第9話 魔物討伐
討伐隊が王都を出発して四日が過ぎた。魔物が大量に出現したと報告のあった付近まで後半日程馬に揺られれば到着するというところで野営を張り、身体を休め、戦いに備える事にした。
「ランセル卿」
野営テントの前で女性騎士が華へと声を掛けたので、華はニコリと微笑んで返事をした。華としては同性である安心感から出た愛嬌のつもりだったが、女性騎士からすれば甘い微笑みに見えるのは仕方が無い。
元々女性的な顔立ちの上、今回が初出征となるアオイの姿は他者にも見慣れない為、姉弟の入れ替わりにも気づかれにくい事は幸いだった。
「あの……お疲れではと思い、温かいスープをお持ちしました」
「有難う。今貰いに行こうと思っていたところだったから」
女性騎士からスープが入った器を受け取った時、華は相手の髪に小枝が絡みついている事に気づいて手を伸ばした。
「少し待って」
彼女の長い髪を傷つけないように丁寧に外してやると、女性騎士は華の優しさに顔を赤らめた。
「顔が赤いけれど、大丈夫? 王都から離れて気温も低くなってきたから、風邪を引かないように温かくしないと」
極めつけは優しい言葉だ。
遠征に出てからずっとこんな調子なのだから、当然の如く女性騎士達の間ではアオイ・ランセルは憧れの的となり、華は気づかぬうちにすっかり
「アオイ」
華がスープを啜っていると、呼び掛けられた声に「げ」と、つい漏らしてしまい、慌ててスープがむせた風を装って咳き込んで誤魔化した。
華に声を掛けたのはヨハンだった。ヨハンはむせる華に「急に声をかけてすまぬ」と申し訳なさそうに言った。遠征先だというのに少しもくすんだ様子も見せずキラキラと輝くヨハンの有様は、流石このゲーム一番の高難度攻略対象だと納得せざるを得ない。
「あ、いえ……。殿下は、食事をもうお召し上がりに?」
見ると、ヨハンの手にもスープの器が握りしめられていた。
「少しそなたと話したくてな。隣、良いか?」
——良くない。
「殿下がこのようなむさくるしいところで食事ですか?」
「今は遠征中だ。どこもむさくるしい」
ヨハンはさらりとそう答えると、華の隣へと腰を下ろした。
「明日には魔物討伐が開始される。今回が初出征となるのは私もそなたも一緒だが、そなたのことは頼りにしている」
そう言えば、アオイとヨハンは親友同士になるという設定だったなと思い出して、華はスープの器をテーブルに置き、頭を下げた。
「全身全霊をかけ、殿下をお守り致します故、ご心配なさらず」
「よい。そんなことを頼みたいわけではない。私達は魔物討伐に来たのだ。皆等しく戦仲間ではないか。そなたが守るのは民であり、私ではない」
お茶会での高圧的な態度とはうって変わり、随分と謙虚な様子のヨハンに華は面食らって、チラリとヨハンを見つめた。戦いを前に大将が弱気になっていては困るな、とスポーツ万能な華は、今までの部活の大会の経験上で得た知識を思い起こし、ヨハンを元気づけようと声を発した。
「……とはいえ、殿下がヒルキア王国の第一王子であるという肩書が消えるわけではありません。それに、討伐隊のリーダーであることにも変わりは無いでしょう? 弱気になっていては困ります」
「うむ」
ヨハンはスープの器を手に持ったまま、視線を落とした。
少し間を空けた後、ため息交じりに言葉を発した。
「弱気になっているわけではない。そなたの姉、ハンナ嬢に、アオイを私の臣下として扱うなと言われた」
——え? 蒼壱がヨハンに何か言ったってこと?
「姉がまた何か失言を?」
「いや、そうではない」
ヨハンは静かにスープを口に運ぶと、音も無く飲み込んだ。
「この遠征が終われば、そなたは正式に騎士の称号を得よう。ともなれば、ランセル家の名の元、王に仕える臣下としての訓練が始まるだろう。私は王になるべく。そなたは王の臣下になるべく、共に修行をする身となるわけだ」
つまりヨハンは、今回の魔物討伐で互いに生き延びて無事帰ろうと、激励をしているつもりなのだ。
しかし、厳しい修行を蒼壱に耐えられるだろうか? と、華は心配になってぎゅっと唇を噛みしめた。この遠征から帰った後も、何かと理由をつけて蒼壱と入れ替わるしかないだろう。
いつまでゲームの世界に留まるかは分からないが、剣の修行は蒼壱にとって苦しいだけでいいことなど一つも無いのだから。
——ところでこの冷血王子、アオイには普通なのにどうしてハンナには絶対零度男なわけ?
「殿下は、何故私の姉を嫌うのです?」
華の言葉にヨハンが小さくため息を洩らした。
「本人からも同じことを聞かれた」
蒼壱ったら、そんなことまで聞いたの? で、あんたはなんて答えたのよ? と、華はじっとヨハンを見つめた。
「今は言えぬ」
——あっそ……。
「しかし、そなたとは友となりたいと思っている」
『嫌だ』と言いたいところをぐっと飲みこんで、華は「光栄です」と答えた。ヨハンは華の答えにホッとした様に微笑むと、スープを口に運んだ。
——この人、つかみどころが無いなぁ。ヒロイン相手には正に物語の王子様の王道を行くように甘く優しい態度なのに。
と考えて、華は苦笑いを浮かべた。
ヨハンルートのエンディングを思い出し、ヒロインであるヒナにとびきり甘い言葉でプロポーズをするヨハンの様子が頭の中に浮かび上がって、華は苦笑いを通り越して顔を顰めた。
「どうした? スープが口に合わなかったか?」
華の百面相を不思議に思って言ったヨハンに、華は「全然!?」と上ずった声を上げ、慌ててスープを飲み干した。気管に入って咳き込むと、ヨハンが優しく華の背を擦った。
「大丈夫か? 案外そそっかしいのだな」
——あんたこそ、妙に優しくてびっくりだって。私がハンナだって知ったら、その撫でる手を叩きつけるんじゃないの!?
と、心の中で悪態をつき、華は胸を擦った。
出来る限り攻略対象とは関わらない様にしたいというのに、ゲームのストーリー上そうはいかないのが厄介だ。この遠征が早く終わる事を強く願いながら、華はヨハン相手に愛想良く接しざるを得なかった。
魔物討伐の遠征先へと到着すると、ゲームさながらにきっちりと討伐隊との闘いが開始された。華はヨハンと共に後方に配備されていた為、不意打ちを受ける事も無く身構える事ができた。
魔物の姿は多種多様で、小柄で肌の色が薄緑色に変色した人型も居れば、四つ足で毛皮に覆われた獣、腕が長い巨人の様な姿の者も居る。ゲームの中の魔物相手とはいえ、生き物を殺すのには抵抗があるなと思いながらも、華は必死に応戦した。
弓に矢を
剣道部とフェンシング部の助っ人をしていて良かったと心の底から思ったが、返り血は想定外で、反射的に顔を顰めてしまうのは致し方ない。それでも、思いのほか魔物を殺す事に抵抗を感じない事が不思議でならなかった。
——ゲームの世界だって割り切ってるからかな? そういえば私、お母さんと狩猟体験に行ったことあったっけ……。
華の戦いぶりはそれはそれは見事なもので、戦況は瞬く間に討伐隊が有利となった。
「流石は王室の守護神と誉高いランセル家の
「負けてはいられませんな」
討伐隊の士気が上がり、勢いに乗ってこのまま討伐は終えるだろうと予測されたが、華はふと違和感を覚えた。
確か、ゲームのオープニングムービーでは、この遠征は魔物の
だとしたら、このまま何事も無く完全勝利とはならないのかもしれない。
華が不安を抱いた時、魔物が振り投げた粗末な作りの斧が回転しながら自分目掛けて飛んでくる様子が視界の隅に映った。華は目の前の魔物を剣で斬り倒した体制のまま、反応が遅れた。
——あ。私、死ぬかも……
まるで他人事の様に華はそう思った。
迫りくる斧がスローモーションの様にすら見え、自分は金縛りにでも遭ったのかと思える程に身動きが取れなかった。
凄まじい金属音が鳴り響いた。
ヨハンが斧を剣で弾き、華を守ったのだ。
「気を抜くな!」
ヨハンは華へとそう叫ぶと、馬を巧みに操って剣を振り、魔物を次々となぎ倒していった。
華は死を意識したことで激しく動揺し、剣を振るう手が震えた。自分の心臓が騒がしい程に鼓動する音が聞こえ、ぶわりと汗が噴き出した。
——め……めちゃくちゃ怖かったっ!!
ゲームの中とはいえ、あんなふうに死を意識するのは、当然ながら初めてのことだった。
「アオイ、そなたに死なれては困る。私が王となった暁にはそなたの後ろ盾が必要なのだからな。しっかりするのだ!」
「は……はい。すみません」
動揺を隠せない華を見かね、ヨハンは馬を寄せると華の肩に触れた。優しい眼差しを向け、心底心配しているようにゆっくりと丁寧に言葉を吐いた。
「そなたは私の友だ。あんな言い方をしてすまなかった。一度下がるか?」
「いえ! 戦います!」
華の答えにヨハンは頷くと、華の肩を力強く叩き、「よし」と言ってその場を離れた。
——ヨハンに助けられるだなんて。私ってば何やってるんだろ。しっかりしなきゃ! アオイを戦死させるわけにはいかないじゃない! っていうか私だって死にたくなんかないしっ! うああっ! めちゃくちゃ怖かったぁっ!!
華は自らの両頬をパチリと叩いて気合を入れると、再び魔物を倒すべく剣を振るった。
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