第10話 不穏なる王室

 出征パーティーでのハンナに扮する蒼壱の様子が、美しく聡明で品よく華やかであったと評されて、公爵夫妻は娘の輝かしい社交界デビューに鼻高々となり、調子に乗って蒼壱を様々なパーティーへと連れまわした。

 蒼壱はうんざりとしつつもそつなくこなし、ハンナ令嬢の評価は右肩上がりとなっていった。

 ゲームでのハンナはといえば、悪役令嬢さながらの性格で、高慢な態度が仇となって数々の粗相を繰り返していたものの、宰相である公爵を父に持つが故に周囲は耐え忍ぶしかないという設定だった。


「アオイ様。ハンナお嬢様よりこちらをお渡しする様仰せつかっておりました。お渡しするのが遅れて申し訳ございません」


ディードが蒼壱へと差し出した手紙を受け取ると、蒼壱は「ありがとう」と礼を言いながら片眉を吊り上げた。

 受け取った手紙が嫌にボロボロだったからだ。

 泥がつき、ワイン染みに汚れている上に封が破れかかっている。


「どんな状況になればこうなるの?」

「それがですね……ハンナお嬢様がお預けになった王宮の執事から私が受け取ろうとした際に、第二王子殿下とぶつかりまして、ワインを零してしまわれたのです。慌てて拭こうとした時に、殿下が手紙をお踏みになり、その時どうやら足の裏に手紙がくっついたままであった様で、忽然と消えた手紙を探すのに苦労致しましたけれど、中庭に落ちているところを見つけ出した次第です。乾くのに暫く時間を要しまして、お渡しするのが遅くなってしまいました」


 途中から説明の意味がよく分からなくなりつつ、つまり、第二王子のミゼンが全部悪いってこと? と、蒼壱は苦笑いを浮かべた。

 パリパリになった封を開けて中の手紙を開くと、ワインと泥で文字がすっかりと滲んでしまい、何が書いてあったのか全くもって判別がつかない。


——華は俺に何を伝えたかったのだろう。わざわざ手紙にするくらいなのだから、緊急の要件であったに違いない。


 扉がノックされ、廊下から使用人が蒼壱へと声を掛けた。


「ハンナお嬢様、王宮の馬車が到着いたしました」

「解った。今いくよ」


 今日は王命で王宮に招待されている。宰相である公爵が国王相手に娘自慢をしまくるので、国王としては第一王子の婚約者の様子を見たくなるのも当然だろう。


「ハンナお嬢様と入れ替わってようございましたね」


 ディードの言葉に蒼壱は渋い顔をした。


「良かったのかなぁ……」


 いくら双子とはいえ、男性が女装するには随分と労力を必要とするものだ。化粧が厚めであるのは勿論の事、髭が伸びるのも気を付けなければならない訳だが、そこは流石乙女ゲーの世界と言うべきか、何故か髭が伸びて来ない。

 とはいえ、喉仏を隠す為に首元までのドレスは必須だし、筋張った手を隠す為に常に手袋は欠かせない。頬の骨格を隠す為に髪型の工夫は勿論の事、仕草やちょっとした話し方等も意識しなければならない為、蒼壱は相当なプレッシャーに晒されているのだ。

 無口でもある程度まかり通るのは、悪役令嬢というゲーム上の設定のお陰なのかもしれない。


「魔物討伐も順調なご様子で、もう間もなく終えるとの事ですよ」


ディードが蒼壱の髪を整えながら言い、蒼壱は僅かに俯いた。


「そう。それは良かったけれど」

「ハンナお嬢様の活躍が目まぐるしい様です」


 確かに、ゲームでも騎士アオイは立派な武功を上げたということになっていたけれど、と蒼壱はため息をついた。


 自分は男なのに、こんな安全なところで女装なんかして何をしているんだろうと情けなくなった。出来る事と言えば、華の代わりに評判を得る事程度なのだから、それくらいしっかりやらなければ、と唇を噛みしめた。


「さあ、出来上がりました。どこから見ても完璧な仕上がりでございます」


 ディードの腕はぴか一だ。少々化粧が濃いものの、鏡に映った蒼壱の姿はそれはそれは美しいものだった。


「有難う、ディード。それじゃあ行って来るね」





 馬車に揺られて王宮へとたどり着くと、王との謁見をすべく長い廊下を父である宰相にエスコートされながら歩いた。


「ハンナ。随分と背が伸びた様だが」


 父の突っ込みに蒼壱はハッとして、「今日の靴はヒールが高いので!」と誤魔化した。


「声も掠れている様だが、風邪でも引いたか?」

「ゲホンゲホン! 少々風邪ぎみです」


——何? この赤ずきんと狼みたいなやり取り……。


「ランセル公爵!」


 前方から愛嬌のある笑みを浮かべながらミゼンが歩いて来ると、アオイの父である公爵へと声を掛けた。

 公爵は会釈をし、蒼壱も慌てて膝を折った。


「国王陛下との謁見ですか?」


ミゼンは愛嬌のある笑みを浮かべ、チラリと蒼壱へと視線を向けた。


「当家の長女ハンナを連れての拝謁です」

「成程。父上がそわそわとしていたのはそのせいですか。待ち切れないと言わんばかりのご様子でしたよ」

「少々娘の自慢が過ぎた様で……」

「そうでもないでしょう。昨今のハンナ嬢の評判ときたら、王宮内でももちきりですから」


 ミゼンはニコリと微笑むと一歩進み出て、蒼壱を覗き込まんばかりに見つめた。


「このような麗しい婚約者殿を残して戦地へと赴いては、兄上はさぞ気が気ではないことでしょう」


 ミゼンの物言いに、『それは娘が他の男にたぶらかされる様な女だと侮辱しているのか』と公爵はムッとした。

 公爵が不快に思った事を察して、ミゼンは慌てたように訂正の言葉を述べた。


「いえ、誉め言葉をはき違えないでください。僕もハンナ嬢の美しさに当てられてしまったようで、失言でした」


 第二王子までも虜にするとは、うちの娘はなんと素晴らしい。と、公爵はすっかり気を良くして、「とんでもございません」とにこやかに答えた。その隣で蒼壱は『親ばか』と、心の中で呟いた。


「聞けば、アオイ殿も戦果を挙げているとの事。王家はランセル公爵家という強力な守護神を得て幸運です」


 長男のことまでも褒められて、親ばか公爵はすっかりご満悦の様だ。隠しきれずに満面の笑顔を浮かべると、『そうでしょう!』と言わんばかりに「恐縮です!」と声を張り上げた。


「お父様。国王陛下をお待たせするわけにはまいりません」


 蒼壱の言葉に公爵は「うむ」と頷くと、ミゼンへと再び会釈をした。


「引き留めてしまってすみません。どうぞお進みください。僕も同席するよう仰せつかっております故、後程謁見の間にてお会いしましょう」


 ミゼンがすっと一歩退き、王宮の奥へと促した。蒼壱は公爵にエスコートされながら謁見の間へと続く廊下を再び歩み始めた。

 その背に、ミゼンが小さく言葉を浴びせる。


「本当に、お美しい限りです」


 嫌にその言葉が鼻につくな、と蒼壱は眉を寄せ、僅かに振り返った。ミゼンと目が合うと、彼はそっと人差し指を唇に押し当てる仕草をした後、微笑みを浮かべて立ち去った。

 

 控室で謁見の準備が整うのを待つ間、蒼壱は公爵を観察した。


 オルヴァ・ランセル。ゲーム中の設定上父親であるわけだが、とてもではないが十七歳の子を持つ親とは思えない程に若々しい。


 悪役令嬢ハンナは以前から公爵にとって目に入れても痛くないという程に溺愛している愛娘だった。王室を支えるランセル家の性質上、王の跡取りの婚約者にハンナがなるのは決定事項で、王に仕えるのもまたアオイの役目だ。その流れでいけば、アオイは父であるランセル公爵同様宰相となるはずなのだが、公爵はまだ三十六歳と、随分と若い。

 宰相として有能である公爵に王が絶大な信頼を寄せており、また、王宮内外でも人望の厚い彼を早々に手放すはずもなく、嫡男であるアオイが剣術に明るかったことを理由に、ゆくゆくは近衛に起用することになったのだ。

 公爵の心情はなかなかに複雑なのかもしれない。ランセル家としては誇りを持てるものの、息子が宰相となる道を自らが閉ざしてしまったのだから。


「今日は随分と静かだな」


 ポツリと公爵が蒼壱へと声を掛けた。


「ヨハン第一王子殿下を心配しているのか? ハンナは彼を随分と慕っているからな」


 『別にもう好きでもなんでもない』なんて言ったら、公爵はどうするだろうかと考えながら、蒼壱は小さくため息をついた。


「アオイも心配です」


 正しくは、『華だけ心配』なんだけれど。と、心の中で思いながら、蒼壱は俯いた。


「アオイの剣の腕ならば、そこらの魔物程度に破れるものではないとも」


落ち込んでいる娘を励まそうと言った公爵の言葉に、蒼壱は首を左右に振った。


「存じ上げてはいますが、それでも心配です」


 アオイが宰相の任を継ぐのであれば、魔物討伐になど駆り出されることも無かったのだ。蒼壱に公爵を責める意図はなかったものの、公爵は責任を感じて頷いた。


「ハンナの言う通り、私も心配しているとも。アオイには苦労をかける」


 控室の扉がノックされた。どうやら謁見の準備が整ったようだ。

 公爵にエスコートされながら蒼壱は控室を出ると、重工で立派な謁見の間の扉を前にして僅かに緊張した。


 謁見の間に足を踏み入れて首を垂れると、国王は「顔をあげなさい。折角の美しさを余にも見せてくれ」と言い放った。公爵に促されて顔をあげると、にこやかな笑みを浮かべる王の傍らに、第二王子ミゼンと、ミゼンの母である王后が澄ました顔をして座っていた。


 第一王子ヨハンの母は病弱で、ヨハンが幼少の頃に他界しているという設定だ。とはいえ、ヨハンとミゼンが一歳しか歳の差が無い事を考えると、王の傍らで澄ましている王后に不自然な印象を受けるのは仕方のないことだろう。

 ゲーム中でもミゼンの母である王后が、ヨハンの母を毒殺したというエピソードに触れたのも確かだ。ヨハンを身籠った前王后を、母体ごと殺そうとして失敗したというなかなかに恐ろしい話だ。

 ミゼンの母は、聖女であるヒロインとミゼンを婚約させ、ミゼンに王位を継がせたいが為に、ヨハンルートでは邪魔役として登場する。悪役令嬢ハンナ以上にヨハンルートでは強力な敵が多い為、難易度が高いという設定だ。


——だとしたら……。ヒロインが現れる前である今、ミゼンの母はランセル家の令嬢であるハンナをミゼンの婚約者に迎えたいと考えているのかもしれない。


 蒼壱は淡々と王に挨拶の言葉を述べると、早々にこの場を立ち去りたい気持ちを押し込んで、当たり障りの無い様に振舞った。


「オルヴァが自慢したくなるのも分かるな」


 王がランセル公爵の名を呼んで満足気に微笑んだ。


「ヨハンは良い婚約者を持ったものだ」


 王の言葉に蒼壱が恐縮の意を示す前に、王后が笑い声をあげた。


「しかし、なぜパーティーでは二人踊らなかったのです? 皆注目していたのですよ」


——知るか!

 と、言いたくなった蒼壱は心の声を押えながら、「殿下が初出征を前に緊張しておられましたので」と当たり障りが無さそうな回答をした。


「羨ましい限りですね。ミゼンにも、ハンナ嬢の様な素晴らしい婚約者が居れば良いのですが」

「オルヴァに娘が二人居れば良かったのだがな」


国王の冗談に蒼壱は自分の存在を否定された様な気分で笑えなかった。父であるランセル公爵も気分を害したのか、愛想笑いを浮かべながらも無言であった為、王后は開いた扇子をそっと口元に当て、わざとらしく眉を寄せた。


「陛下、ランセル公爵にはご立派な嫡子がいるではありませんか」

「……うむ。オルヴァよ、余の失言だったな。余はぬしの嫡男アオイも国の宝と思っているぞ」


 とってつけた言い回しが癪に障ると蒼壱が思った時、兵士が慌ただしく謁見の間へと駆け込んで来た。伝令兵であることが服装から分かったので、魔物討伐隊の戦況報告だと理解した上で、国王は「申せ」と促した。


「西部に発生していた魔物を全て鎮圧。討伐軍は被害少なく大勝利を収め帰路につくとのことです」


 伝令兵の言葉に王は満足気に頷いた後、公爵と蒼壱を見つめた。


「予定より早くの凱旋となりそうだな。アオイの健闘を祝う準備をせねばならんだろう」

「出征前より準備を進めておりました」


公爵の言葉に王は笑うと、「余もぬしを見習わねばな」と頷いた。

 ヨハンに対する王の冷たさを感じて、蒼壱は怪訝に思った。自分の嫡男が大勝利の凱旋をするのだから、もっと嬉しそうにしてもいいはずだというのに、どこか興味が無さそうな印象を受ける。

 ミゼンも王后も表面上嬉しそうな顔をしただけで、愛想笑いの様ににこやかに微笑む姿が不気味にすら見えた。


——ヨハンは、常に敵の中に身を置いて孤独に戦っているのかもしれない。

 と、蒼壱は思いながら、唇を噛み締めた。

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