第32話 父娘の再会


 デュランとの話を終え、お付きの人たちを呼び戻すと何故か涙ぐんだ状態でぞろぞろと入ってきた。


 ティーセットを片付けるメイドの頬にも涙の跡が見受けられる。どうやら部屋の外で密かに私たちの様子を窺っていたらしい。


 親子のわだかまりは解消されたと、屋敷全体に話が広まるまでそう時間はかからなかった。


 その一件以来、どこに行っても周りから温かい眼差しを向けられるので物凄く恥ずかしい。私が子供みたいに泣きじゃくった事も当然知られているのだろう。


 は、恥ずかしい……! 外見は子供だけど、精神は立派な大人なのに……!


 デュランはというと、周りの反応は一ミリも気にならないようだ。


「ヴァレンティナ! ヴァレンティナ見てください! バラが綺麗に咲いていますよ!」


 今日は延期になっていたお茶会の日。


 デュランは庭園の方を指差し満面の笑みを浮かべはしゃいでいる。その姿は部下に「口さえあれば手足はいらない」などと物騒な発言をしていた人物とは思えない。


 前々から思っていたけど、デュランは相当の親バカだ。私に対する態度の豹変ぶりはもはや二重人格の域だし、私の為に心から怒って、泣いて、喜んで、笑ってくれる。


 この人が、私のお父様……。


 嬉しく思う反面『お父様』という言葉に、またあの冷たい瞳が脳裏に浮かび慌ててかき消すように首を振った。


「ヴァレンティナ? どうかしました?」


「いえ……なんでもありません。バラがとても綺麗ですね」


  私は笑って視線をバラに向ける。デュランの言うとおりバラの庭園は今が絶賛、見頃の季節だった。庭師さんのおかげで綺麗に咲き誇っている。


 これは精出して見なければ勿体ない!私は気持ちを切り換えるように気合いを入れて花道を進んだ。


 どれが一番綺麗に花開いているか探したり、花とにらめっこしたり、つついてみたり、香りを嗅いだりしてバラを満喫する。


「……ん?」


 なんだか熱い視線を感じて隣を見ると、デュランの眼差しはバラではなく私に向けられていた。


「……バラを見てください」


 困った顔でデュランを見つめれば、そこでハッと我に返ったようだ。


 無意識だったのか!


「すみません。どうしても、バラよりも愛らしいヴァレンティナに目がいってしまうのです」


 ションボリした顔でそんなふうに謝られても反応に困る! 本当に親バカなんだから!


「本日はこちらでお茶を楽しみましょう」


 バラの生け垣を抜けた先の広場では、すでにお茶の用意が整っていた。


 ガゼボは薔薇の花で綺麗に飾り付けられている。テーブルにはお茶と大量のデザートも並べられており、置ききれなかった分がティーワゴンに鎮座していた。


 これは小さなお菓子屋さんが開けるのではないだろうか。


「ヴァレンティナの好きなマカロンもたくさんありますよ」


 以前部屋に用意されたマカロンタワーの倍はありそうなその量に私は瞬く。


「デザートの中では一番多く召し上がっていたと報告を受けていたのですが、今日はマカロンの気分ではありませんでしたか?」


 呆気にとられていると、また別の物を持ってこさせようとするので慌てて一つ手に取った。


「ありがとうございます! とても嬉しいです!」


 というか、そんな事までいちいち報告させていたのか! マカロンを食べたのはテオなんだけど、私も嫌いではないので黙っておこう。


 お茶を飲みながら改めて周りを見てみる。グルリとバラに囲まれたこの空間はまるで秘密基地のようで居心地がよかった。


 サァァッと穏やかな風が吹いて私の赤髪を揺らす。乱れそうになる髪を手で押さえ風向きに顔を向けた。


「……リターシャも、今のヴァレンティナとまったく同じ仕草をしていました」


 向き直ると、デュランの眩しそうな眼差しと目が合った。


「私は母に似ているのですか?」


「愛らしい顔立ちはリターシャによく似ています。仕草もときおり彼女を思わせるものがありますね」


 私は自分の母がどんな顔をしているのか知らない。首を傾げて想像する私に、デュランは失念していたことを詫びると今度母の肖像画を見せてくれると約束してくれた。



「……あの、」「……ヴァレンティナ、」



 声がかぶってしまった。


 デュランはニコニコと嬉しそうに「先にどうぞ」と発言を譲ってくれる。


 後だと言い出しづらくなってしまいそうだったので、頷いて居住まいを正す。


 私の様子に何か気付くものがあったのだろう。緩んでいたデュランの表情が引き締まる。私は一度深く息を吸い込み、口を開いた。


「公爵様が言ってくださったように、これからは私自身が笑っていられるよう過ごすつもりです」


 私はまた自分の為にデュランを利用するかもしれない、そんなふうに自分を縛っていたら何もできない。ベッドの上で寝たきりだった時と変わらない。


 だからもっと気楽に、私がやりたいと思った事をする。もちろん、傍若無人に振る舞うわけではない。


「私は、私の大切な人たちも一緒に笑っていなくては嬉しくありません。だから公爵様や周りの人々が困っている時は、私にできることがあれば何だってしたいと思います。そうでなければ私は心から笑うことはできません」


 相手の幸せを願うこと。笑顔でいられるよう考え行動すること。


 そして、今度はもっと自分の事も大切にする。それを忘れなければ大丈夫。


「だからこれからは、公爵様や大切な人たちの笑顔を見るために、この場所で自分にできることを精一杯していきたいのです」


 私は今まで"前世の後悔から抜け出すため"に後ろ向きのまま前進していた。


 これからは"後悔しない人生にするため"にちゃんと前を向いて、私の事を大切に想ってくれる人たちの事を見て、生きていきたい。


 私はこの場所から、新しく自分の人生をスタートさせる。


「私は……公爵様の娘、ですから」


 最後はひどく自信なさげで小さな声になってしまったが、私の意思はすべて伝えきった。


 デュランは口元を手で覆い隠し、顔を伏せる。


 何かまずいことを言ってしまったのだろうか。怒っているわけではなさそうだけど……。


「ヴァレンティナ」


「はい」


「貴女の名前はリターシャと二人で考えました」


「え……?」


 デュランはゆっくりと姿勢を正すと、私が生まれる前の話を語ってくれた。まるで当時の事を思い出しているように、その眼差しは遠くを見つめている。


 私の母、リターシャ・ベハティはあまり体の丈夫な人ではなかったが、それでも私を産みたいと言ってくれた。


 私が生まれてくるまでの間、二人でたくさんの名前を考えたそうだ。


 デュランは名前と意味を書き連ねた書類を何百枚も作成し、リターシャに見せたところ目を丸くして笑われたと話してくれた。


「最終的にリターシャが貴女をヴァレンティナと名付けました。力強く健やかに育ってほしいと願いをこめた名前です」


 母が私に贈ってくれた名前。

 ヴァレンティナ。


 今までどこか空虚に感じていた名前に色が宿ったような気がした。


「ヴァレンティナ。俺は貴女がやりたいと思ったことを全力で応援します」


 その言葉になぜか胸がぎゅっと苦しくなる。理由は分からないけれど、心の奥底から込み上げてくるものがあった。


 以前にも同じようなことを、誰かに言われなかったっけ?


 しかしその既視感は不思議に思った瞬間には、フッと消えてしまう。


「俺はヴァレンティナの父親、ですからね」


 私が自信なさげに発言した言葉をもじって、デュランが笑顔で返してくれる。照れ臭くて、けれど嬉しい。


「ありがとうございます」


 私は照れ隠しに頭を下げた。もしかして、先ほどデュランが顔を隠したのは締まりのなくなった口元を見られたくなかったからかもしれない。今の私みたいに。


 そういえば、昨日見た夢の中でも私は既視感を感じていた。


 熱に浮かされる私に、カーティスが必死に語りかけてくれていた過去の夢。カーティスと交わした約束とは、なんのことだったんだろう……?


「ヴァレンティナ?」


 名前を呼ばれて我に返る。慌てて返事をすると、デュランは笑って話し出した。


「リターシャもこのガゼボがお気に入りでした。甘い物はなんでも好きでしたが、フルーツがたくさん使われたタルトケーキが一番のお気に入りで、季節によって変わるタルトをそれは楽しみにしていました。その表情がとても愛らしいのです。紅茶には薔薇のジャムを好んで入れていましたし、それから、」


 知らぬ間に思い出語りが始まっていたらしい。妻の事となると発言が止まらなくなるようだ。


 レベッカから聞いたのだが、私に接する時のデュランの態度はリターシャといた時とまったく同じだそうで、つまりデュランは大変な愛妻家だったらしい。


 そうすると普段のデュランの態度から、生前の二人のやり取りがなんとなくだが想像できる気がした。


 妻には甘く、部下には厳しく。そのあまりの豹変ぶりを母は諫めたりしただろうか? 妻に怒られてしゅんとするデュランを想像すると口元がゆるむ。


「フフッ」


「何か面白い事がありましたか?」


 デュランは 唐突に笑い出す私にキョトンとする。話を遮られて気分を害するでもなく、むしろ笑う私に嬉しそうに尋ねてくれる。


「いえ、すみません。お二人のお話、もっと聞きたいです。母の事だけでなく、公爵様の好きな事や楽しいと思う事も、もっとたくさん」


「それではたくさんお話ししましょう。俺もヴァレンティナの事をもっと知りたいです」


 穏やかな日射しと風がふく心地いい空間の中、ようやく再会を果たした父娘のお茶会はしばらく終わりそうになかった。



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