第36話 デートのお誘い



「え……ウィル? 本当に、孤児院にいたウィルなの?」


 離ればなれになったのはたしかウィルが13歳くらいの時。当時は声変わりもしていない少年だった。


 目の前にいる彼は、背がグンと伸び、痩せていた体に筋肉がつき、騎士らしいガッシリとした体型になっている。


 なんというか、変わりすぎだ。


 約10年ぶりの再会なのだから当たり前といえば当たり前なのだが。まさか、ここまで成長してしまうとは。


 マジマジと見つめる私に、心外だなぁと意地の悪い笑みを浮かべる。


「おねしょで濡らしたシーツを一緒に洗ってやっただろ?」


「そっ! そういうことは言わなくていいから! それにあれは私じゃないもん!」


 ウィルは顔を赤くする私を見て声をあげて笑う。豪快なその笑い方は幼い頃のウィルと同じだった。少年の時の笑顔と重なって見えて、途端に涙が溢れそうになる。


「よかった、会えて……ずっと元気かなって、会いたいって思ってたから……」


「俺も、会えて嬉しいよ。リタ」


 ウィルの大きな手が私の頭を撫でてくれる。小さい頭、と笑われた。


「もうリタじゃないんだよな。今まで、大変だったな……助けてやれなくてごめん。俺はお前の兄貴なのに」


 私は首を振る。ブランシェットへ行くことを決めたのは私だ。ウィルが責任を感じる必要なんてない。私は努めて明るく振る舞う。


「でもびっくりした! どうしてベハティの騎士になってるの? すごい筋肉! 触ってもいい? あんなに細身で小さかったのに、随分とおっきくなったねぇ!」


 許可を得るのもほどほどにペタペタと逞しい筋肉を触る。ウィルは自身の周りを犬みたいにグルグル回って筋肉チェックする私の頭を捕まえて押し止めた。


「落ち着け。まったく、昔から全然変わってないな」


 私の頭を優しく叩くその手は、眠れない夜に薄い布団の上からポンポンと寝かしつけてくれた時と同じリズムで不思議と落ち着く。


「……孤児院のみんなは元気?」


 シスターはご健在だろうか? 苦しい生活の中、快く私を迎え入れてくれたシスター、セレナ。私が公爵邸へ向かう時も彼女は優しく抱きしめてくれた。


「ニアは? キキは? マルローは? タッドは? それから……」


「お前、まさか全員の名前を覚えてるのか?」


「当たり前でしょ! 家族なんだから!」


 何故そんな当然のことを聞くのかという私の態度に、ウィルは一度瞳を伏せ、そうだよなと呟いた。


「いろいろ、あってさ……。俺は、公爵様に運良く拾ってもらったんだ。騎士として鍛えてもらって、名前も戴いた。厳しいけど、とても良い方だよ。ベハティの当主様は」


 どこか含みのある言葉だった。様子が変わったことに気付き、私は首を傾げる。


「ウィル?」


「……あのさ、リタ……」


 ウィルは先ほどと同様に迷うように言葉を切る。


 どうしたのだろう?


「何かあったの?」


 促す私の言葉に、ウィルはようやく口を開こうとした。


「じつは……」

「エイダン卿」


 しかし、遮るような声がウィルを呼ぶ。見ればカーティスがこちらに歩いてきていた。


 ウィルはすぐに立ち上がると壁際へ退き頭を下げる。


「ベハティ公爵が呼んでいました。今すぐ来てほしいとのことです」


「承知いたしました」


 一礼してすぐに立ち去ろうとするウィルに「それから」とカーティスは言葉を続ける。


「彼女はベハティ公爵閣下のご令嬢、ヴァレンティナ様です。気軽い態度は今後改めてください」


「大変失礼いたしました。以後気を付けます」


 ウィルは私に向けて頭を下げ直すと、一度も視線を合わせることなく「失礼いたします」と背を向けて歩きだしてしまった。


「あ……ウィル、」

「姉さん」


 視界からウィルを隠すようにカーティスが前に立つ。その向こうでウィルは足を止めることなく行ってしまうようだ。自分が仕える当主からの呼び出しなのだから優先するのは仕方がないが、去り際の態度になんだか寂しさを感じた。


「姉さん?」


 ハッとしてカーティスに視線を向けた瞬間、ドキリとする。


 笑顔で話しかけてくれているはずなのに、私を見るその瞳はまったく笑っていないように見えたのだ。


「部屋の前で私をお待ちになっていたようですが、何かご用でしょうか?」


 今は二人しかいないのに、まるで他人行儀な物言い。


 私は一歩後退り、その瞳から逃げるように一度下を向いた。思い出したように心臓の鼓動が速まっていく。


「カーティス……怒ってるの?」


 恐る恐るカーティスの様子を窺い見た。やはり一方的に拒否した私に憤りを感じているのだろうか?


「ごめんね……」


 萎縮する私に、カーティスは驚いたような顔をした。


「えっ……いえ! 違います! 怒っているわけではありません! 本当に!」


 申し訳ありません、と小さな声で悲しそうに謝られると、こちらが申し訳なくなってくる。


 当初私が想定していた展開とはまったく異なる流れだ。しばらく気まずい沈黙が続いた。


 どうしよう、何を、何から、どうやって伝えればいいのだろう?!


 そんな私の焦りは見て取れるほどだったのだろう。


「あの、姉さんは俺に会いに来てくださったんですよね」


 気を利かせてカーティスのほうから話しかけてくれた。


 本来なら勝手に会いに来た私のほうが、この場をリードすべきなのに、不甲斐ない姉で心苦しくなってくる。


「う、うん……」


「ありがとうございます。俺も姉さんに会いに行こうとしていたのですが……その、勇気が出なくて……すみません」


 弱りきった表情でうつむいてしまう。


 もしかして、カーティスも私と同じ気持ちだったのだろうか。


 心配性で、気の利く優しいところは変わっていない。かと思えば、意地の悪さをどこかから覚えてきていて油断ならない。6年間という時間が私の知らないカーティスをつくっていた。


「カーティス」


「……はい」


 私にとってまだ昨日の事のように感じる思い出も、カーティスからすれば6年も前の過去の出来事なのだ。


 私はもっとちゃんとその事実を受け入れて、今のカーティスと向き合いたい。カーティスの事をもっと知りたい。


 そのためにすべきこと。


「今夜、私とデートしよう!」


「………………えっっ!?」


 瞳を丸くして意味を理解しかねていたカーティスだったが、数秒後にはゆでダコのように顔を真っ赤に染めあげ驚きの声をあげた。





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