第46話  ランドルフ伯爵邸


 裁判所は本来ブランシェット、ベハティ、サイラス、それぞれの地区にいくつか設立されており、罪を犯せばそこで裁かれる。


 しかし今回はブランシェットとベハティ、それも当主同士の間で争われる裁判である。訴状を受け取った裁判所が事の重大性を鑑み、帝国裁判所で裁判が開かれることとなった。


 オリアナ帝国において、裁判に民事、刑事の違いは特にないらしいが今回はいわゆる刑事裁判に近い。


 被告人であるエドガーは自ら無実の証明をする必要はなく、犯罪を疑われただけの無実の人という立場から裁判は始まる。

 私たちは"エドガーは罪を犯した"という主張の正しさを証明しなければならない。証明ができれば、エドガーは帝国から法的処罰を受けることになる。


 逆に証明することができなければ、こちらが名誉毀損で訴えられる可能性があるのだ。改めて考えると事の大きさに目眩を覚えた。


「ヴァレンティナ、大丈夫ですか?」


 デュランたちは普段どおり落ち着いており、緊張した様子はみえない。さすがだ。


「はい。平気です」


 裁判はまだ始まってもいない。こんなところで弱気になってはいけない。テオなんて欠伸をするくらいの余裕を見せている。


「それでは、行きましょう」


「はい」


 帝国裁判所へ赴くには、まず事前に許可を得ている必要がある。最初に移動用の魔方陣を使い帝都検問所へ向かい、問題がなければ別の魔方陣でそのまま裁判所内へ入ることが許される。そうして半日と掛からずベハティから帝国裁判所へとやってきた。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 黒い法服に身を包んだ裁判官が出迎え、案内をしてくれる。ここは裁判所の敷地内ではあるものの送迎用の別棟にあたるらしい。外へ出ると実際に裁判が行われるであろう建物が見えた。


 外観の趣あるたたずまいに圧倒される。前世では、最高裁判所の外壁は基本的に白い石が使用されていたそうだ。品位と重厚を現わしていると本で読んだことがある。外出許可など取れず、ほとんどを病室で過ごしていたから、実際に見たことはないけど。

 帝国裁判所の外壁も白色の石が使われていた。そこに黄金の装飾が随所に施されている。それはオリアナ帝国を表す色が金色だからだろう。

 厳粛な佇まいに、再び緊張で胃がひっくり返りそうになってきた。


 いけない、いけない! しっかりしなければ!


 弱気を追い払うように軽く頬を叩き、私は今一度気合いをいれた。


 





***


 アシーナ国との国境付近、ベハティの辺境地に領地を持つランドルフ伯爵邸。


 屋敷の廊下を歩く使用人は、扉の前で立ち止まった。ノックをし、許可を得てから静かに入室する。室内では一人の青年が窓辺に立ち外の景色を眺めていた。


「確認が取れました。やはりベハティとブランシェットの間で裁判が開かれるそうです」


「告訴内容は?」


「主な内容はベハティ公爵のご息女に対する殺人未遂及び、市民への殺害を指示した疑いを問う裁判……との事です」


 使用人の答えに、青年はフッと嗤う。


「もう6年……いや、やっとと言ったほうが正しいか」


「ユージン様?」


 訝しげな使用人の呼び掛けには応えず、ユージンと呼ばれた青年は指示を出す。


「彼らを屋敷に呼んでくれ。くれぐれも丁重に」


「彼ら、とは……」


 察しの悪い使用人にユージンは小さく吐息した。


「8年前、僕が連れてきた彼らのことだ」


 それでもまだ思い出そうとする素振りを見せる使用人に、落胆していた時だった。


「孤児院の奴らだろう?」


 ノックもなく部屋に入ってきたのは一人の大柄な男だった。


「兄上……」


 ユージンの兄であるハリエット。

 彼は狂犬という言葉がしっくりくるほどの荒々しさをその身に纏う人間だった。ギラついた眼差しは引っ掻き刃のように常に鋭く尖っている。かき上げた紅の髪と瞳は野性的で帝国の貴族と呼ぶには似つかわしくない雰囲気をもつ。言い換えれば、かつての王国民の血をより濃く受け継ぐ人間だった。


「俺が行く。口実としては弱いが、ベハティに付け入るチャンスだ」


 ずかずかと豪快な足取りで歩みよりながら、当然のように発言する兄に、ユージンは静かな口調で窘める。


「ベハティ邸には僕が赴きます。彼らの恩人は僕ですので。それに兄上に交渉事は向いていません」


「はっ! はっきりと言い切りやがって。まぁいい」


 生意気な発言に対してむしろ愉快そうな態度であっさりと引き下がると、ハリエットは追い払うように使用人に指示通りに動けと手を振る。

 慌てて部屋を出る使用人とは入れ違いにメイドがやってきて、綺麗に磨かれたリンゴを一つ置いていった。ユージンが持ってくるよう伝えていたものだ。


「またその果実か」


 飽きないな、とハリエットは白けた顔をする。


「孤児院の近くに植わってたリンゴだろ? こっちまで持って来させるなんて、そんなに旨いのか?」


「ダメですよ」


 触れようとするハリエットの手から、遠ざけるようにユージンはリンゴを持ち上げる。


「俺にはただのリンゴにしか見えないがな」


「味の分からない兄上には勿体無い代物ですよ」


 笑顔で皮肉ってくる弟に、ハリエットはつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「ところで、こんな辺境地にまで届く噂話がまさか本当だったとはな。せいぜい裁判で己の気狂いを証明してくれれば有難いが」


 それを兄上が言える立場だろうか、という思いをユージンは口にも表情にも出さない。


「はたして兄上の考えるように、事態は動くでしょうか」


「どういうことだ?」


「ただの噂に過ぎないかもしれませんよ」


 ハリエットは先程の使用人ほど愚鈍ではない。その一言でユージンの考えを察したようだった。


「……お前、さっき『彼らの恩人』と言ったな。まさか本当にベハティの娘が生きていると思っているのか?」


 ベハティの内情はハリエットも知っている。ブランシェットや孤児院の事もどれだけ調べているかは知らないが、表面だけ見れば公爵の娘が生きているはずがないと誰もがそう結論付けるだろう。


「当主となる器の人間がそう脆いはずがない、という僕の認識から考えた暴論に過ぎません」


「もしもお前の言うその暴論が正しいのであれば、勿怪の幸いとはこのことを言うのだろうな。お前の気まぐれに当時は首を捻ったものだがなぁ?」


 探るような言葉と視線にユージンは少しも動じる様子を見せなかった。

 ハリエットは考えるように少しの間沈黙する。やがて愉しげな笑みを浮かべた。


「恩人を無下に追い払いはしないだろう。本当に生きているようなら、丁度いい」


 続いた言葉は、お使いでも頼むかのような軽い口調だった。


「その公爵の娘、殺してこいよ」


 獰猛に光るその瞳を、ユージンは涼しげに受け止め緩やかに微笑んだ。



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