第37話 星空デート


控えめなノックの音が聞こえた。

私は待ってましたとばかりに、しかし静かにドアを開くとそこにいた人物の腕を掴んで中へ引きずり込む。


「よし、誰にも見られてないね!」


「姉さん……」


引き入れられたカーティスは困ったような、焦ったような、そんな複雑な顔で私を見ている。


「ごめんね、びっくりした?」


謝りつつ、黒色のローブを渡して着るよう促す。私はすでに準備万端だった。


「以前にも夜更けに男を部屋に入れていましたが、このようなことは避けたほうがいいです。どうしてもという場合はドアと窓は必ず開けておいてください。もし何かあったときは……」


「着れたね? じゃあ行こう!」


私はくどくど続くカーティスのお説教を聞き流し、バルコニーへ続く窓を開く。天候に恵まれ今日も雲一つない綺麗な夜空が広がっていた。


「本当にやるんですか?」


「もちろん!」


言い出したら止まらない私の性格を知っているカーティスは、諦めたように小さくため息をつくと手を差し出した。


「俺がお連れします。あの頃と違って、もう一人で歩けますから」


むかし、怖がる幼いカーティスの手を引いて、夜に屋敷から抜け出し夜空の空中散歩を楽しんだ。あの時は私がカーティスを空の上まで連れていった。


「それにデートですから。ここは男の俺がリードさせてください」


そう言って頭を下げる恭しい振る舞いに笑って手を重ねる。


「それじゃあ、お願いしようかな」


すっかり男らしくなった大きな手に優しく握られたと思ったら、ふわりと体が浮き上がりゆっくりと夜空へ近づいていく。丁寧な魔力操作に、ちゃっかり認識阻害までかけてある。魔力の扱いもずば抜けて優れている。さすがだ。


「魔法を仕様した出入りは結界で防がれています。どうするおつもりですか?」


「もちろん突破するよ!公爵邸から抜け出して帰るまでがデートだからね!」


魔法を勉強し直していて、一つ試してみたい事を思い付いたのだ。


「失敗したら二人とも捕まって両手足とさよならすることになるかもしれないけど」


「それはそれは。とてもスリリングなデートですね」


意気揚々と理不尽なことを言ったのに、言葉とは裏腹にカーティスは楽しそうな顔で笑った。







数分後、公爵邸から少し離れた上空に私とカーティスはいた。


下に街明かり、上に星の煌めき。幼い頃見た景色と同じ空の中に立っている。その光景をポカンとした顔でカーティスは見つめていた。


「まさか……本当に抜け出してしまうなんて思ってませんでした」


「すごいでしょ!」


結界におでこをぶつけ逃亡に失敗した日から、どうすればすり抜けられるのかずっと考えていたのだ。閃いたのは洗濯物に勤しむメイドたちの姿を見た時。ふわふわと漂う虹色の玉を見て、ふとシャボン玉に穴を開ける方法を思い出したのだ。


まず桶にシャボン玉液を作り、そこへ金魚すくいのポイのように形を整えた針金を浸して膜を張る。次に輪っかに結んだヒモを膜に落とし引っ掛からせる。輪っかの中の部分をつつくとそこだけ膜が破れてドーナツみたいな穴が開くのだ。


前世では身体の調子が良い日に、病院の子供たちと一緒に試して遊んだことがあった。


それと同じ要領で結界に穴を開け、通り抜けてきた。これは結界の強度が強ければ強いほど効果的なすり抜け方だ。

割れやすいシャボン玉液だとヒモを落とした衝撃で割れてしまうのと同じで、弱い結界は壊れやすい。同じ魔力濃度の輪を作るのがちょっと大変だけど、うまくいってよかった!


得意気に胸を張る私に、カーティスは堪えきれずに小さく吹き出した。


「姉さんは、本当に凄いです。こんなこと普通は誰も思い付きません」


手で口元を隠しクスクスとおかしそうに笑う。その笑顔を見られただけでも誘ったかいがあった。けど、見たかったものはもうひとつ別にある。


「カーティス見て! 綺麗な景色でしょ!」


目尻に浮かぶ涙をぬぐいながら、はい、と頷きが返ってくる。


「上にも下にも星があるように見えるね!」

「上にも下にも星があるように見えますね」


お互いの顔を見つめながら二人で声を揃えて言い、そして一緒に笑い合う。二人分の笑い声は暗い夜空に溶けるように吸い込まれていき、静寂の中しばらくその景色を眺めていた。


「……カーティス、この間はごめんね。カーティスはずっと私の為に頑張ってくれてたのに、蔑ろにするような態度をとっちゃった」


私の事を調べる過程できっと色々なことがあったはずだ。身内を疑わなければならなかったカーティスの苦悩にまで考えが至らなかった。きっと様々な感情に押し潰されそうになったに違いない。

目を背けて、私の事なんて忘れて生きたって構わなかったのに。カーティスはそうしなかった。


「姉さん……」


私を呼んでくれるカーティスに、自然と笑みが浮かんだ。


「実はもうカーティスに姉さんって呼んでもらえなくなるんじゃないかって、怖かったんだ。けど、安心した。私はまだカーティスの姉さんでいていいんだよね」


今まで辛い日々を過ごさせてしまったけど、これから先は今日みたいに心から笑っていられる、以前までのカーティスの日常を取り戻したい。


「カーティス、私は過去よりもこれから先のことを考えていきたい。この場所で私がやりたいと思ったことに全力で取り組みたい」


カーティスの手を挟み込むように、両手でぎゅっと握り締める。


「もちろん私のこれからに、カーティスの存在も含まれてるよ。嫌だって、無理だって言われてもそれでも絶対逃がさない!」


後ろじゃなく前を向いて一緒に歩いていきたい。

これが私の答え。


「自分勝手な姉で失望した?」


カーティスからすれば、すべてを棒に振れと言われているも同然の最低な答えだ。


「いいえ」


カーティスのもう一方の手が、私の手を包み込む。


「俺が姉さんに失望するなんて、あり得ません」


迷いのない真っ直ぐな言葉に涙が溢れそうになる。しかし安堵する私とは対照的にカーティスの表情は陰りを見せた。





***



「カーティス?」


 伺うような眼差しから、カーティスは逃げるように瞳を伏せた。


「姉さん、俺は……」


 そこで不意に、少年の声が脳裏でよみがえった。



『お前こそ、妄想の中の[姉さん]じゃなく、今のあいつを見てものを言えよ』



カーティスはテオに言われた言葉を思い出し、グッと奥歯を噛み締める。


癪だが、あいつの言ったとおりだ。


最後に見たベッドに横たわる姉の姿があまりに弱々しかったからだろうか。思い出すのは姉の楽しげな笑顔よりも苦痛に耐える痛々しい姿が多かった。


しかし、一番の原因は『あれ』を目にしたからだろう。

カーティスは記憶に焼き付いた『あの光景』を思い出し、ぎゅっと瞳を閉じる。


いつしか自分の中で、姉さんは「弱くて可哀想な少女」という認識が固定してしまっていた。「そんな姉さん」が真実を知ったらどれだけショックを受けるか、想像しただけで恐ろしかった。

 姉さんにこれ以上辛い思いをさせたくない。できれば何も知らせないままでいたい。そんな思いから、ベハティ公爵とのお茶会でも真実を意図的に伏せた状態で話をした。


そうやって姉さんの耳を塞ぎ続けた。


姉さんは転んだまま起き上がれないような人ではない。真実を受け入れ解決のために立ち上がって歩き出せる心の強い人だ。そのことは俺が一番よく知っていたはずだ。

俺の姉さんは、前向きで、がんばり屋の負けず嫌い。無鉄砲で、勇敢で、そして他人の為に懸命になれる優しく強い人。


それをやっと、思い出すことができた。


 カーティスはゆっくりと閉じていた瞳を開く。


「……俺も姉さんに謝らなければいけません」


「カーティスが謝るようなことなんて何もないよ?」


不思議そうに見上げる無垢な瞳と目を合わせることが躊躇われ、視線は逸らしたままカーティスは打ち明ける。


「今日、部屋の前で、俺に怒っているのかと聞かれましたね」


わざとエイダン卿を姉さんから引き離した時、内心とても緊張していた。あの時自分がなんと言ったのかもあまり覚えていない。


「怒っていたのではなく、恐れていたのです。あの時、エイダン卿から真実を知らされると思って……姉さんに本当の事を知られるのが怖かったんです」


「本当の事?」


自然と握る手に力がこもる。逸らしていた視線を、自分を見上げる蜂蜜色の瞳と合わせた。


「姉さんに、話さなくてはならないことがあります」


カーティスはようやく、心を決めた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る