第13話 約束

「……それで、どうやってまたこっちに戻って来れたの?」


 怯えた様に真剣な表情で見つめる蒼壱を前に、華はしどろもどろになりながら答えた。


「家に蒼壱が居なかったから、まだゲームの中に居るんだと思って、その……テレビにゲーム画面が表示されたままだったんだけど」

「どんな画面が表示されてたの?」

「『continue? Yes/No』ってあったから、『Yes』を選択したら生き返った」


 蒼壱は前のめりだった身体をすっと退いてソファの背もたれに背をつけた。


「それって、つまり……二人共死んだら現実世界に戻れるってことかな?」

「そうかも」


 試すには危険過ぎる。と、蒼壱はごくりと息を呑んだ。

 いくらゲームの世界だと分かっていても、痛みはあるし現実の様にリアルなのだ。自殺なんか怖くてできるものではない。まして、もしも戻れずにそのまま死んでしまったらと思うと……。


「華、絶対に一人でそんな事しないでね?」

「うん。分かってる。私だって好きで死んだ訳じゃないし」

「もし、華がコンティニューしなかったら、この世界はどうなっていたのかな?」


通常、ゲームを中断した時はどんな状態だろうか。電源を落とした時は? データは保存されているだろうけれど、『そのままの状態で停止』しているのではないだろうか。


 そう考えながら、二人はゾッとした。


 華がもしコンティニューをしなかったら、蒼壱一人がゲームの世界に取り残されて、そのまま時間が止まってしまうのだとすれば、死んで戻る事も赦されずに一生閉じ込められてしまっていたのではないか……?


——二人で戻るには、二人同時に死ぬしかない?


「二人同時に寸分たがわずだなんて、無理に決まってる。試そうとか絶対やめてよ、華!」

「いくら双子でも無理だよ。っていうか、死ぬのめちゃくちゃ痛いし。二度と嫌っ!」


 蒼壱はふるふると首を左右に振った。


「華が殉職したって聞いて、本当に心臓が止まるかと思ったんだからね!?」

「うん。ごめん」

「まずはこのゲームをクリアしてみようよ。そうしたら帰れるのかもしれないし。駄目だったらその時他の方法を考えるしかない」

「でも、ヒロインが居ない状態でクリアなんてできるの? エンディングの条件って、ヒロインと攻略対象が結ばれる事なんじゃないの?」


 二人はオープニングムービーの凱旋パレードで現れるヒロインの姿を思い浮かべた。


 魔物討伐で甚大な被害を受けた討伐隊は皆疲弊しきった状態での凱旋となった。出征時の半数以下に人数は減り、一人では馬に乗れない重傷者を運ぶ荷馬車がヨハンの後方に続く。

 街道に集まった民衆達の顔も暗く、まるで葬列を見守るかのように静かだった。


 先頭の騎士が掲げる国旗にも、黒い帯が揺れている。ヨハンが殉職してしまった騎士達をいたむ気持ちと敬意を示して指示したものだった。


 国の未来を憂いてヨハンが空を仰ぎ見たその時、一筋の光が差し込み、ヒロインが舞い降りて来るのだ。

 ヒロインが身動きすら取れなかかった重症の騎士達を、次々と聖なる力で癒すと、集まった民衆達が「聖女だ」と口々に声を上げた。


「冷静に考えると、乙女ゲーとは思えないオープニングだよね。最初の音楽も鎮魂歌みたいに暗かったし」


 華の言葉に蒼壱は「確かに」と頷いた。


「まあ、乙女ゲーをプレイするのは初だから、他を知らないんだけど」

「クラスに乙女ゲー好きな子が居て、画面を見せて貰った事があるけど、そんなどぎつい印象無かったなぁ」


華の言う「乙女ゲー好きな子」とは妃那ひなの事だったが、蒼壱とは面識が無いだろうと思っていたので敢えてその名を伝えなかった。


「あれ? そう言えば、魔物討伐が予定より早く終わったんだった」


 華の言葉に蒼壱は眉を上げた。


「成程。もしかしたらそれでヒロインの登場とズレが生じたのかもしれないね」

「ストーリーが変わっちゃうのはどうかと思うけれど」

「……いや、変わらないのかも」


 蒼壱は神妙な面持ちで言葉を続けた。


「このゲームの主人公はヒロインのヒナだけど、彼女を召喚したのは強い神聖力を持ったヨハンだ。つまりさ、ヨハンが祈りたくなるような状況になれば、ヒロインが登場するってことだよね」


——なにそれ。私が死んだ時はじゃあ、大して祈りたくならなかったってこと? やっぱり冷たい奴!


「華? どうしたの? 何か怒ってる?」

「ううん! 全然!」


 華は慌てて取り繕う様に両手をパタパタと振った。レースのついたドレスの袖がまとわりついて、邪魔そうに眉を寄せる。


「ヨハンが祈りたくなる、か。あまり嬉しい状況ではないけれど、このゲームを終わらせる為には回避できないストーリーだね」

「そうだけど、ヨハンにとってヒナの登場は救世主になるわけなんだから」

「どんな事を願って祈ったんだろうね」


 二人は口を噤み、俯いた。


 ヨハンにとって、あの凱旋パレードはどんな状況だったのだろうかと考えてみる。


 ランセル公爵家とは全く異なった家庭環境で、ヨハンの周りは敵だらけだ。隙あらば兄を差し置いて王位を継ごうとする弟。

 継母には命を狙われており、婚約者であるハンナは妃としては不釣り合いな程に傲慢だ。国王は国の事ばかりを案じている様だし、そんな中沢山の仲間を失っての凱旋。

 恐らく絶望する程の孤独であったに違いない。自分の置かれている状況から逃げ出したくなったに違いない。


 ……ん? と、二人は同時に顔を上げ、目を合わせた。


「私、凱旋パレード前にヨハンと仲良くなったかも」

「俺、ハンナの悪評を防いだかも」


 つまり、ヨハンは暫く現実逃避したくなるほどの孤独を味わう事も無いのではと思い、二人は苦笑いを浮かべた。


「そ、それはともかく。ヒロインが無事召喚されたとして、攻略対象は誰ルートにする? 私達が上手く誘導してあげたら、このゲームも早く終わるかもだし、決めておいた方が良くない?」

「うーん。ヨハンには申し訳ないけれど、高難易度キャラはパスじゃないかな」

「アオイルートが一番手っ取り早いかもね」


 華の発言にドキリとして、蒼壱は思わず瞳を見開いた。


 妃那ひなに一目惚れし、彼女そっくりなヒロインとゲームの中とはいえ結ばれるのは、現実世界に帰りたくなくなりそうだと思った。とはいえ、他の攻略対象と仲良くする姿を目の前で見たくはない。


「……うん」


 小さく頷いた蒼壱の様子に、華はくすくすと笑った。


「別にゲームの世界だからいいじゃない。ヒナは可愛いしさ」

「まあ、頑張ってみるけど……」

「何言ってるの? 頑張るのは私でしょ?」

「え?」


 華はドンと胸を叩くと、「だって、蒼壱と私は入れ替わるんじゃない」と言ってニコリと笑った。

 確かに、魔物討伐でも女性騎士達の人気を一気にかっさらった華の方が、ヒナを攻略するには向いているかもしれないけれど、と蒼壱はガックリと項垂れた。


「それよりさぁ、ハンナって最期どうなるんだっけ? いまいち思い出せないんだよね」


華の言葉に、蒼壱はハッとして顔を上げた。


「うん。俺も思い出せなくて困ってるんだ。どの攻略対象ルートになっても、ヨハンとは婚約解消したと思うけど……」

「確かにね。聖女様を虐めた女なんて嫌だよねー」

 

 華は満面の笑みで言った。例えゲームの中とはいえ、あんな絶対零度男と結婚だなんてご免だ。


「華、嬉しそうだね」

「そりゃそうだよ。あいつムカツクもん! ほんっと嫌いっ!」


 自分が生き返ったのを喜んでハグされた時は正直ドキリとしたが、あれはあくまでもアオイに対しての対応だ。

 恐らく生き返ったのがハンナであれば、そのまま死んでいろとでも言わんばかりに冷たい態度をとっていたことだろう。


「でも、これから毎日顔を合わせることになるんじゃないの? そんなに嫌ってるのに」


 蒼壱の発言に華はサッと青ざめた。


 明日から毎日王宮で、ヨハンと同じ師匠の下、近衛になる為の訓練を受ける事になったからだ。ゲームでも確かにそういうストーリーであったため、これを回避する手は無さそうだ。


「蒼壱だって、花嫁修業じゃない……」


 華の発言に今度は蒼壱がサッと青ざめた。


 明日から毎日王宮で、ヨハンの婚約者として。ゆくゆくは王妃になる為の王妃教育を受ける事になっているのだ。

 本来であればヒロインが登場した後に国の歴史等を学ぶのにいい機会だからと、ハンナの王妃教育を共に受ける事になり、そこでハンナの虐めに遭うというストーリーだ。


「まあ、お互い頑張ろう……」

「だね……」


 二人は苦笑いをし合いながらも、お互いの健闘を祈った。

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