突っ込まれないから楽でいい。『私が運命の女性になりますわ!』なんて食い下がってくる人も居るけど」
このまま華に任せていいのだろうかと、蒼壱は不安になった。とはいえ、じゃあ自分がアオイになって女性達のアプローチを上手く
「そう言えば蒼壱。あの噂。聞いた?」
剣をぶんぶんと振りながら華が蒼壱へと問いかけた。
「噂ってどんな?」
「ヨハンが女の子を
ぶほっ!! と、蒼壱が再び噴き出した後、「なにそれ!?」と、華を見つめた。
華は剣を振り回しながらふくれっ面をしていて、それを見た蒼壱は眉を上げた。
——あれ? 華ってば、ひょっとしてちょっと怒ってる?
「……俺は、一応ヨハンの婚約者として王宮に来てるから、俺の耳には噂が入らない様にしてるのかもしれないけど。本人には聞いてみたの? 一緒に稽古してるんだろ?」
「別にどうでもいいしっ!!」
華が振る剣の勢いが増した。
「あんな奴、誰といちゃつこうが私と関係無いもんっ!」
——華ってば、どうみてもムキになってるんだけど。
蒼壱は小さく咳払いをすると、「タイミング見て俺が本人に聞いてみるか」と小さく言った。
華は剣を振る手をピタリと止めると、額の汗を拭った。頬が紅潮し、少しいじけた表情を浮かべている。
ヨハンと共に剣の稽古をするようになって、何度か二人で手合わせをする機会もあった。
スポーツ万能な華といえど、男性の腕力に打ち勝てる程の力は無い。上手く受け流せなければ簡単に剣を弾かれてしまう為、相当な苦労を要した。恐らく二人に稽古をつける剣の師匠は、アオイに扮しているハンナであることを薄々気づいているのではと思う。
だからこそヨハンとの手合わせは極力させなかったし、華には細身の剣を与えていた。
しかし、華にとってはそれが悔しくて堪らなかった。毎日手を豆だらけにし、何度もそれを潰してまでも稽古に励んだ。お陰で稽古後はいつも汗でどろどろになり、華はいつも着替えてから邸宅に帰ることにしていた。
——その日も汗だくになった華は稽古着から着替える為、武器庫へと向かった。
日中に武器庫を訪れる者など居なかったし、稽古場から武器庫まではすぐ側だったので、便が良かった。万が一武器庫へ行く理由を聞かれても、稽古用の剣を取りに来たのだとか、簡単に誤魔化せる事も都合がいい。
「アオイ」
突然声を掛けられて、
「よ、ヨハン!? え、えーと、ちょっと待って!!」
慌ててシャツを着ると、まともに確認もせずに華はヨハンの待つ扉の前へと顔を出した。
「な、何!?」
ヨハンは華の姿を見て、僅かに微笑んだ。稽古後だと言うのに、サラサラと輝く金髪が爽やかだ。
流石攻略対象。綺麗に笑うなぁ……と、見惚れた華に、ヨハンは胸元を指さした。
「アオイ、服が逆だ」
「あっ!!」
顔を真っ赤にしながら華はシャツを掴んだが、流石にヨハンの目の前で脱いで着直す訳にもいかないと手を止めた。
「どうした? 直さぬのか?」
「あ、ええと。こうやって着る方が楽だから! それより、何か用事?」
「ああ。これをそなたに」
そう言って、ヨハンが皮の手袋を華に差し出した。
「何度も手の豆を潰していただろう? 私が狩りで仕留めた鹿革で作らせたものだ。良ければ使ってくれると嬉しいのだが」
——ヨハンが、
華は呆然としながらヨハンが差し出す手袋を見つめた。華ではなくアオイに対しての贈り物なのだとしても、労わってくれたのは事実だ。
受け取ろうとしない華に、ヨハンは少し寂しげに微笑んだ。
「気にいらなかったか?」
「え!? そうじゃなくて! 少しその……驚いて」
華はヨハンから手袋を受け取ると、大切な宝物の様に見つめた。その様子があまりに女性らしかったので、ヨハンはドキリとした。
「有難う、ヨハン。大切にするね!」
「う……うむ。気にいって貰えて良かった」
——アオイは女性的な顔をしているし、背も男の割には低いうえ、華奢な体つきをしているな。それだというのに、戦場では見事な成果を上げるのだから、私も負けてはいられない。アオイと肩を並べるにはまだ未熟だからな。
実直なヨハンはそう考えて、己を戒める為に強く頷いた。
「共に稽古に励もう」
「そうだね。この手袋、毎日使うからすぐボロボロになっちゃうかも」
「そうしたら、また作ればいい」
「私の為に鹿を狩りに行ってくれるの?」
「いいだろう。約束しよう」
「自信満々」
「こう見えて狩りの腕はなかなかだぞ? アオイは狩りをしないのか?」
「興味はあるけど、やったことないなぁ。下手をして苦しめるのは可哀想だし」
「アオイは優しいな」
武器庫から出ようと階段に足をかけた華は、ずるりと足を滑らせた。
「おっと!」
ヨハンが慌てて両手を伸ばして華を支えてくれたので転ばずに済み、ホッと一息ついた。
むにょり
ヨハンは華の胸に思いきり触れていた。
慌てて手を離し、謎の感触にヨハンの頭の上にはいくつも『?』が浮かんだ。
「危なかった。ヨハン、ありがとう」
華は自分が
——ああびっくりしたっ! 裸見られるかと思っちゃったじゃない。ヨハンのバカっ!
顔を真っ赤にしながら駆けて行くと、数人の兵士がキョロキョロと辺りを見回しながら歩く様子とかち合った。両手に抱えきれない程の荷物を持ちながら、王宮内でやたらと警戒している様子が不審者極まりない。
「ウォッホン!」
と、華がわざとらしく咳払いをすると、兵士達は身体を弓なりにしてピョン! と跳ねた。
「ランセル卿! お、脅かさないでくださいよ!!」
「心臓が止まるかと思いました!」
「寿命が縮みますから! 本当に止めてください!」
慌てて華に向かって非難する兵士の手から、荷物の箱が一つ落ちた。兵士達は既に両手が塞がっており、その上にどうにか積み上げた一つが落ちた為、誰も受け止めようがない。
ガタリと音を立てて地面へと落下した箱は蓋が外れ、中身が散乱した。
——箱の中身は女性のドレスだった。
「あ、ごめん! 汚しちゃったね」
華はしゃがみこむと落としたドレスを軽く手で払い、丁寧に箱の中へと戻した。
「運ぶの手伝うよ。どこへ持って行けばいいの?」
「いえ……あの……」
「高価そうなドレスだね。王后陛下のかな」
「違います!」
兵士の一人が慌てて否定をした。
「これは……その、第一王子殿下が」
「え? ヨハンが?」
女性のドレスを買って、ヨハンはどうしようというのだろう。もしや、婚約者のハンナに贈るものなのだろうかと、華が少し期待して問いかけると、兵士達は増々慌てた様にキョトキョトと瞳を動かした。
「おい、口止めされているのに!」
「どうせもう侍女から噂が漏れているだろう」
「俺達の責任じゃない!」
「ねぇ、何のこと?」
華に詰め寄られて、兵士の一人が観念したようにため息をつくと、渋々説明をした。
「第一王子殿下が、どこから連れて来たのか女人を側に置いておりまして」
「え? にょにん?」
「はい。殿下は隠しておきたいようですが、侍女や出入りの者から既に情報が漏れ始めております。犬や猫でもありませんし、人一人を隠し通すのは難しいですから。食事もさることながら、身の回りの物を要しますし」
「ドレスもその一つだってこと?」
華の問いかけに兵士は少々品の無い笑みを浮かべたので、華は思わず眉を寄せ嫌悪した。
「我々は、その少女は殿下の恋人だとふんでますが」
「え……? でも、ヨハンには婚約者が居るじゃない」
——ハンナという婚約者が……。
「ランセル卿、男ならば愛人の一人や二人持ってこそ甲斐性というものでしょう」
「そもそも、ヒルキア王国の王族は何人妃を持とうと制約は無いのですから」
兵士達の品の無い笑いが華の頭の中に響いた。
——回想を打ち消して額の汗を拭い、華はヨハンから貰った手袋を外した。
ヨハンも稽古の時は華とお揃いの手袋を身に着けている。しかし、ヨハンにとって、人に贈り物をすることは大したことではないのかもしれない。女性に対しても軽んじた考え方をしている可能性だってあるだろう。ハンナに対して、あれほどに冷たい態度を取れるのだから……。
一心不乱に剣を振り回していた華が手を止めたので、蒼壱は小首を傾げた。
「どうしたの? 気分でも悪い?」
「別に。ねぇ、この後つきあってよ」
突然突拍子も無い事を言いだした華に、「……どこへ?」と、戸惑いながら蒼壱は問いかけた。
「気分転換に町に出かけるの! 王宮での稽古、邸宅、どっかの家のパーティーばっかりで頭がおかしくなりそう!」
「今日? すぐ!?」
「うん!」
「この恰好で!? 絶対いやだっ!」
蒼壱は激しく首を左右に振った。ただでさえ女装をするのが嫌だというのに、こんな姿を街中に晒すだなんてとんでもない。
「それに、今日は王后陛下のお茶会に呼ばれているんだ」
「お茶会? しかも王后って。うわぁ……めんどくさそう。私、絶対粗相して追い出される自信あるんだけど」
「ここのところよく呼ばれるんだよね」
ハンナの評価が良いせいか、王后にすっかり気に入られている様だ。
華は前王后の毒殺エピソードを思い出して、苦笑いを浮かべた。
「……毒殺されないでよね?」
「大丈夫じゃないかな。ヨハンとハンナの仲があまり良くないのは皆知ってる事だしね。一応解毒剤は持ち歩く様にしてるけど」
蒼壱はペンダントを指さして言った。ロケット型のペンダントトップの中には錠剤が一粒仕込まれている。
「とっても心配なんだけど!?」
「ハンナを毒殺したって誰も得しないよ。寧ろ公爵の怒りを買う方が後々面倒だろうしね」
蒼壱はすっと立ち上がると「それより」と、続けた。
「俺は俺でなんとかこなしてくるからさ、華も無茶せず大人しくしていてよね。一人で出かけようだとか思ったりしないこと!」
蒼壱に釘をさされ、華は苦笑いを浮かべた。
——でも、出かけるけどね……。
と、心の中で思いながら、蒼壱と手を振って別れた。
稽古用の剣を片づけて、何とはなしに王宮の大きな扉を見つめる。
今頃ヨハンは例の客人とやらと会っているのだろうか。それとも、噂の女の子といちゃついているのだろうか? と、考えて、ぶんぶんと首を左右に振った。
あんな奴の事なんか、どうだっていいじゃないっ!
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