第6話 発作

 ゼーゼーと呼吸をする度に蒼壱の喉から異音が響く。華は蒼壱が横たわるベッドの横に膝をついて、唇を噛みしめた。


——こうして発作を起こした蒼壱の側で、何もできずにただ見守るだけの時間が一番嫌いだ。

 できることなら、性別なんかの理由じゃなく健康を理由に蒼壱と身体を交換したい。双子なのに……私は蒼壱の分まで元気を吸い取ってしまったんじゃないかってくらい頑丈で、それがどうしようもなくやるせなくて堪らない。

 蒼壱は男の子だから、きっと私なんかよりもずっともどかしく思ってるだろう。せめて双子でなんか生まれて来なきゃ良かったのに。普通の姉弟として生まれたのなら、ここまでお互いを比較し合うことも無かっただろうから。


「……華?」


 蒼壱が掠れた声を放った。


「うん、ここに居る。今お湯を沸かす様にお願いしたから、もうちょっとだけ待ってね。少し空気が乾燥してるもの」

「参ったね、ゲームの中なら大丈夫だと思ったのに。どうやら脳が俺の状態を覚えちゃってるみたいだ」

「一瞬で良くなんかなるわけないよ。でも、もしかしたら何かいいアイテムが見つかるかもしれないね。ゲームなんだから」


 華はくすくすと笑うと、蒼壱の額に濡れタオルを置いた。


——こっちの世界でも華の世話になるなんて、なんて情けない……。

 と、蒼壱は込み上げる涙を必死に抑え込もうと唇を噛みしめた。

 そんな言葉を口にしようものなら、華はきっと怒るだろう。それが予測できるからこそ、尚更に泣き言を言う事ができない。

 不甲斐ない自分に腹が立つ。俺は男なのに、どうしてこんな身体で生まれて来たんだろう。華はきっと、俺みたいなお荷物な弟なんかより、一緒にスポーツが出来る様な弟が欲しかったに違いない。

 華が女子高を選んだのは、俺と同じ高校に行きたく無かったからだろう。俺みたいなお荷物の弟なんか誰だって嫌に決まってる。

 せめて、双子じゃなく普通の姉弟として生まれて来たら良かったのに……。


「蒼壱? 苦しいの?」


 押し黙る蒼壱を心配に思って華が声を掛けると、蒼壱は慌てて首を左右に振った。


「いや、もう大分楽になった。平気だよ」


ほっとした様に溜息を吐いた華を申し訳なく思いながら蒼壱は見つめた。


「……ヨハン王子とのお茶会はどうだったの?」


 蒼壱の言葉に、華は顔を思いきり顰めてみせた。


「さ・い・あ・くっ! あんなのが好きだなんて、ハンナってばどうかしてるんじゃないの!?」

「華、ハンナは自分じゃないか」

「私、あんなのになんかに絶対に惚れないしっ!! 思い出しただけでも腹立つぅっ!!」


両手の指をワキワキと動かしながら怒りを露わにする華に、蒼壱はきょとんとした。


「……一体何があったの?」

「『茶がぬるい!』って大暴れ。昭和の頑固親父かって!」

「なにそれ……?」

「さっぱりわかんない! お茶会だなんて、来たく無いなら最初からそう言って断れば良くない!? 不機嫌丸出しであんたは何様よ!? って感じっ!!」


蒼壱はくすくすと笑うと、「それは災難だったね」と、呼吸を正しながら言った。


「仕方ないよ。この世界の設定上、ヨハンはハンナを嫌っているからね」

「なんで嫌ってるんだっけ?」


 蒼壱はチラリと華が身に纏うやり過ぎドレスを見つめた。蒼壱の視線を追って華も自らの装いを見下ろし、苦笑いを浮かべる。


「こんな服着てる女嫌いだよね……」

「まあ、それだけじゃないと思うけれど。悪役令嬢ハンナは、あのゲーム上の性格も最悪だったじゃないか。妬んでヒロインに意地悪をするような悪質な女性を、誰も好まないと思うもの。社交界でも嫌われ者っていう設定だったし」

「まあ、悪役だしそうなるか。でも、私の事が嫌いでも別に構わないけどさぁ。傍若無人っぷりが酷すぎるよ。使用人達にまで当たり散らすことないじゃない。あんな性格なら、ヒロインのヒナだって愛想つかすって」


 『ヒナ』の名前が出た事に、蒼壱は思わずドキリとした。華にそれを悟られないように、蒼壱は乾いた笑いを発すると、ケホケホと咳き込んだ。

 華は何も言わず、手慣れた様に蒼壱の胸の上を優しく撫でて、咳が収まるのを静かに待った。


「……早く帰りたいね」


 華の言葉に蒼壱は頷いた。


「薬が無いと思うと、それだけで心配だよ。しかも、俺は設定上騎士になるわけだしね。これからも剣の稽古はいくらでもあるだろうし、その度に発作を起こしてたんじゃ、騎士だなんてなれそうもないからね」

「ひょっとして、このゲームがエンディングを迎えるまで私達は帰れないのかな?」

「そうかもね。他に脱出する方法なんか思いつかないし」

「このまま帰れなかったりして」


 華は自らの発言にゾッとして狼狽えた。


「お父さんとお母さん、きっと心配するよね? 学校だって長く休んだらヤバイでしょ?」

「そもそも、俺達の身体ってどういう状態なんだろう? 夢を見て眠ってるのか、それとも肉体ごとこっちに転送されてるのか」

「……死んでたりして」


 二人はシンと沈黙し、少しの間どちらかが発言するのを待った。痺れを切らしたのは華で、「な、なんてね!」と、上ずった声を発しながら苦笑いを浮かべて見せる。


「なんにせよ、暫くはこの世界に居なきゃならないと想定して行動するしかなさそうだね」

「そうだね……」


 華は「ああっ!!」と、声を上げてガクンと俯くと、「ヨハン、さっさと婚約破棄してくれないかなぁっ!」と嘆いた。


「よっぽど嫌いなんだね」

「当然だよ! あんな冷血王子なんて、誰が惚れるかって! 嫌い過ぎて吐きそうっ!」


 華の言葉に蒼壱はくすくすと笑いながら、華は恋愛にそもそも興味が無いじゃないかと思った。


「ねえ蒼壱、他のキャラ達って今どうしてるのかな? ヒロインもさ」

「一度四キャラをコンプリートした状態で終わってるから、恐らくストーリーは最初に戻ってると思うけど」

「そっか、隠しキャラが居るって発覚したところで力尽きたんだもんね」


 二人の脳裏に浮かぶ真っ黒な背景に『隠しキャラのルートが開放されました』という絶望的な白い文字。人を小ばかにしたような可愛らしいフォントに思わずコントローラーを投げつけたくなったが、体力が先に限界を迎えた。


「隠しキャラとかホントどうでもいい……」

「一体どんなキャラだったのかは気になるけれどね。このゲーム、なかなかにヒロインと攻略対象との分岐ストーリーが凝ってたから」

「今ヒロインってどこに居るんだろう?」

「まだ登場前じゃないの? 俺……アオイ・ランセルも、騎士になっていない見習い状態らしいし」

「ヒロインの登場シーンってどんなだっけ?」


 華の発言に蒼壱は苦笑いを浮かべた。


「……華、四回も見てるのに覚えてないの? オープニングムービーで、ヨハンの凱旋パレードの最中に空から舞い降りるはずだけれど」

「二回目以降はムービーもすっとばしてたじゃない」

「あー、そうだったかも」


 華と蒼壱はゲームのオープニングムービーを思い出した。


 魔物討伐に向かったヨハンは、無事任務を終えるものの、討伐隊に甚大な被害を負っての帰還となった。

 強い神聖力を持って生まれてきたはずのヨハンへの不信の声が囁かれ、凱旋パレードはまるで葬列の様に静まり返っていた。

 ヨハンが神に救いを求めるかの様に空を見上げた時、異世界の少女ヒナが空から舞い降りてくるのだ。

 負傷した騎士達の傷を聖なる力を持って癒したヒナは、聖女と呼ばれ瞬く間に国を越え隣国にまでその名が知れ渡る事になる。


「ヨハンは魔物討伐でこてんぱんにされちゃうわけか。それはちょっと可哀想だね」


 華はため息をつくと、ベッドの上に頬杖をついた。


「私、ヒロインを虐める役なんてやりたくないなぁ」

「ライバルがいるからこそ頑張れるわけだから、ヒロインの成長には大事な役なんだけれどね」

「単独走行じゃなく競争させた方がいいタイムが出ますって?」

「例えが華らしいね」


クスクスと笑う蒼壱を見つめながら、華は蒼壱の発作が少し治まった様だと安心してふっと微笑んだ。


「私、蒼壱と一緒でホントに良かった。一人でこんな世界に迷い込んでたらと思うとゾッとするもん」


——蒼壱を一人になんかできない。


「俺こそそう思うよ。華が一緒にいてくれて心強いからね」


——華に心配をかける訳にはいかない。


 二人はそう思いながら、ニコリと微笑み合った。

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