第5話 冷酷王子ヨハン

 庭に設置されたテーブルの上に、真っ白なクロスを掛け、薄水色のランナーが敷かれている。白磁に銀で縁どられたおしゃれな食器が置かれ、色とりどりの花が籠にアレンジされて飾りつけられていた。


——わぁ……お洒落な貴族様のティーパーティーって、初めて見た。


華はポカンとしながら、使用人達がいそいそと準備を進める様子を見つめており、何をすべきか分からず手持無沙汰の両手をぎゅっと握りしめた。


「もうすぐヨハン第一王子殿下がいらっしゃいます。お嬢様、しっかりしてくださいませ! 一体今日のお嬢様はどうなさったというのです!? いつもでしたら私共に事細かく指示されて、毅然とされていらっしゃるというのに」


ディードが瞳を三角にしてキャンキャンと吠えた。

 朝食の後、蒼壱と話そうと思ったところを、蒼壱は騎士の鍛錬に、華は王子を持て成すお茶会の準備にと引き離され、今こうしてされるがままになっているという状況だ。


「ねぇディード。王子様って何しに来るの?」


 『面倒くさい』と顔にバッチリと書いたまま華はディードに問いかけた。


「何しにも何も、ご婚約者様であらせられるハンナお嬢様に会いにいらっしゃるに決まっているではありませんか」


——そうだった。このゲームではヨハン王子と悪役令嬢のハンナは婚約者同士だった。ヨハンって堅物であんまり好きじゃないのに……。

 と、華はゲーム上のヨハンの様子を思い浮かべた。生真面目な男であるヨハンがヒロインのヒナに対して、照れながらも甘い言葉を囁く姿は、恋愛というものに拒絶反応を示す華にとって、鳥肌が立つ思いで見てしまうのは致し方のない事だった。


「私、あんまり会いたくないんだけど……」

「ハンナお嬢様。殿下がいらっしゃるのをあれほど楽しみにしていらしたというのに、一体どうなさったというのです?」


 華はフト自分の出で立ちを見下ろした。職人泣かせと言いたくなる程に細かいレースをふんだんにあしらい、なめらかで上質な生地には見事な刺繍が施されたドレス。肩がこる程重い宝石が埋め込まれたネックレスや耳飾り。


「いくら楽しみでも、やり過ぎじゃない? 香水も臭くて鼻が曲がりそうだし、こんなの淑女と言える!?」

「冷静なご判断ができるのは素晴らしいことです」


——ねぇディード。それはディスってるって言うんだよ?

 つまり、悪役令嬢ハンナは周りが退く程にヨハン王子に恋い焦がれ、やり過ぎを通り越す程に着飾っているというわけだ。


「そもそもどうして王子と婚約なんかしたの?」

「何を仰っていらっしゃるのやら。お嬢様が公爵様に駄々をこねて強引に婚約されたのではありませんか」


 そういう設定だったのか、と華は考えてため息を吐いた。

 蒼壱がプレイしている横で眺めていただけだから、細かいところまでは覚えていないという事が厄介だ。


——そういえば、悪役令嬢はどういう最期を迎えたんだっけ?

 と考えて、華は唇をへの字に曲げた。


 ……全っ然思い出せない。


 薄っすらと記憶にあることと言えば、聖女であるヒロインに嫌がらせを働いた罪で、周囲から猛反発を受け、少なくともヨハンとは婚約破棄されたというところくらいのもので、そもそもヒロインがどの攻略対象と結ばれるかによっても、ハンナの最期は変わった様な気がする。

 それならば、つまりは双子の弟である騎士アオイはともかく、他の攻略対象含め、ヒロインとの接触も避けるのが華にとって最も安全な道だろう。そもそもこの世界にいつまで居るのかも分からないのだ。


「面倒くさいなぁ。婚約なんかさっさと破棄してくれたらいいのに」

「私もそう思います」


 華の発言に間髪を入れずにディードが答えた後、小さく咳払いをして「失礼」と誤魔化したので、華は意外そうな顔をしてディードを見つめた。


「ディードは私の婚約に反対なの?」


 私というか、『ハンナ』のだけど。と、心の中で付け加えながらディードを見ると、彼女はつい迂闊な発言をしてしまったと片眉を下げた後、小さく頷いて見せた。


「どうして?」

「怒らずに聞いてくださいますか?」

「うん。勿論」

「殿下に告げ口も無しですよ?」

「大丈夫。絶対言わないよ」


 ディードは躊躇いながらも、意を決した様に口を開いた。


「……殿下は、お嬢様に大変冷たく存じます」


 ディードの言葉に、華は「え?」と、小さく声を発した。


 確かにゲーム中でも婚約者同士という割に、ヨハンとハンナの仲睦まじい様子は一切描かれていなかったようにも思える。主人公のヒロイン目線である為、悪役令嬢のハンナについては所詮ライバル役だからだと思っていたが……。


「お嬢様、第一王子殿下の馬車が到着されました」


 執事の声にディードと華が二人揃って顔を向けたので、執事は僅かに戸惑いながらも、スッとお辞儀をした。

 華が来客を出迎える為立ち上がると、近衛に守られながら中庭へと脚を踏み入れる金髪の男性の姿が目に入った。


 サラサラの前髪が太陽の光で煌めき、エメラルドグリーンの瞳は長い睫毛で縁どられ、きりりとした眉は威厳すら感じる。白地の詰襟に群青色のマントを羽織り、腰には長剣を吊っていた。

 ヨハンは華と目が合うと、僅かに笑みを浮かべたが、それは冷笑と言っても過言ではない程に冷たい表情だった。


 華は頭が真っ白になった。ヨハンが訪れた時、歓迎の言葉を述べるようにと事前にディードから言われていたというのに、言葉が全く出てこなかった。

 もしも失言をしようものなら、近衛が……いや、ヨハン自らがその腰に吊っている剣を以て斬りつけ兼ねないとも言わんばかりに殺気立っていたからだ。


「……私をずっと立たせておくつもりか?」


 ヨハンの言葉にハッとして、ディードが慌てて席へと促し、執事が椅子を引いた。優雅とは言えない程にドカリと音を立てて椅子へと腰かけると、ヨハンのすぐ側には二人の近衛が君主を守らんと仁王立ちした。

 とてもではないがお茶を楽しむ雰囲気ではない。


「ハンナお嬢様」


 ディードに声を掛けられて、華が慌てて「ごめんあそばせ!」と、上ずった声を洩らして椅子へと掛けると、ぎこちない空気の中お茶会が始まった。


 何か話をしなければと思いながらも、華は緊張し、ティーカップを持つ手もカタカタと震えた。ヨハンはというと、無言のままカップに口をつけ、優雅に一口含んだ後、じっと冷たい視線を華へと向けた。


 何か気にいらない事でもあったのかとビクリとする華から視線を外し、ヨハンはディードに向かって「ぬるいな」と言って、カップをティーソーサーの上に戻した。


「私に対する嫌がらせか?」

「そんな! 滅相もございません!! すぐに淹れ直します!」


ディードが慌てて謝罪した時、ヨハンが素早く立ち上がって剣を抜いた。剣先をつきつけられたままディードは唇を噛みしめ、覚悟を決めたかの様に瞳を閉じた。


——え? 何?? 何が起こったの? お茶がぬるいって、どういうこと? 全然ぬるくなんか……。


「私に対する不敬とみなす。覚悟せよ」


 華が唖然として見つめる前で、ヨハンは剣を持つ手に僅かに力を入れた。


 パリン!! と、陶器が割れる音が鳴り響いた。華が投げつけたカップがヨハンの剣を弾いたのだ。


「嫌がらせはどっちよ!? ぬるいくらいで何だっての!?」


 怒鳴りつける華を見つめながら、ヨハンは小首を傾げた。

——よく、狙いたがわず剣にカップを当てたものだ。偶然か?


 華は立ち上がり、ディードを庇うようにヨハンの前へと赴くと、キッと睨みつけた。


「嫌々来たからってこんな態度はあんまりなんじゃないの!? 人の上に立つならもっと皆に気遣いできてこそでしょ! あんたみたいな人が王子だなんて、この国の人達は皆可哀想!」


 華の発言に邸宅の使用人達は皆あんぐりと口を開けた。一国の王子相手に不敬を働いたのだ。いくら婚約者といえどただで済むはずがない。


「この、冷血暴君王子っ!!」


 華は完全に頭に血が上っていた。


 このままでは自分達が仕えるあるじに危害が及ぶと、ディードが慌てて「お嬢様!!」と、止めに入った時、ヨハンはスッと剣を鞘へと納めた。白い手袋をしたまま口に手を当て、じっと華を見つめる。


「……ふむ」


 ヨハンのその様子は明らかに動揺している様だったが、華はそんな事に気づかずにパッと中庭の門を指さした。


「嫌なら帰ればいいじゃない! お出口はあちら、おととい来やがれでございますわ!」

「お嬢様、いくらなんでも不敬が過ぎます!」

「不敬も何も人ん家来て『茶がぬるい』って剣を抜くバカどこに居るの!? 明らかにおかしなことしてるのはこの人じゃない!!」


——確かに。

 と、華の発言に使用人達が納得した時、ヨハンが小さく「すまぬ」と声を洩らした。


「今日は失礼する。後日改めて詫びるとしよう。見送りはいい」


 そう言い残すと、ヨハンは近衛達を連れて颯爽と華が指さした方向へと去って行った。


 あまりの出来事に思考が追い付かず、使用人達はヨハンの言った通り見送りすら出来ないまま暫くおろおろとしたが、そこへきて華が頭に上った血を急降下させ、わなわなと震え出した。


「ど……どうしよう!? ディード、私殺される!?」

「殺されるかもしれませんね」


ひゅ……と、華の喉を空気が通る音が鳴った。

——ゲームの中で死んだらどうなるんだろ? 痛いかな?


「ですが、私を庇ってのご行為です。殿下も恩情くださいますでしょう。いざとなれば私が斬られに参ります」

「ディードったら、そんな怖いこと言うの止めてよ。ホントにそうなっちゃったら嫌だもの!」


 ディードは眉を上げた。今までハンナの専属侍女として仕えて来たが、ハンナからそうした気遣う様な言葉を掛けられた事が無かったからだ。


「お嬢様!!」


 邸宅から兵士の恰好をした人物が叫びながら駆けて来る様子を見ながら、今度は何? と、華はうんざりしながらため息をついた。


「アオイ様がお倒れに!!」


——え……?

 華はたった今起きた出来事全てが消し飛んで、顔面蒼白となりながら邸宅へと向かって駆けた。

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