第一章・第二節『リメンバー アンド チェリッシュ ユア ストーリー
第十一話 追憶
ああ。そうだ。確かに俺は、あの日々の残影に囚われ続けている。
旅立った故郷。その望郷のように、あの場所の感傷に浸ることはできない。何故なら俺が、それを壊した張本人だから。終わりよければ全て良し、なんて言葉があるけれど、それはどう考えても最悪な終わり方だ。思い出すだけで胸が痛くなるし、〝どうして〟という問いだけが、前頭葉を氾濫するように満たしていく。
しかし確かに尊かったその始まりを、琴森詠芽という人物に自己投影してしまってから、俺は思い出していた。
靄がかかったように思い出す景色。そこは、国際無機生命体鑑別機関東京支部の、オフィスの一室。真っ暗な外に光が漏れないように、窓にはバインダーが下がっている。周囲に音らしい音はなく、夜の静けさが際立っていた。
国際無機生命体鑑別機関の養成機関を、飛び級で卒業……と言えば聞こえはいいが、その〝眼〟を見出されて、引っ張り上げられた、というのが正直なところだった、当時、十六歳の俺は、口を噤んだまま、相手の出方を伺っている。椅子に不貞腐れたように座り込んで、これからどうなるかなんて、知ったことじゃないと、目を合わせようともしていなかった。
机を挟み込み、俺と向かい合うのは白髪の偉丈夫だ。凛とした顔つきの彼は鼻が高く、その目には人を惹きつける力がある。
胸元に輝く金剛石の徽章は、彼が最高位の鑑別官であることを示していた。
彼に並ぶように、ショートカットの似合う若い女性――日高茉莉子七硬級鑑別官と、体に甘い匂いを染みつかせて、手作りの茶菓子を配膳する、ひらたく言ってしまえばかなり顔立ちが良くイケメンな……瀬川聡七硬級鑑別官が座っている。
そして、その背後で椅子にも座らず、不機嫌そうに頬を膨らませながら壁にもたれかかるのは、姫内茶花四硬級鑑別官だ。
「ぷん。ふんだ」
そっぽ向くその動きで、ぶら下がった短いツインテールが、横に動く。灰髪の両脇に付けられたリボンは、俺が出会ったことのない、女の子らしさの象徴だった。つぶらな瞳を今は閉じているが、その長い睫毛と下睫毛は遠くからも見えたし、右目の目元にある小さなほくろが、チャーミングさを見せている。
機関の中にずっといて、汗臭い共同生活を行い、女子らしい女子と話したことのない俺からすれば、視界の中に入るだけでドキッとしてしまうような、可憐な存在。そんな、思春期らしいことを当時は感じていた。
「……新、人、なんて。私、新しい人なんていらない」
当時の茶花は、新しくやってきた外様野郎に、自分の大好きな他の隊員を取られることが怖かったらしくて、不機嫌だったらしい。
「わたし、外で待ってる」
ガタン、と部屋の扉を開け、廊下に出る音がした。シン、と不気味な静寂が、再び場を満たす。
まあ、そんなこともあったりして。俺たちの初対面は……端的に言ってしまえば、気まずい、そんなものだった。
東京唯一のダイアモンドと、その直属の部下である二人。
そして、機関を引っ張り出されてやってきた、十六歳、思春期真っ盛りの少年だ。そりゃあ、微妙な空気にもなる。
「こんにちは。冷泉惣一郎くん。私は、
初めて彼と出会ったときのことを、克明に、鮮明に覚えていた。
だけどもう、その声は朧げで、あの優しい声色が思い出せない。
「君はこれから、私たち東京第一鑑別小隊の所属となる……」
彼がぴらぴらと、俺の来歴と成績が記された資料をめくっていく。
鑑別機関に保護された自分の人生は無機質なテキストによって書き起こされていて、温かみの欠片もない。
「君は……チルドレンか」
ある民家が無機生命体に侵蝕されていて、住民は気づかぬうちに食われ、死亡しました。
そんな、ありがちな話。大小、種別に差異はあれど、そうやって生まれた孤児たちは、機関に保護されて鑑別官になるか、捜査員か職員となる。生まれたときから機関にいたように感じるくらいには記憶がなくて、俺もその一人だった。
ただ、俺が一つだけ違ったのは、家を侵蝕していたアルフを、三歳にして殺したということ。
「君はおそらく……私と同じだ。君は、特別な眼を持っている。そうでもなければ、幼子が無機生命体を殺したことに説明がつかない」
「……眼って?」
恐る恐る、消え入りそうな声で俺は彼に聞いた。自分がどうしてここに連れてこられたのかくらいは、知りたかったらしい。
「鑑別官の中には、特別な眼を持つ者たちがいる。どれだけ輝きが増したかに気づく〝光学眼〟。どれだけの価値があるのかを判定する〝審美眼〟……鑑別官には、そういった〝眼〟の能力を持つものたちがいるんだ。そして私と君はおそらく、同じような〝眼〟を持っている。それが、理由なんだろう」
彼がいきなり立ち上がって、小声で何か、両脇の二人に伝えた。
「行こうか」
いきなり外へ連れ出されて、彼のバイクの後ろに乗らされる。
街路樹が並ぶ、何の変哲もない公道。しかしその脇に生える茂みの一部が、この世ならざるもので構成されていることに、即座に俺は気づいた。
体がぶるぶると震え始める。目の前にいる生命体は、俺たちと袂を別つ、本能的に、決して相容れない存在だった。
任務ともなれば拗ねてもいられないのか、真剣な表情をした茶花が、椿井さんの横に立っている。
「茶花。〝
無機生命体を前にして、彼が姫内に確認を取る。俺は日高さんの横に立っていて、アルフから距離を取るように、何かあった時でも問題がないように守られていた。
日高さんが怯える俺を見て、俺の肩に手を乗せる。
「調整中よ、椿井隊長。あれ、ファセットが多すぎて嫌になっちゃう。使ったら生えてきちゃって、再整備にすっごく時間がかかるし……」
「じゃあ、刀を使おう。日高は後ろで彼を。三人……そうだな、戦術陣形、T092で行く」
「了解!」
ピシッと敬礼のポーズを取って、茶花は握りしめた宝石を天に投げた。それは宙にて展開され、その体躯を優に上回るサイズの大槌となり、彼女の手元に納まる。
……宝石の体は粉末状になり、街灯に照らされるそれは、キラキラと輝いている。見えていた結晶構造はぐしゃぐしゃになり、細かすぎて、今ではそれを捉えることができない。
完全に息絶えたアルフを前にして、椿井十硬級鑑別官が、宝石に濡れた刀身を揺らしながら、俺の方を見た。
「見えただろう。見ただろう。君はこんなふうに、これから戦うことになる」
戦いの余韻はない。彼らにとってこれは当たり前で、上位個体に近い無機生命体でさえも、鎧袖一触に潰す力がある。
背の高い彼がしゃがみ込んで、俺に目線を合わせた。そして俺の肩に、手を載せる。
「惣一郎くん。君は僕と同じように、眼を使いなさい。その〝鑑識眼〟は、鑑別官のための、最高の能力だ」
彼の宝石のような瞳が、俺を真っすぐに見つめていた。
「私が君に、戦い方を教えよう。そうだな……茶花。まずは彼のために、一本、宝石武装をアジャストしてくれないか」
「えっ⁉ なんで私がこんなやつに⁉」
思い出していた鮮明な景色が、ぼろぼろと崩れ落ちて、現実に塗り替わっていく。
ああ。きっと俺は、彼にならなきゃいけない。
鑑別官としての任務が、俺を待っている。この世界には一度、別れを告げよう。
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