第8話 出征

 魔物討伐隊の出征パーティーまで、華と蒼壱はそれぞれ剣の稽古とダンスのレッスンに明け暮れた。剣道やフェンシングが得意な華は、持ち前の運動神経の良さを生かし瞬く間に上達した。

 蒼壱はというと、コルセットの苦しさには難儀するものの、彼もまたダンスの才能があったのか、令嬢顔負けな程の優雅さを身に付けて、二人は準備万端で出征パーティーへと臨んだ。


 煌びやかに装飾の施された王宮のダンスフロアでは、華やかな衣装に身を包んだ沢山の貴族たちが集まり、賑わっていた。

 そこへ不釣り合いと思える金属製の靴音を鳴らしながら討伐隊が入場し、壇上の前へと整列した。先頭にはヨハンが立ち、一歩前へと踏み出ると、片膝をついて頭を垂れた。

 壇上に設置された玉座から国王が立ち上がると、ヨハンの前に立ち、宝剣の腹を肩へと当てて、我が子を見る目ではなく一人の兵士を送り出す王の顔を向けた。


「第一王子、ヨハン・グレイナス・ジェローム・ヒルキアよ。愛する民の為、天命を全うせよ……」


 華はヨハンの背後で自らも頭を垂れながら、国王の激励の言葉を聞いていた。


 まさか普通の女子高生である自分が、こうして戦に赴く事になろうとは全く予想もしていなかった。リアリティーに欠けるように思えるのはそのせいなのか、それともこれが現実世界ではなく、ゲームの中の話に過ぎないことを知っているからなのか。


——とにかく、送り出されるのが蒼壱じゃなく私であることが何よりもホッとしてる……。





 蒼壱は討伐隊を取り囲む様に立つ貴族たちの中で、不安に駆られながら国王の激励の言葉を聞いていた。


 人の命をかけるというのに、簡単なものだなと怒りが込み上げてくる。

 日本人である自分が、戦時中の『お国の為』という言葉に違和感を抱いていたからなのかもしれない。

——王は、身内を送り出す者達がここにどんな気持ちで集まっているのか理解しているのだろうか。

 ゲームの中の出来事であるとはいえ、沸き起こる苛立ちに蒼壱は必死になって耐えていた。


 音楽が奏でられ、出征パーティーが始まった。婚約者や妻がいる者は各々パートナーと一曲を踊り終えた後、無事を誓って旅立つのだ。

 ヨハンは当然ながらハンナに扮する蒼壱に手を差し伸べるかと思いきや、蒼壱の隣にただ立って腕を組み、他の者達には踊っている様にと指示を出した。





 アオイに扮する華は婚約者が居ない為、この世界の両親である公爵夫妻に無事を誓う挨拶ををし終えると、蒼壱とヨハンの二人を見つめた。


——あれ? 蒼壱、どうして踊っていないの?

 華は不思議に思って眉を寄せた。凛とした様子で皆のダンスを見つめるヨハンの隣で、蒼壱は美しく着飾った姿とは裏腹に気まずそうに俯いている。

 

——ヨハンの奴! 蒼壱に意地悪してるの!?

 華の脳天に一気に怒りが上昇し、憤然と鼻息を荒げて蒼壱の元へと向かおうと歩を進めた。


「アオイ」


 突然掛けられた声に戸惑いながら振り向くと、片耳に房のついた長いピアスをつけた男性が無邪気な笑顔を向けていた。


 華はその男性を見て、思わず「げ」と、声を洩らした。


 ヒルキア王国第二王子、ミゼン。このゲームの四人の攻略対象の一人だ。

 ヨハンの一つ年下の腹違いの弟である彼は、宰相の息子であり騎士でもあるアオイを実の兄以上に慕っているという設定だ。彼の攻略ルートでは、ヨハンを差し置いてミゼンが王位を継ぎ、アオイはその近衛隊隊長になるエンディングとなっている。


「こ……これはミゼン第二王子殿下。ご機嫌麗しゅう」


ぎこちない挨拶をする華に、ミゼンは愛嬌のある笑みを向けながらサラリと言葉を放った。


「今、『げ』って言いませんでしたか?」

「ま、まさか!」


 慌てて否定すると、「それなら良いのですが」と笑顔のまま返したので、華はホッとした。


——うわ……。この人とはあんまり話したくないなぁ……。


 華は笑顔を向けるつもりが苦笑いを浮かべた。

 何故華が拒絶反応を示したかと言うと、ミゼンというキャラクターがかなり異質だからだ。

 感情が読めず、愛想を振りまきながらも平気で兄を王座から引きずり下ろす。つまり、ヨハンルートの邪魔役であり、悪役令嬢のハンナよりも厄介な存在だった。

 蒼壱がプレイする横で、「こいつムカツクっ!」と、何度悪態をついた事か知れない。


「兄上は、此度の討伐で多大な武功を上げることでしょう」


 屈託のない笑みを浮かべながらミゼンが言った言葉を、華はざらつく思いで聞いた。


——は!? 自分のお兄さんが戦に行くのに心配しないなんて。やっぱりコイツ嫌いっ! っていうか今話しかけないでよ、邪魔男っ!


「……ミゼン王子殿下は、ヨハン王子殿下が心配ではないのですか?」


 あ。言っちゃった、と思いながらも、華は敢えてミゼンから視線を外しながら続けた。


「私の姉、ハンナは。弟の出征を心から心配してくれています」


 蒼壱、心配かけてごめんね。必ず無事で帰って来るから。

——でもまず今はヨハンの奴をとっちめてやらないと気が済まないけど! あいつ、蒼壱を虐めるだなんて、一体どういうつもり!?


「兄上はお強いですから。心配しようものならお怒りになるでしょう。しかし、僕はアオイのことは心配しています」

「それは光栄の至りですね。私などが殿下に心配して頂けるとは」


——なにそれ、どういう意味!? 私が弱そうだって言いたいの!?

 華はミゼンを張り倒したい衝動を必死に抑えながら答えた。今はアオイに扮しているのだから、下手な事をしたら蒼壱に迷惑がかかるばかりか、公爵家が潰され兼ねない。


「勿論。我が王家は代々忠義心の厚いランセル公爵家の支えがあってのものですから。有能な者を大切にするのは当然の事です」


ミゼンの言葉に、華はあからさまにカチンときた顔をしたが、直ぐに笑顔を向けてこう言った。


「王を支え、お仕えするのは当家の誇りですから!」


あくまでも、『王』だ。『王子』ではない、つまりはあんたなんかに仕える気はない! と華は精一杯の皮肉をミゼンにぶつけた。ミゼンは顔色一つ変えずに華の言葉を聞き流すと、ニコリと微笑んだ。


「今日は冷たいですね。出征前で気が立っているのですか?」


 すっとミゼンが華の耳元に唇を近づけた。華は必死になってぶん殴りたい衝動を抑え込む。


「……ねぇ、ハンナさん」


 ミゼンは華の耳元でハッキリとそう言うと、パッと離れて微笑んだ。


「……え?」

「では、僕はこれで失礼しますね」


 唖然とする華をその場に残し、ミゼンはすっと歩いて壇上へと戻った。父王の傍らで無邪気な少年のような笑みを浮かべて談笑している姿が見受けられる。


——嘘。ミゼンが気づいただなんて。


 二人の入れ替わりはディードにもお墨付きを貰う程に完璧だった。現に公爵夫妻も全く気づかなかったし、邸宅の使用人も誰一人として気づいていないはずだ。二人を日頃から知っている者達が気づかないのであれば、当然ながらこの場に居る貴族たちにもバレるはずがない。


 華は唇を噛みしめて、ヨハンと蒼壱を見つめた。


——ミゼン。やっぱり嫌な奴! どうしよう、蒼壱に相談したいけれど……。

 しかし、今下手に動くとミゼンが周囲に、二人が入れ替わっている事をバラす危険がある。それだけは避けたい。

 とはいえ、ヨハンと華の留守中、蒼壱にミゼンが接触することは明らかだ。何を企んでいることか考えも及ばないが、事前に蒼壱に伝えておくことで、賢く慎重な性格の蒼壱ならばミゼンの悪だくみを回避できる可能性が高い。


 華は近くに居た別の騎士に断って席を外すと、蒼壱に届けて貰うメモを書く事にした。





 ——一方、蒼壱はというと、押し黙るヨハンの隣で気まずい思いで俯いていた。


「先日は……すまなかった」


 皆が踊る様子を見つめながら、ヨハンがぼそりと蒼壱に言った。蒼壱は何のことだと考えた後、華がしでかしたお茶会での粗相を思い出し、サっと顔を青くした。


「こ……こちらこそ、とんだ粗相をしでかしまして!」

「謝罪を受け入れてはくれまいか」


ヨハンの言葉の意味が分からず、蒼壱はポカンとして「え?」と、呟くように言った。ヨハンはうんざりした様にため息を洩らして、チラリと蒼壱に視線を向け、直ぐに外した。


「……私からの贈り物を全て拒否していると聞いた」


——華ってば、なんてことを!!


「も、申し訳ございません。そ、その。弟の出征が決まりふさいでおりまして!」


 蒼壱は苦し過ぎる言いわけを無理やりに発したもので、ヨハンに合わせる顔がなく顔を背けた。

 ヨハンにはそれが拒絶であると受け取って、これ以上の会話はしないほうが賢明であると判断した。

 シンと押し黙ったままでいる二人の様子を、招待客達も奇異の目で見つめている。その視線に晒され続けているのが苦痛になって、蒼壱はぎゅっと拳を握り締めた。


——折角ダンスの練習をしたのに、全部無駄になってしまった。これなら、華と入れ替わる必要だって無かったのに。

 けれど、もしも俺じゃなく華がこんな状況に陥っていたとしたら……?


「……殿下は、何故私を嫌うのです?」


 ポツリと問いかけた蒼壱の言葉に、ヨハンは答えなかった。


 蒼壱は自分がではなく、華が無視されたのだと思ってヨハンに腹が立った。お茶会でのヨハンの態度についても横暴であることに違いないと怒りが沸いた。


——無茶苦茶なところはあるけれど、華はいい子だ。華を傷つける様な奴は、例えゲームの中のキャラだろうと何だろうと決して赦さない。


「アオイは有能な騎士ではありますが、『王』の臣下です」


 それは暗に『騎士アオイは未来の王に仕える臣下であるのだから、まだ王子であるヨハンの兵として扱うな』という牽制だった。

 これから暫く華はアオイとしてヨハンの側に居る事になるのだ。ハンナには冷たいヨハンでも、アオイ相手には友好的なはずだ。ゲームのストーリー上でも同じ師匠から共に剣を学ぶシーンがあり、二人はこれから親友になるという設定だった。


「無論だ。此度は同志として扱うつもりだ」

「どうかそのように」

「……そなたらは、仲睦まじい姉弟なのだな。心底羨ましく思う」


 ヨハンの言葉に、蒼壱は顔を上げた。そして、寂しげに微笑むヨハンの顔を見て、チラリと壇上で国王と談笑するミゼンの姿を見つめた。


——この人が何故ハンナに冷たいのかは分からない。けれど、実の弟から憎まれる悲しみを負っていることは同情できる。

 蒼壱はそう思って、唇を噛みしめた。


 出征する騎士達が一曲踊り終え、皆パートナー達の前で片膝をつき、無事戻る事の誓いを立てていた。蒼壱もヨハンに何か言わなければならない立場であったが、ヨハンの事よりも華が心配でならず、整列する騎士達の中に居る姉の姿を見つめた。


 華は誰よりも勇ましく見えた。蒼壱と目が合うと、僅かに微笑んで頷いて見せ、『大丈夫、任せて!』と彼女は言っているのだと蒼壱は理解した。


 婚約者だというのに声を掛ける事もしない蒼壱の側を、ヨハンは無言のまま離れると、パッとマントを翻して正門へと向かった。討伐隊の騎士達もそれに続き、王宮中から激励の声が轟いた。

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