第十三話 ダーツバー


 琴森を先導させるわけにもいかないので、ドアに手をかける。心臓が早鐘を打ち始めた。澄ました顔で入店すべきなのか。どんな顔して、顔を出せば良いのか。そもそもどうしてここのリンクを機密資料として、日高さんはUSBメモリに用意したのだろうか。


 いきなり視界が揺れ動いて、一歩足を前に出す。


「どーん! 行きますよ!」


 琴森が飛び込むようにして、俺の背を押す。驚いて後ろをチラリと見れば、見たことのない……蠱惑的な笑みを浮かべた琴森の姿が、そこにはあった。

 何を考えているか、分からない。



 暖房が適度に効き、五月蠅すぎない程度のジャズBGMが流れている。背の高い黒染めのカウンターの前には、小さな背もたれの付いたカウンターチェアが並んでいて、その向こう側には、色んな種類のお酒を美味しくいただくための、複数のグラスが並ぶ棚が見える。その隣には、ガラスドアの冷蔵庫が見え、飲んだこともなければ違いも分からない酒瓶が、たくさん並んでいた。


「わぁ……!」


 辺りを見て回る琴森は、カウンターの左方にあるダーツマシンとビリヤードに興味津々である。ネットショッピングで購入した藍色の冬コートを纏い、その下に制服を着る琴森は、すでに浮き足立っていた。


 俺たち以外に、店内に人影はない。


 この店のマスターであり、バーテンダーでもある女性は、グラスを拭いている。テーブルの方へ行くわけでもなく、バーカウンターにも行かない俺たちに気がいったのか、彼女が視線を送った。


「……え?」


 目を大きくさせた彼女が、グラスを落としかけた。それをなんとか持ち直し、頭上のラックへ掛けた彼女が、カウンターから出てくる。


「……今日はもう、閉めるわ。本当に久しぶりね。冷泉くん」


「……お久しぶりです、安曇(あずみ)さん」


 うん?と何が起きているのか分からない表情を見せる琴森を置いて、安曇さんが店の看板を変えに行く。こうやって、大事なときには、突発的にでも貸し切りの状態にしてくれるのが、安曇さんの店の特徴だった。


 外から戻ってきた彼女が、胸ポケットに入れた煙草を取り出して、火を着ける。一服した彼女は、琴森の方へ目をやった。


「……よく分からない、淡緑色の髪の毛の女の子連れて……思い出すわよ。貴方たちが来たときのこと」


 とんとん、と客席の灰皿に灰を落とす。


「……座りなさい。話、聞かせてよ」


 親指を立てて、カウンターの方を指差した彼女に続き、琴森を連れてカウンターチェアに座る。清潔を保たれたカウンターには、黒光りした戦闘機のプラモデルが……飾られている。


 俺たちの会話の内容はともかく、薄暗い照明で演出され、ディスペンサーなどの見たこともない機器を見る琴森は、楽しそうだった。


「……まずは、隣の子を紹介してもらおうかしら」


「……そうですね。こちら、つい最近、俺の……一時的な部下として配属された、琴森詠芽と言います。四硬級鑑別官の新人です」


「えっ」


 ギョッとした顔の琴森を見て、安曇さんが小さく笑っている。


 俺も初めて彼からこのような紹介のされ方をしたときは、ビックリした。鑑別官にはそれぞれ機関から用意されたカバーストーリーがあり、一般的にはそれで自己紹介することが義務づけられているからである。


 普段振り回されているから、こういう悪戯をしたくなった。流石にこのままほっとくのも、可哀想だと、少し笑みを浮かべながら口にする。


「琴森。紹介しよう……ここにいる安曇さん。彼女は、国際無機生命体鑑別機関の元鑑別官だ」


「そういうこと。今はもう引退したけど、たまに活動に参加してるわ。よろしくね。詠芽ちゃん」


 状況に追いついた琴森が、口をすぼめさせながら俺に肘打ちをした。不満げだけど、満更でもない、そんな顔つきをしている。


 カラン、と氷がグラスの中で踊る音が響いた。


「冷泉くんは……何を飲む? 詠芽ちゃんは?」


「えっと、えっとぉ……」


「……琴森は、シャーリーテンプルとかで良いだろう。俺は……彼が……椿井さん、がいつも飲んでいたものを」


「…………そうね。彼のオリジナルは薄めだし……宝石入りだもの。この後の任務に、支えないで済むわ」


 氷の入ったタンブラーグラスに、シロップ、ジンジャーエールを注いで、ステアラーを用いかき混ぜる。ライムジュースを加え、もう一度ステアした後、チェリーを乗せた。


 目をキラキラさせた琴森の前に、コト、と置く。

 次は俺が頼んだ、彼の『ダイアモンドノスタルジア』だ。


 棚の奥深くへ仕舞っていたと思われる、この店でしか置いていないであろう、彼のルール違反で提供された、宝石液の瓶。それを彼女がカウンターの上に取り出して、氷を入れたシェイカーに、アルコール類と混ぜて入れる。ライムを加えて、シェイカーを閉じた彼女は、強く、勢いと静けさを伴って振り始めた。


 芸術的なまでの動きに見惚れていた琴森が、思い出したかのように、シャーリーテンプルをゴクリと飲む。


「わー! 甘くて美味しいです!」


「口に合ったようで良かったわ。詠芽ちゃん」


 シェイカーの蓋を開け、氷の入ったグラスのカクテルを注いだ彼女が、俺の方に差し出してくる。


 甘いアルコールに融け合った宝石が、バーの間接照明に照らされてキラキラと輝いた。揺れる液面は、まるで宝石の面そのもののようである。


 琴森と同じように、一口。


「……昔に比べて、味は分かるようになった?」


「…………ああ。やっぱり、体に馴染んできたらしい。宝石の吐き気を催す様な味より、アルコールや甘みの方が、強く感じる」


「そう……無茶苦茶な技術よね。人間の体に、地球外生命体のモノを馴染ませるなんて。一体、どうやって生まれたのやら。数十年後、おじいちゃんおばあちゃんになったとき、私たちの体はどうなっているのでしょうね」


 肘をつき、手の甲に頬を乗せた彼女が、じっとこちらを見ている。


「でも、宝石投与剤が無ければアルフの侵攻は、食い止められなかったでしょう。あれができた以前と今では、戦い方がずっと違う。研究機関の発明の中でも、宝石武装を超えるトップクラスの偉業だ」


「ま、そういうことね。で、冷泉くん。この三年間、どう過ごしてた? 私の覚えている容姿から、更に大人びちゃって……貴方たちが来なくなってから、ずっと退屈してたのよ。私」


 返答を考えるために、間を持たせようと宝石味のカクテルを呷る。


「……どこまで、聞いていますか?」


 安曇さんが、カウンターに飾られている戦闘機のプラモデルを手に取って、その尾翼を撫でた。原型を留めないほどに改造され、主翼に花のマークが掘られているそれは……喧嘩別れした、彼女の制作物であるという証。


「…………荒れた様子の茶花ちゃんから、少しだけ」


「………………茶花」


 もう一度、カクテルを呷る。味覚を刺激すれば、そちらに思考が向くだろうから。


「あの、冷泉さん」


 左から聞こえてきた明るい声を聞いて、宝石の微睡を一度抜け出す。


「どうした?」


「あの、ダーツやってみていいですか」


「ああ。良いぞ。ルールは知ってるか?」


「映画で見ました」


「そうか。じゃあ、行ってきな」


 わーいと喜びの声を上げた琴森が、シャーリーテンプルを片手にマシンの方へ行く。気を、遣われてしまったのだろうか。


「……殆ど私は知らないわよ。一つ、聞いたのは……東京のダイアモンドが砕けて、代わりのダイアモンドがやってきたってだけ」


「…………」


「貴方たちに何があったかなんて、私は知らない。お酒を呷りながら、錯乱した茶花ちゃんから、どうしようとか、とんでもないことをしちゃったとか、そういう話を聞いただけ。結局、何があったのかは教えてくれなかったけど」


 ここに姫内が来て、そんなことをしていたなんて話は、聞いたことがない。声を絞り出すようにして、安曇さんに返事をした。


「彼女、そんなことを言っていたんですか」


「……そう、よ。まあ、三年前の話だけどね。それから、パタンとお店に来なくなっちゃった。まあ、それは他の人たちも同じだけど」


 姫内茶花。

 俺より二個上の、東京第一鑑別小隊に所属していた隊員。彼女は、宝石装備の整備を担当していたジェムメカニックマンだ。背は琴森より少し大きいくらいで、短く結われたツインテールが特徴的な少女だった。


 明るい性格の彼女は、こちらを小馬鹿にするようなことをよく言う。しかしその実、周りの誰よりも周囲の人々のことを考えていて、愛していて、俺以上に、あの場所が好きだった子だった。


 しかし、今では連絡を取る手段がないし、何をしているかも知らない。


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