第29話 迷子
「テオ、もしかして貴方って……」
気付いてしまった真実を口にしていいのか迷ったが、今ここでハッキリさせてしまいたい気持ちが僅かに勝った。
「とんでもなく、おじいちゃんなんじゃない?」
真剣な眼差しを向ける私に対して、テオは一気に白けた顔になる。
「は?」
「だって、サイラス公爵が悪魔を退けたのって80年近く前の話でしょ? ということは、テオって中身はひぃおじいちゃん?」
だから人の考えていることが容易に想像できてしまうのだろう。さすがの洞察力は、だてに長く生きてはいないということだ。なら、テオにとって私は孫みたいな存在なのかもしれない。
一人で納得する私に、テオは声を荒げる。
「あのな、魔力持ちの人間は長生きなんだ!俺くらいならまだ全然若いほうだぞ!」
確かに、魔力を保持する多くの貴族は一般市民より少なくとも二倍は長く生きる。体の成長も、成人すると以降は緩やかになるのだ。
だからデュランも見た目は二十代の壮年に見えても、生まれはだいぶ前なので、前世で言うと孫がいてもおかしくない年齢のはず。改めて考えてみると見た目と実年齢の差がありすぎて頭がバグってしまいそうになる。
「一番の長生きで、一代目皇帝の娘がまだ生きてるくらいだぞ」
「ええ?」
今の帝国歴は私がいた6年後だから、もうすぐ500年を迎える。現皇帝は今四代目のはずだから……
「嘘だ!」
「嘘じゃねぇよ、会ったことあるからな!」
「その話が本当だとしても、そんな高貴な方がどうしてテオに会うのよ?」
「……」
ジトリとした眼差しが私を突き刺さんばかりに睨んでくる。
「何よ?」
「まぬけ女」
それ前にも言われたことあった気がするな。いつだっけ?
もういろんなことが起こりすぎててわけ分からん!
それから、どういうことかと食い下がる私にテオはそっぽを向いたままもう何も答えてくれなくなってしまった。
年寄り扱いしたことに腹を立てたのかもしれない。
大人びた態度を見せたと思ったら、突然子供みたいなことを言い出す。やっぱりよく分からん奴。
「お嬢様、」
鏡台の前で昨日のやりとりを思い出していると、退席していたレベッカが戻ってきた。今日もデュランと会うため身仕度を整えていたのだが、執事に呼ばれ少しの間部屋を出ていた。
「どうかしたの?」
出て行く前は笑顔だったその表情が、今は明らかに沈んでいる。
「今日の当主様とのお茶会ですが、残念ながら時間が取れなくなったとのことで」
「中止ってこと?」
悲しそうに頷くレベッカはまるで世界の終わりのような重い雰囲気を身にまとっている。そこまで残念がるほどのことでもないと思うんだけど。
どうか気を落とさないでください、と励ましの言葉を言ってくれるレベッカのほうがどう見ても落ち込んでいる。
私は大丈夫だよと笑って、まだ途中だった髪をどうしようかと軽くいじった。
その日は一日、読書をして過ごした。
次の日。
「申し訳ございません。本日も当主様は多忙のため、お嬢様とお会いできないそうです」
今度は執事が直接私にデュランとのお茶会中止を伝えに来た。昼食にも顔を出せないらしい。了承の旨を伝える私の後ろで、レベッカがアワアワしている様子が見なくても伝わってきた。
「きっと、溜まっていた仕事の処理をされているのだと思います。期限の差し迫っていた案件もあったご様子でしたので」
「う、うん。私は本当に大丈夫だから」
慰めるようなレベッカの言葉に、私のほうが落ち着いてと言いたくなる。
デュランはカーティスと一緒にブランシェット公爵の行いについて調べていたと言っていたし、最近はずっと私に時間を割いてくれていた。そのせいで本来進めるべき仕事に影響が出てしまったのだろう。
つまり私のせいでもあるわけだ。何か手伝えることはないだろうか? これでもブランシェットでは一通り仕事を経験させてもらっていた。多少勉強し直さなければならない部分もあるだろうけど、それでも少しは役に立てるはず。
「レベッカ、私ちょっと散歩してくるね」
「えっ! お嬢様?!」
衣装部屋を整理していたレベッカに伝えるやいなや、私は部屋を飛び出した。デュランの執務室へは足を運んだことがなかったが、だいたいの場所なら把握しているから一人でも行けるはず。
そういえば、自分からデュランに会いに行くのは初めてだ。テオに言われた言葉で気持ちが前向きになれているのかもしれない。
私は軽い足取りで突き当たりを右に曲がった。
「……あれ?」
しばらく歩き続けているが、一向に執務室にたどり着けない。なんだか同じような場所をぐるぐる回っている気がする。
もしかしなくても、迷った?
「とりあえず、一度部屋に戻って……」
踵を返すが、自分がどこから曲がって来たのかも曖昧になっていた。
大声を出して誰かに見つけてもらおうか? でも屋敷内で迷子になったなんて、恥ずかしくて言えない。
どうしようと考えていると目の前をフワリと何かが横切った。それは綺麗な青い翅をもつ蝶々だった。モルフォ蝶だろうか? どこからか入りこんでしまったみたいだ。
「君も迷子?」
側をヒラヒラ舞っていた蝶々は私が話しかけると、まるで「心外だ!」と言わんばかりにスイッと距離をとった。
そのまま、帰り道を知っているかのように、迷うことなく廊下をふわふわと突き進んでいく。
気付けば足は蝶々を追って歩きだしていた。
ここにいてもしょうがないし、蝶々の行方も気になる。
追い付くことも引き離されることもない、私と蝶々の間には常に一定の距離が空いていた。
やがて一つの部屋の前まで飛んで行くと、わずかに開いていたドアの隙間からするりと中へ入っていってしまった。部屋の中からは微かに話し声が聞こえてくる。
「 の 件に は」
「 は こ らの に ます」
「それ に るな」
耳をすませば、途切れ途切れの会話の中からデュランの声が確認できた。
低く抑揚のないその声音は、いつも私に話しかけてくれるデュランとはまったくの別人で、一瞬誰だか分からなかった。
ともあれ、ここが執務室であることは間違いないようだ。
ふと周りを見ると、華やかだった屋敷の内装はいつの間にか粛々とした雰囲気に変わっていた。今更ながら、謁見の約束もなく勝手に来てよかったのだろうかと不安になってきた。
「……よし!」
せっかくだから様子を見て、近づける雰囲気じゃなかったらすぐに退散しよう!
怖じ気づいたのは一瞬で、すぐに腹をくくると、微かに開いたドアの隙間からそっと中を覗いた。
デュランが机に向かいスラスラとペンを動かしながら、口頭では別の案件へ指示を出している。
広い机の上には、大量の書類の束がいくつも並べられ、付き人たちが忙しそうに手分けしていた。
作業は滞りなく進められているようだが、部屋の中の空気が殺伐としているのが一目見ただけでもよく伝わってくる。
この中に入っていく勇気は持てそうにない。
秒でそう判断した私は立ち去るため身を引こうとした。
「そういえば、先日現れた不審者以降、他に変わったことはないか」
私の身体がびくりと震える。
「はい。何も問題ございません」
護衛騎士だろうか。少し緊張した声が聞こえてきた。ここからでは後ろ姿しか見えない。
「次は必ず捕まえろ。手足を切った上で延命措置しておけ。喋る口さえあればいい」
優しい笑顔と穏やかな口調で話しかけてくれたデュランとは思えない。まるで別人の姿に、初めてのお茶会でむき出しになった彼の殺気を思い出す。
やはり、戦闘狂と恐れられてきた民族の血を色濃く受け継いでいる。
私にも同じ血は流れているのだろうけど、あんな威圧的な覇気、出せる気がしない。
ひえぇ、と声が出そうになる口を塞ぎ、早急に立ち去ろうと後退する。
「っ!」
前にばかり気を取られ足がもつれてしまった。後ろ向きに倒れこみ、ベタン!と尻もちをついてしまう。
ダメだ! 早く立ち上がって離れないと! 見つかったら勝手にここまで来たことを怒られてしまう!
私は立ち上がろうと腕に力を入れる。しかし間髪入れず、バン!と勢いよく目の前の扉が開いた。
両目を見開いたデュランと目が合う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます