第14話 降臨
魔物討伐の報告を父王にし終えて、ヨハンは暗い廊下を一人歩いていた。
王都への帰途、弓兵達に襲われて多大な被害を被ったことも報告したが、大して問題視されなかったことが不服だった。もしや父王が仕掛けたのかと疑念を持ったが、
……父は、王の座に長く居たいのだ。
強力な神聖力を持って生まれたヨハンは民の期待が高い上、文武共に優秀だった。
ヨハンが活躍すればするほど、民はヨハンを早くに王の座に就かせたいと願う事だろう。魔物討伐が順調過ぎては王にとって都合が悪い。それを察して王后が討伐隊への奇襲を命じたと考えれば辻褄が合う。
ヨハンはため息すらつかずにそう納得した。そんな策略がはびこるのは慣れたものだったからだ。今までそのせいで何度命の危険を味わったか知れない。
それに比べ、弟ミゼンは
実直なヨハンとは違い人当たりが良く、周囲から可愛がられるキャラクター作りも彼の演技力の成せる技だ。
『嫌々来たからってこんな態度はあんまりなんじゃないの!? 人の上に立つならもっと皆に気遣いできてこそでしょ! あんたみたいな人が王子だなんて、この国の人達は皆可哀想!』
ヨハンはお茶会でハンナに言われた言葉を思い出し、小さく笑った。
そして、笑った自分に少し驚いた。随分と久方ぶりにこの顔に笑みを浮かべた気がすると思ったからだ。
——ハンナの言う通りだ。不器用な自分など、王に相応しくない。
『もっと自分を大切にしてよ!! あんたがそんなだから、皆の命が奪われちゃうんじゃないっ!!』
アオイに言われた言葉を思い出し、ズキリと胸が痛んだ。
——アオイの言う通りだ。私の不甲斐なさが人を傷付ける。
暗い廊下を抜け、ヨハンは一人中庭を歩いた。どんよりとした黒い雲が空を覆い、星の一つも見えない。宮殿から漏れる灯も暗く、ヨハンの周囲を照らす明かりは何も無いと感じて唇を噛みしめた。
瞳を閉じ、ヨハンは一人絶望を味わう。しかし、ハンナとアオイ二人の存在が自分の中で強く輝いて感じた。そのどちらも、正体は同じ『華』という一人の少女であるとは知る由もない。
アオイの命が潰えたと思った時の絶望を思い出し、ヨハンは自分の身体が震えるのを止める事ができなかった。もしもあの時、あのままアオイを失っていたとしたら、やっと同志として寄り添うことのできる『希望』を失って、自分は絶望の淵に飲み込まれていたに違いない。
——私は、『私』としてこうして生まれて来てしまったのだ。
ならば天寿を全うせずして何になろうか。何もせずにいて光を護れるはずがない。折角見つけた希望の光なのだ。
神よ。私を救わずともいい。どうか彼らの光を奪わないでくれ……!!
ヨハンが強く願った瞬間、黒い雲で閉ざされていた空を光の柱が貫いた。
何事かと驚いて唖然としながら見上げた先に、艶やかな黒髪の少女がゆっくりと舞い降りてくる様子を認めた。
そっと両手を折り曲げたその上に、彼女はまるで初めからヨハンの下へ来るつもりであったかのように身を預けた。
「……そなたは?」
腕の中の少女に声を掛けると、少女はゆっくりと瞳を開いた。彼女の黒い瞳がヨハンを見上げ、瞬きをする。
「きゃあ!!」
彼女は悲鳴を上げてヨハンを突き飛ばし、地面にしこたま尻を打った。
悶絶しながら尻を押えて蹲る少女を前に、ヨハンはどうしていいのか分からず、とりあえず謝罪する事にした。
「その……女人に断りも無く触れてすまなかった。気を失っているのだと思って」
「寝てる人に勝手に触るのも犯罪ですっ! この、痴漢!!」
「ハンザイ? チカン?」
「いったぁ……。
——『ジ』とは、何だろう?
と、ヨハンは困りながら少女を見つめた後、そっと手を差し伸べた。
「良くわからぬが……とりあえず立ってはどうだろうか。服が汚れてしまうぞ」
少女はヨハンの手を取ると立ち上がり、マジマジとヨハンの顔を見つめた。
「わぁ、高スペック男子。イケメンだし背も高いし。服装からしてお金持ちっぽい。絵本の王子様みたいね」
「そなたの言う言葉が半分も理解できぬ」
戸惑うヨハンにお構いなしに少女はきょろきょろと辺りを見回した後、小首を傾げた。
「ねぇ、ところでここ、何処なのかしら?」
「ヒルキア王国の王宮の中庭だが……」
「ふ……ふーん……? 私、地理苦手なの」
突然空から舞い降りてきたのだから、土地勘が無い以前の問題ではないだろうかと考えながら、ヨハンは小首を捻った。
「あ、ねぇ、そこ。怪我してるわ」
少女がヨハンの頬を指さして言った。矢じりが頬を掠めた時のものだろう。
ヨハンは「大した事は無い」と顔を背けたが、少女はポケットをまさぐってハンカチを取り出して、ヨハンの頬にあてた。
「私、保健委員だから気になる……」
パッと光が発せられ、ヨハンの頬の傷が消えた。少女は自分の手を驚いて見つめた後、ヨハンへと視線を向けた。
「なんか光って傷が消えたんだけど……静電気かな?」
「そなた、神聖魔法が使えるのか?」
「魔法? そんなわけないじゃない。私、普通の女子高生だもん」
「殿下!!」
宮殿から数人の兵士が駆け付けると、ヨハンの前で頭を下げた。
「空から巨大な光の柱が現れたと聞き、急いで駆けつけたのですが……!」
「うむ」
ヨハンは頷くと、少女をチラリと見た。
「彼女が舞い降りてきた」
ヨハンの言葉に兵士達は揃って視線を少女に向けたので、「ひゃ!」と、彼女は狼狽えた。
「そなた、名は?」
「えっとぉ、『ヒナ』です」
ヨハンは小さく頷くと、兵士に指示を出した。
「この者に侍女をつけて客人として迎えよ。他言無用だ」
「承知いたしました」
「私は念のため父上に報告をしてくる」
踵を返してその場を後にしながら、ヨハンは自らの頬に手を当てた。
——大した傷ではないとはいえ、一瞬のうちに癒してしまうとは余程強い神聖魔法の使い手だ。王にはまだそこまで報告をしない方がいいだろう。もし彼女が聖女であるという噂が流れようものなら、たちまち跡目争いに巻き込まれるに違いない。ただでさえランセル公爵家は子息子女共に巻き込まれているのだ。
……尤も、ハンナは性格的に妃の器ではないが故に、ミゼンや王后からも敵視されてはいなかったわけだが、ここ最近の彼女の噂ときたら、淑女の鑑だと言われ持て囃されているのだと聞く。
「厄介なことになったな……」
ヨハンはそう呟いて王の間へと暗い廊下を急いだ。
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