第31話 躊躇いの理由


 最近、前世と現世の夢をよく見る気がする。今までも夢はよく見ていたけど、今朝みた夢はしっかりと記憶に残っていた。


 私は夢の中で握られた右手をじっと見つめた。


「ヴァレンティナお嬢様? どうかされましたか?」


 執事に声をかけられハッと顔をあげる。なんでもないですと誤魔化した。


 今日、私は宣言通り執務室へやって来ていた。執事に促され、そっと部屋を覗いてみる。


 昨日見た書類の束は半分以下まで減っていて、執事が言ったとおりこの調子なら数日中には終えられそうだった。


 どうすれば一日でこの量まで減らすことができるのか謎ではあるけど。まさか夜通し仕事詰めしていたわけではないよね? なんだか周りのお付きの人の顔がゲッソリしているように見えるけど、まさかね?


「少し休憩にしよう」


 私に気付いたデュランが開口一番に発した『休憩』の言葉に、小さな歓声が上がった。


 どうやら そのまさかだったようだ。


「あの、お仕事は大丈夫ですか?」


 他の者は席を外し、今は二人でお茶を囲んでいる。


「はい! 気付いたのですが、こうして少しでもヴァレンティナと会って言葉を交わしたほうが効率よく進められるのです。昨日のお茶会も中止にする必要などなかったですね。これからは毎日顔を見に伺いますね。ご心配いただきありがとうございます!」


 お付きの人たちとは違いツヤツヤとした良い笑顔でハキハキと言い放つデュラン。


 心配したのは付き合わされる部下たちの健康状態なのだが。このままでは彼らを過労死させてしまう。


「私に何かお手伝いできることはありませんか?」


 私は昨日言い出せなかったことを思いきって尋ねてみる。


 目が覚めてから約二ヶ月間、十分療養できたし、体力も気力も戻ってきた。何かできることがあるならと思ったのだが、デュランに不思議そうな顔をされてしまった。


 そうか、説明が足りなかった。


「ブランシェット邸でもこういった書類は目を通してきましたし、少なからずお役に立てると思います。お付きの方も続く勤務にお疲れのご様子でしたので、私が代わりになれればと思ったのですが」


 ピクリ、とデュランが反応を示した。


「ブランシェットでそのようなことを……?」


「はい。ですから、」


 ピシリと、まるで空間に亀裂が走ったような衝撃がはしり、驚いて言葉は途切れる。


 先ほどまで蝶々でも飛び交っていそうなほど穏やかだった室内の空気は、ひび割れた大地に死臭が漂ってきそうなほど不穏なものへと一変した。


 急激な温度差に身震いする。


 え?!

 なに! なに! なにっ?!


 デュランは額を手で覆う仕草を見せる。怒りを抑えようとしているようだった。


 私は何か失言でもしてしまったのだろうか? 自分の言動を振り返ってみるが検討もつかない。


「その歳で、働かされていたのですか?」


「え……?」


 当たり前に思っていたことを尋ねられ返答に困っている間にも、デュランの体からは何やら黒いものがジワジワと滲み出ているように見えた。


 私は慌てて弁解する。


「いえ、私がやりたくてお願いしていたんです!させられていたわけではなく、少しでも役に立ちたくて……だから、無理を聞いてもらっていたのは私のほうなんです!」


 これではまるでエドガーを庇っているように聞こえる。けれど事実、やれと命令されたことは一度もなかった。私が進んでやってきた事だ。


「それにもともと公爵様のお仕事が滞ってしまったのも、私が原因です。公爵様にはたくさんの事をしていただきました。なので、私にも何か恩返しできることがあればと思ったんです」


「ヴァレンティナ」


 つい早口になってしまう私を落ち着かせるように、デュランは穏やかな口調で呼び掛ける。側までやってきて膝をつき、私の瞳を真っ直ぐ見つめた。


「仕事が滞ったのは貴女のせいではありませんし、俺は親として当然の事しかできていません。ここでは役に立とうなどと気を張る必要はないのです」


「……私は役立たずということですか」


「そうではありません。俺が貴女を迎えるのは貴女にベハティ家の役に立ってほしいからではなく、貴女が俺の娘で、俺が貴女を愛していて、ただ俺の側に居てほしいからです」


  信じてほしい、そう訴えかけるような眼差しが私に向けられている。


「俺は二度も貴女が死んだと聞かされました。それでも今、貴女は俺の目の前にいる。生きてくれている、ただそれだけでいいのです。それだけで俺はこんなにも幸せなのです」


 デュランが私の手をそっと握った。いつの間にかきつく握り込んでいた手は大きく暖かい手に包まれる。


 この優しい温もりを、私は知っていた。


「ヴァレンティナ、生きて俺のもとへ戻ってきてくれてありがとう。これからはずっと幸せに笑っていてほしい。それだけで十分なんだ」



『生きていてくれるだけでいいんだよ。あかりが笑ってくれることが、一番の親孝行なんだから』



 具合が悪い日、何もできない自分が情けなくて涙を流した。そんな私の手を握って、両親が私に言ってくれた言葉だ。


 私が弱音を吐く時はいつも、何度だって伝えてくれた言葉。


 どうしてあの言葉を素直に受け止められなかったんだろう。いつから執着に変わってしまったんだろう。


 涙が溢れて頬を伝っていく。


 デュランは私を娘として見て、愛してくれている。それは今までも、私を見つめる眼差しから、私を呼ぶ穏やかな口調から痛いほど伝わってきていた。


 そのたび、私は複雑な気持ちになっていた。


 だって、私は大切に想ってもらえるような人間じゃないから。


 自己満足のために『父親という存在』を利用してきた酷い人間だから。ベハティでみんなの優しさに触れるたび、そう思い知らされた。


 私は、私のことを利用したエドガーと同じだ。そんな自分がこの場にいる権利なんてない。そう思い続けて、デュランとも曖昧に距離を保とうとしてきた。


 そんな私を見限ることなく、デュランは何度も言葉や態度で気持ちを伝え続けてくれた。


 だからこれからは、私もちゃんと応えたい。今まで素直に伝えられなかったけど、心から嬉しいと感じていることを。


 私はひくつく喉にグッと力を入れて、言葉を紡ぐ。


「……このお屋敷は、とても居心地が良いです……みんな、とても親切にしてくれます……公爵様のことも、好きです」


 私はデュランが握ってくれた手の上から、そっと自分の手を重ねる。


「眠れない私のために、お茶とお花を、ありがとうございました……!いつも私のことを考えて、大切だと伝えてくださって、本当はすごく嬉しかったんです……!」


 気持ちを伝えるのは、こんなにも緊張するものだっただろうか。


「私は公爵様がいて、使用人のみんながいるこの場所が好きです……! ずっとここに居たいです……!」


 深く呼吸をし、顔を上げデュランをまっすぐ見つめた。


「公爵様の娘として、私はここに居てもいいですか……?」


 今にも涙が零れそうな蜂蜜色の瞳と目が合う。キラキラと宝石のように輝くそれは、緩やかに細まる。


「ええ、もちろん」


 涙を流し震える声で願う私に、デュランは力強く肯定してくれる。


 心の奥底で硬く絡まっていたものが、ゆっくりと解けていくのが感じられた。




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