第2話 禁忌

——なんだか変だ。


 夕食の味噌汁を啜りながら、華は蒼壱あおいをチラリと見た。蒼壱はというと、箸でご飯を摘んだまま、ピタリと動きを止めて微動だにせず、かれこれ五分は経っている。

 いつもは食事を箸で摘んだまま話をするとお行儀が悪いと叱るくせに、今日の蒼壱は電源が途中で落ちたロボットの様に完全停止してしまっているのだ。


「ねぇ……」


 先ほどから何度か声を掛けているが、全く反応を示さない蒼壱に、華は呆れかえって大きなため息をついた後、キッと睨みつけた。


「あーおーいーぃい!!」

「うえ!? うん!? な、何!?」


 ハッとして答えた蒼壱の箸からご飯がポロリと零れてテーブルに落ちた。


「あ、勿体ない」


と、手で拾って口に放り込むと、蒼壱はそのご飯を飲みこむ前に再びぼうっとし始めたので、華は大きなため息を今度はわざとらしく音を出して吐き出した。


 体調が悪いのかと心配したが、どうやらそうではないらしい。ひょっとして両親が居ない事で、人一倍責任感の強い蒼壱は不安で仕方が無いのかもしれない、と華は自分の適当さを申し訳なく思って、唇を尖らせた。


「ねぇ、蒼壱。何か心配事があるなら言ってね? 私、一応姉さんなんだし」

「え? 心配事? 心配事って……うん……心配だ」


 ——重症だ。


「そ、そうだ蒼壱! 今日は何のゲームやろっか!」


 華は慌てて気分を紛らわせようと話題を振った。夕食後にゲームを二人でやることが子供の頃からの日課だった。大抵は華の好きなアクションゲームが多く、ゾンビやクリーチャーを喜々として打ち倒す華のサポート役を蒼壱が担っていた。


「俺、今日はいいや」

「え!? 金曜日なのに!? は!? なんで!?」


 金曜日の夜といえば、毎週のように明け方までゲームで遊んでいたというのに、と華は素っ頓狂な声を上げた。

 蒼壱はそんな華の様子にハッとして、自分勝手が過ぎたと反省し「いや、冗談!」と、慌てて訂正した。


 蒼壱は発作の度に華に世話をやかせていた。それをずっと申し訳なく思っていたので、普段はできるだけ華に付き合いたいと考えていたのだ。

 華がスポーツ万能なくせにどこの部活にも所属しないのは、口には出さないものの蒼壱の為であると知っていたし、両親が海外出張で不在である今年は、部活の助っ人の依頼も断っているのだ、と蒼壱は薄々気づいていた。


「今日は何にしよっか。あ、そういえば華の好きなゾンビもののリメイクが出て無かったっけ?」

「あ、いいね! じゃあ今日はそれに決まり!」

「宿題はやっつけたの?」

「うん。手強かったけどなんとか。そうだ! 学校に出す書類の印鑑押さなきゃだった」

「それなら、多分母さんの書斎の引き出しだと思うけれど……」


 と、蒼壱はチラリとリビングの隣にある書斎に続くドアへと視線を向けた。華も同じく書斎のドアを見つめる。


「うう。認印くらい出しておいてくれたらいいのに」


両親の留守中、書斎に勝手に入ってはいけないと昔からしつこい程に煩く言われていた為、二人は揃って顔を顰め合った。


「今回は仕方ないよね?」

「うん。他に何も触らなきゃいいわけだし」

「OK! じゃあ一緒に印鑑取りに行こう!」


華の提案に、蒼壱は瞳をひん剥いた。


「へ!? 俺も行くの!?」

「いいじゃん! 付き合ってよ!」


 一人で叱られるのは嫌だ。と、華は強引に蒼壱を巻き込むと、夕食後に揃って書斎へと脚を踏み入れた。


 IT企業の経営者であり、優れたプログラマーでもある母の書斎は照明が落とされているものの、嫌に派手派手しい7色の灯りが、設置されたマシン内から漏れ輝いている。

 クリスマスのイルミネーションは美しいというのに、何故かマシンから放たれるその灯りは下品に見えると、母が漏らしていた愚痴をフト思い出し、確かにその通りだと二人も思った。

 もし、母の趣味が光るパーツ好きなのであれば、今頃キーボードやマシンケース等も七色に輝いて、部屋中をより一層無駄に照らし出していたに違いない。


 その怪しく光る室内をそぅっと抜き足差し足で進んだ華の背後で、蒼壱がカチリと照明のスイッチを入れた。


「ねぇ、わざわざ電気もつけないで入る意味無いよね?」

「え? なんか、雰囲気?」

つまづいいたら危ないよ」

「そうだけどさ、ゾンビものだってわざわざ暗い時に行動するじゃない?」

「俺は華と違って夜目が利かないんだから。そのサーバーの光もやたら目に刺さるし」


 やれやれ、さっさと済ましてしまおう、と蒼壱は印鑑の入っている机の引き出しへと向かった。

 好奇心旺盛な華のことだから、長居すればするだけ余計な事をしでかしかねない。


「ねぇ、蒼壱。これ!」


——ホラきた。


「華、だめだよ。母さんにぶちのめされるよ!?」


「でもホラ、これ!!」


華がディスクケースを蒼壱に取って見せた。

 『SAMPUL』とでかでかと描かれたそのケースの形状からして、いつもプレイしているゲームのメディアの様だ。


「新作のサンプルじゃないの!? ゲームなんか作ってたんだ!? ひょっとして今回の出張もこの為だったりして!?」

「う……うん……」


 瞳を輝かせる華の前で、蒼壱はそのディスクケースを食い入る様に見つめた。


 ケースにはそのゲームに登場するキャラクターと思しきイラストが描かれており、ファンタジー風の衣装を着た男性達を背後に、主人公らしき少女とそのライバル役らしき少女が背中を合わせている絵柄だった。

 蒼壱が見つめているのはその主人公らしき少女だ。


——今朝公園で会ったあの子にそっくりじゃないか。


 食い入る様に見つめたままピタリと動きを止めてしまった蒼壱に、華は小首を傾げた。

 こうも蒼壱がゲームに興味を示すのは珍しいと思ったからだ。いつも華が好みのゲームにばかり付き合わせて申し訳ないと思っていたので、今日は蒼壱が興味を示したこのゲームを絶対にやろう、と華は考えた。

 母には後でちゃんと謝ればいいと、華はにっこりと微笑んだ。


「決めた。今日はこれをやろう!」

「え!?」

「可愛い子供達ほっぽってるんだもん、これくらいいいでしょ」

「いや、可愛くても可愛く無くてもかなり叱られると思うけど。会社で制作してる発表前のものなんじゃ?」

「叱られるくらいいいじゃない。殺されるわけでもあるまいし!」


 そりゃあ、命までは取らないだろうけれど。と、考えて、蒼壱はごくりと息を呑んだ。

 今朝はあまりにも動揺し過ぎて、公園で出会った彼女の名前も何も聞けなかった。分かっているのは、華と同じ学校の生徒だということだけ。

 しかし、恋愛に全く興味の無い華にそんな相談なんかできやしない。真面目に話して笑う様な子ではないけれど、理解できないと困った顔くらいはするだろう。

 ……それに、これ以上華の負担になりたくはない。


「叱られるのは俺の役目だよ。だって、そのゲーム。俺がやりたいんだもの」


 蒼壱は華の手からディスクケースを受け取ると、「悪いけど、付き合ってくれる?」と、にこりと笑った。

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