第45話 過去の夢2
目を開けると、遠くに天井が見えた。
瞬きを繰り返し頭を左右に動かす。すると、机に向かうメイドに気が付いた。
ふわふわのかけ布団から這い出て、両手を支えによいしょと立ち上がる。とたとたと覚束ない足取りでメイドの側まで歩いていった。
『あら! お嬢様、お目覚めですか?』
メイドは椅子から立ち上がり、私を抱き上げてくれる。
視線の高さが上がったことで机の上に広げられたノートの存在に気が付き、私はそれをジッと見下ろした。
『日記を書いておりました』
私の目線の先に気付いたのか、メイドは優しい声で話してくれる。
『お嬢様の成長と、喜びを日々綴っております』
メイドは私に微笑みかける。
『お嬢様の側でお仕えできる私は、果報者ですね』
笑うと、印象的な口元のほくろがより魅力的に見えた。
『そうだ』
メイドは思い出したように私をベッドに座らせると、どこからか布の束を持ってきた。それを一枚ずつ広げて見せてくれる。
『奥の部屋の整理をしていた際に見つけました。奥様が昔練習で縫った刺繍です』
それはハンカチだった。何枚もあるそのハンカチには、様々な形の刺繍が施されていた。
『このお部屋は奥様……お嬢様のお母様がお使いになっていたお部屋だそうですよ』
ぷっくりとした小さな手が、並べられたハンカチの中から一枚を手に取る。
『そちらのハンカチが気に入ったのですか?お母様のお名前が刺繍されていますね』
赤い糸でリターシャと刺繍された白いハンカチ。
ああ、これは、いつもの夢だ。
実際起こったであろう、過去の夢。
そう気付いた途端、景色は白く染まり、私は夢の終わりを悟った。
***
カーティスから真実を聞いた日から、過去の夢を見ることが多くなった気がする。
サーシャの日記を読ませてもらったことも相まって、脳が刺激を受けたのだろうか?
「ヴァレンティナ?」
名前を呼ばれ、ハッとする。
ボゥッとしてしまっていた。私は返事をしてデュランに顔を向けた。
「今のような流れで問題ないですか?」
「はい。大丈夫です」
証言台に立つことを決めた日から、裁判に向けて幾度となく話し合いを行っていた。
裁判の流れ、証言内容。証明方法。エドガーの出方次第で変わりうる状況とその対応。今日はその最終確認を行っている最中だった。
カーティスからも心配そうな眼差しを向けられていることに気付いて、私は大丈夫!と笑顔を浮かべてみせる。
「あの……裁判に直接関係することではないのですが」
私は前置きを述べ、一度言葉を切る。
今は目の前の裁判に集中すべきだけれど、どうしても考えてしまうことがあった。相談するなら早いほうが絶対に良い。
「ブルーローズを発現した子供が今もどこかにいるかもしれません。できればその子供たちを見つけ出したい。そして今回のようなことが起こらないよう、今ある国民の意識を変えていきたいと思っています」
今は畏怖され隠蔽される存在。その認識を変えていきたい。
「その為に力を貸してほしいのです」
長い時間が掛かったとしても、最初の一歩を踏み出さなくてはいつまでも変わらない。動き出さなくては、何も変えられない。
「娘の望みを断る親はいません」
「もちろんです。いつでも頼ってください」
難題にも関わらず、二人は迷うことなく頷いてくれた。
「それに発現者の存在については、既に調べを進めています。安心してください」
まさかデュランがそこまで動いてくれていたとは思わなかった。
改めて皆からの深い想いに気付く。私が何に傷付いて何を望むか、常に考えてくれていたのだろう。
「それでは、確認も済みましたので、先に部屋に戻っております。何かありましたらいつでもお呼びください」
カーティスは一礼すると部屋を退室した。
二人きりとなった室内は、シンと静まりかえる。私はデュランの顔色を伺いながら口を開いた。
「あの、発現者の捜索の件……ありがとうございます」
「いいえ、本来ならばもっと早く行動に移すべき問題でした。この認識に疑問も抱かず生きてきたことを恥ずかしく思います」
デュランは微笑んで返答するが、すぐに口を閉じてしまう。室内にまたもや静寂がおとずれる。
本来なら沈黙など流れる暇がないくらい、デュランが語りかけてくれていたはずだった。
実は、私が証言台に立つことを決めた日から、デュランの様子はどこか変だった。話しかければ嬉しそうな笑顔で言葉を返してくれるのだが、以前とは違いどこか暗い印象を受けるのだ。
今も父娘二人になった途端、気まずい空気が流れはじめている。
正直、デュランが何を考えているのか分からない。
裁判に証人として出廷することを伝えた時、デュランは「そうですか」と瞳を伏せただけで、数日後にはカーティスと二人で進めていた裁判への準備に私を参加させてくれるようになった。
もしかしたらデュランはこうなることを少なからず予想していたのかもしれない。
私が証言人となることに懸念がないわけではなかっただろう。それでも私の意思を尊重してくれたことを嬉しく感じた。
「……大丈夫ですか?」
ふいにそう尋ねられた。気遣うような眼差しが向けられていることに気付き慌てた。
やはり、心配させてしまっているのだろう。私は少しでも安心してもらいたくて、深く考える前に力強く頷く。
「はい! 私は大丈夫です! けれど、裁判を開くことでブランシェットとの間に不和が生じないか気がかりです」
「ヴァレンティナが気にかけるような問題ではありません。それよりも俺が聞きたいのは……」
デュランは言葉を止めると、すぐに「何でもありません」と寂しげに微笑み、沈黙してしまった。
あれ? 言葉の意図、汲み取れてなかった?
私はあれやこれやと「大丈夫」の意味を考えてみるが、これといった答えにたどり着けない。
デュランは話題を変えるように「そういえば」と口を開いた。
「戦争休戦時、ブランシェットから花が贈られてくるようになりました。もしかして、あれはヴァレンティナが指示してくれたのでしょうか?」
「あ……はい。少しでも心の休息になればと思ったのですが、不要だったでしょうか?」
「いいえ。当時は疲れ切っていた者も多数いましたので、良い精神の回復となりました。騎士たちもとても喜んでいましたよ。ありがとうございます」
よかった。邪魔にならないよう少量を届けてもらっていたけれど、少しでも元気になってもらえたなら嬉しい。
「あの、それで先ほどの質問のことなのですが……」
「それよりも、裁判の日程について伝え忘れていた事がありました」
話を戻そうと思ったのだが、穏やかな笑顔とともに再び話題を逸らされてしまった。
まるで追求されることを拒んでいるようで、もう聞ける雰囲気ではなくなってしまった。
「私は何か失言でもしちゃったのかな?」
自室に帰り思い悩んでいると、レベッカから声がかかった。
「お嬢様。ご指示どおり、御召し物はこちらのものをご用意させていただきました」
「ありがとう」
裁判には傍聴人が法廷に入る。人前に出ることを考慮して、青い薔薇が見えないよう手の甲を覆い隠す服を用意してもらった。
また、裁判は日を跨いで行われるらしく、それを聞くやいなや、その身支度もレベッカは完璧に整えてくれた。
いよいよ裁判所へ赴く日が間近に迫っていた。
できるだけの準備は整えてきたつもりだ。けれど、自分はうまくやり遂げられるだろうか。
「お嬢様……」
レベッカがそっと私の手に触れる。
「どうか、ご無理はなさらないでくださいね」
今回レベッカは、屋敷に残ることになっている。
レベッカの手の暖かさに自分の手がすっかり冷えきっていたことに気が付いた。
「うん……ありがとう。私、頑張ってくる。帰りを待っててね」
しっかりと答える私に、レベッカは笑顔を浮かべ、そして恭しく頭を下げた。
「はい。使用人一同、皆さまのお戻りをお待ちしております」
この時の私は、知るよしもなかった。
予期せぬ事態が生じてしまう事。
その状態のまま屋敷に帰ることになる事を。
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