第47話 裁判前夜


 今日は明日の裁判に備え休むことになっている。


 普通裁判所に寝泊まりできるような設備は整ってはいない。しかしここが異世界だからか帝国裁判所だからなのか、それとも皇族と等しい地位をもつベハティだからか、一人一人に豪華な部屋とそれぞれ専属の世話係りまで用意されていた。


「公女様のお部屋はこちらになります」


 案内された部屋へ入室すると、ふわりと前髪を揺らす風にハッとして開いた窓に目を向けた。広めの出窓は座ってくつろぐことができる造りになっており、柔らかそうなクッションがいくつか置かれている。


「花通しのために窓を開けていました。お閉めしましょうか」


 私の視線に気付いたのか世話係りが窓に手をかけたが、私はそのままにしておくようお願いした。


 花通しとは帝都特有の言葉でいわゆる空気の入れ替えのようなものだ。1年を通して春の陽気が続くこの帝都は常に美しい花が咲き誇っており、全体が優しい花の香りに包まれている。


 窓から入ってくる風にもその花の香りが含まれていて、これから始まる裁判への緊張を一時的に忘れさせてくれた。

 私は窓際に座り、花の香りを楽しむ。漂う春の陽気はとても心地よかった。


 今頃デュランたちも一息つけているだろうか……。


 私は先ほど別れたばかりのデュランのことを思う。結局気まずい状態のまま、今日まできてしまった。デュランの真意も分からずじまいだ。


「……あの時の『大丈夫ですか?』って、何を心配して聞いてくれたんだろう?」


 裁判について話し合いが繰り返されるなかで、私の存在がいかに重要な証拠であるか思い知った。私の証言と証明で、裁判はかなり有利なものになるはずだ。それにもかかわらず、デュランは私を気遣って今まで一言も裁判のことを口にしなかった。


 「私」という「確証」のない、不利な状況のままで、裁判に向かおうとしていたのだ。私につらい思いをさせないために。


 本当に、どこまでも優しい人だ。


 裁判を無事乗り越えられたら、もっと素直に甘えてみよう。父と娘との時間をもっとたくさん過ごしたい。


 きっとこの裁判が終われば、前みたいな笑顔が見られるようになるよね……。


 私は弾力性のある手触りのいいクッションに身を預ける。柔らかな風が頬を撫でる心地よさを感じながら、緩やかに瞳を閉じた。





***


 案内された部屋に入りしばらく経った頃ドアをノックする音が聞こえた。デュランは「入れ」と簡潔に応える。


「失礼いたします」


 入ってきたのは明日裁判で争うことになるブランシェット公爵の次男、カーティス・ブランシェットだった。彼には最終確認のため、あとから部屋を訪ねるよう伝えてあった。


「明日の段取りは頭に入っているか」


「はい」


 カーティスとは手を組んで一年ほど経つ。慕っていた姉を虐げ、保身のために市民を犠牲にした実の父を裁く目的でデュランに協力を求めてきた少年。その年齢でここまで調べ挙げる手腕と行動力は称賛に値するものだ。頭も良く、肝も座っている。


 デュランは最後にもう一度だけ確認する。


「明日、俺は何があっても君の父親を裁くつもりだ」


「それは私の宿願でもあります。私はエドガーを父とは思っておりません。お気遣いは無用です」


「そうか……」


 予想していたとおりの返答に、デュランは気が抜けたように頷く。カーティスはその僅かな態度の変化が自身の発言にあったことをすぐに察したようだ。


「失礼とは存じますが、公爵様がお聞きになりたいのはヴァレンティナ様の事ではないでしょうか」


 核心をついた質問に、カーティスからも同じように観察されていたことを思い出し、軽く鼻で笑った。口にはしないが、長男よりもブランシェット公爵に似て目ざとく舌もよく回る。それを疎ましく感じつつも、否定できずにただ静かに瞳を伏せた。


「……あの子は、心を痛めないだろうか」


 真実を伏せた状態とはいえ、カーティスから裁判の話をされた時、ヴァレンティナは最初、証言台に立つことを拒否した。自分にも非があると、まるでエドガーを庇うような発言をしたと聞いた。


 執務室でヴァレンティナと話をした時も、ブランシェットで不当に扱われていた処遇に対して、それが当たり前であるような様子をみせていた。そのような環境に疑問さえ抱いていないようだった。


 それが当然のことなのだと、刷り込みのような日々を送らされていたことさえ、ヴァレンティナは自ら望んでいたことだと言いはる。


 それは盲目的なまでに、エドガーを信頼しているからではないのか?


「ヴァレンティナ様はエドガーに親子の情はないと仰っておられましたが……」


 恐れることなくもの申すカーティスの言葉に、今まで嘘が含まれたことはなかった。


 しかし、ヴァレンティナの真意までは分からない。無意識の中にブランシェット公爵を父と慕う気持ちが残っているのではないか、そう考えると怒りと憎しみと嫉妬に混じり、僅かな迷いが生まれた。


「あの子はずっと俺を『公爵様』と呼ぶ……」


「それは……」


 なにも言えず押し黙るカーティスに、我ながらバカなことを口走ってしまったと自嘲する。すぐに受け入れられないことは分かっている。自分は娘が苦しんでいる時、何もできなかった。くわえて偽とはいえ、父親という存在にひどい裏切りを受けたのだ。


 けれどもし、それでもなお、エドガーを父親と慕う気持ちをヴァレンティナが持っているのだとしたら。切り離せない感情が残っているのだとしたら。それを言えず心の内に隠しているのだとしたら。


 俺はヴァレンティナの望む行動ができるのだろうか?


 いや、無理だろう。

 だからずっと本心を聞くことを拒んできた。無自覚なら気付かせないままでいいと、核心に触れることを避けてきた。


 俺自身が、ブランシェット公爵を許す気などないのだから。


 ヴァレンティナの意思を無視してでも、俺はこの湧き上がる怒りのままに奴を手にかけるだろう。


「公爵様……」


 異様な雰囲気に気付いたのだろう。その感情の起伏を再び指摘される前にもう下がるよう伝え、デュランは出窓に腰掛けた。


「……明日はどうぞよろしくお願いいたします」


 カーティスは戸惑いながらも深く頭を下げ部屋を出て行った。


「……俺は最低な父親だな」


 少しだけ頭が冷えてきた頃、デュランは低い声で呟く。


 ヴァレンティナは強い。あのような目に遭わされても、裁判に出ることを自ら決断した。そんな娘の心配よりも、大きく膨らむエゴを優先しようとする己の汚なさに、デュランは自虐的な笑みを浮かべた。


「俺は立派な父親には、なれないのかもしれないな……」


 デュランは日が暮れ始め、赤く染まりつつある空を見つめた。


 そうして、心の中で妻の名を呼び、問いかける。


 この裁判が終われば、ヴァレンティナと本当の父娘になれるのだろうか……?


 最愛の娘の顔を思い浮かべ、デュランは静かに瞳を閉じた。



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