第十四話 ナンバーフォー
沈滞するような空気が、俺と安曇さんの間に漂う。そんな、時の流れが鈍ったような場所に、バカみたいに似合わないドデカいサプライズ音が響いてきた。ちらりと音がした方を見てみれば、琴森が180というスコアを叩き出している。しかし投げ方が何故かサイドスローだったり、サブマリンだったり、訳が分からない。
「…………あの子、ずっとこっちから見てるけど、プロ顔負けどころかダーツの神様レベルじゃん……何?」
「……いつものことなので、まあ」
「ええ……?」
「しかし、だんだん飽きてきたように見えますね。おーい琴森」
なんですか~?と、トコトコと駆け寄った琴森に、ビリヤードの存在を教える。すぐに興味が移ったのか、ビリヤード台の方へ小走りで行って、台の準備をせっせと始めた。
「……よく気づくわね。あの子が、貴方が持った初めての部下ってこと? 東京第一鑑別小隊が解散した後は、どこの隊にいたの」
「……単独で、やっていました」
「嘘でしょう? 命知らずにもほどがあるわ。よく鑑別部隊がそれを許したわね……」
「何故か、話の通りが良かったです。上に、俺たちの事情を慮る優しさなんてないはずなんですが」
一番球が、ぶつかる音が響く。グラスを何の気なしに揺らしてみて、ツルツルとグラスに沿い踊る氷に目が行った。
「すいません。お手洗いに行ってきます」
「そ、いってらっしゃい」
バタンと、ドアの閉じる音が響いた。奥まった場所にあるバーのトイレに、酔いもなく彼は無事辿り着いたらしい。
ビリヤードのセッティングをし、ルールを携帯機器で調べながら、ふんふんと独学で学ぶ琴森に、もう一杯甘いノンアルカクテルを用意してきた安曇が話しかける。
「詠芽ちゃん。ちょっと、仲間はずれみたいになっちゃってごめんね。どう?」
「いえ、私、こんなとこ来るの初めてなのですっごく楽しいですよ?」
「……それは良かった。冷泉君とも、仲が良さそうに見えるし」
「本当ですか? 冷泉さんはいつも、お仕事ーって感じがするので、いまいち分からないんですけど」
「そう……」
琴森との距離感を測ろうとする安曇は、何故かキューを野球の打者のように振っている琴森の姿を見ている。ビリヤードを正しく遊ぶためのフォームを教え始めた安曇は、顔と顔が密着するほどの距離に近づきながら――。
「……琴森詠芽(ナンバーフォー)。私は、鑑別機関のメッセンジャーです」
静かに、ボールの試し打ちをする琴森。打突音は小さく音楽が流れる店内に良く響く。間接照明の明かりが残る、暗い部屋の中。どこか、彼女の表情も暗くなったような気がした。
「そうですか。それで、なんの用ですか」
「日食が近い。時間がありません。既に、トーキョージェムストーンズの第一段階が迫ってきています。どうして、あの鑑別官はまだ状況を把握していないのですか。冷泉惣一郎は優秀なはずです。彼は彼の役割に、すぐに気づくはず」
「…………日高茉莉子九硬級鑑別官に問い合わせてください。私は、彼女の指示に従っているだけです」
「彼女は既に、北米へ帰投しました。他のイレブンと共に、戦いの準備を既に始めています。茉莉子……独断でいろいろしでかした挙句消えてしまうんだから……」
日高と友人でもある安曇は、彼女が何にこだわっているのか、彼女がどうしたいのかが分かっている。だから、責めきることもできない。
しかし組織と板挟みにもなる彼女は、こう、告げる他なかった。
「……事前にこの日本に入っているのは、貴方とセブンだけです。無機生命体がどう動くか分からない以上、私たちは後手に回ります。そのとき、最前線に立つのは彼と貴方になるんですよ?」
「私に決定権はないです」
のらりくらりと躱すようなその言動に、安曇は眼を細めさせる。
「……随分と、大人びた言い回しをするのね。四番目の貴方は」
そして彼女は、何かを察したような面持ちで、ひっそりと呟いた。
「…………なんだか、詠芽ちゃん。貴方のことが少し分かってきたわ。アレは、苦しんだ貴方の、貴方なりの甘え方なのね。お姉ちゃんですもの。貴方は」
「……………………」
「正直、私としては早くしてほしいという思いもあるけど……茉莉子のしたいこともわかる」
安曇が、人差し指をビリヤードテーブルの上でコンコンと打ち付ける。
「詠芽ちゃん。詳しいことは本人から聞いてほしいから、私からは言えないけど……彼は、すっごく傷ついた人。そのおっきな傷を抱えたまま、気丈に一人で振る舞って、きっと、ここまでなんとか生きてきた。だから、物事をすっごく受け身に考えるかもしれないし、年長者のプライドとか、自身が受けたコトを次の世代に繋ぐ恩返し、とかっていう意識で、今はそれをなんとか原動力にしてやってきていると思うの」
そのまま次ぐ言葉を言いかけようとしたとき、お手洗いの扉が開く音がした。安曇は口を閉じて、その場を去ろうとする。振り返るようにして、安曇の方を向いた琴森が、その動作で安曇を呼び止めた。
「大丈夫ですよ。安曇さん。私、冷泉さんのパートナーですから」
そう言い残した彼女は、静かにビリヤードのラックを割る。
お手洗いから、戻ってきた後。
琴森がビリヤードで遊ぶ音を背景に、二人、決して核心は突かない、海の上をゆらゆらと漂うような会話を、ずっと続けた。俺の昔を知っている安曇さんは今の俺の話に時々驚きの表情を浮かべながらも、黙って話を聞いて、時には相槌を打ち、返答を返してくれた。
宝石入りの酒を飲む手は進むが、酩酊感はない。
すでに、夜も深い時間だ。今日は、琴森が来たいと言ったからやってきたが、この後、俺たちには任務がある。
「……そろそろ、出ます。お会計を。行くぞ。琴森」
懐から、財布を取りだそうとする。全く、鑑別官なんていう仕事は、金を使う時間すらくれない。貯まってばかりだから久々だ。ビリヤードとダーツを交互に遊び倒した琴森は、楽しかったなと、やりきった表情を見せている。
財布からクレジットカードを取り出し、それを安曇さんに差し出したが、彼女はその受け取りを拒否した。
「要らないわ」
「……どうして?」
「……私、貴方たちがいなくなってからの三年間、いろんなお客さんに会ったの。それで、いろいろな悩み事を聞いてね?」
煙草を取り出し、火を点けて一服する。彼女が吸う煙草は、ニコチンとタールの重いものだ。しかし、その一本が、彼女に妙に似合っている。
「……皆が大小様々な悩み事を抱えて、どんなに辛くても、お店に来てくれる度に、安心してさ。また帰ってきてくれて」
赤熱する煙草の先。
「話すことで、楽になることもあるから。また、ね」
黙りこくる。静かに店の外に出るドアの方へ向かっていって、琴森を外に追い出した。冬の冷気が、大気に晒されている顔の皮膚を突き刺す。
「……また、来ます」
満面の笑みを見せた安曇さんが、手を振った。
どこか、ずっと停滞し続けていた場所から一歩踏み出せたかのような、爽やかで晴れやかな気持ちになる。ドアを閉じ、完全に外気に触れた俺は、階段の先。上から見下ろすように俺を待っている、翠眼の少女の姿を見た。
彼女はどこか含みのある表情を見せていて、何か不満なことでもあるのか、複雑そうな表情をしている。
「なあ。琴森。放っておいたままで、すまなかった。次は一緒に、ビリヤードとダーツをやろう。俺は強いぞ」
琴森はポケットに手を仕舞って、暖を取りながら、こちらに小さな笑みを向けた。
「……はい」
この少女は、普段は明るいエネルギーを俺にくれて、こういった静けさが欲しいときには、落ち着きをくれる。俺がトイレに行っている間、安曇さんと琴森が会話していたようだが……何を話したのだろう。凪ぐように佇む彼女は、美術館に飾られた光り輝く宝石のように見えた。
「……迷惑をかけた。何か、埋め合わせをしよう」
「じゃあ、今度はクッキーを作ってください」
「ああ」
ポケットの中に仕舞った宝石の鍵を握り、バイクに跨がった。宝石をイグニッションへ嵌めて、エンジンを始動させる。
アルコールと一緒に摂取した宝石が悪さをしているのか、身体能力の向上を少し感じた。道の遠く先まで見通せて、鑑別官として、仕事に向けた情熱を、無機生命体に対する執念を思い出す。
スロットルを開け、発進した。
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