第27話 すれ違い
カーティスの訪問が嬉しくて確認もせず中へ招いてしまったが、今この部屋にはテオがいる。
あまり仲の良くない二人だ。会わせないほうがよかっただろうかと慌てて振り返ったが、ソファからテオの姿は消えていた。カップも私が使った一人分しかない。ちゃっかりしている。
そうだった。奴は音も挨拶もなく消える。そういう奴だった。
「……一人でお茶してたの。みんな私を肥えさせようと毎日食べ物をたくさん置いていくのよ。そのうちガブッと食べられちゃうかも!」
かぶり付く動きをしつつ冗談を言えばクスリと笑われた。
「子供の頃に話して聞かせてくれた、兄妹が魔女の家から逃げ出すお話ですか?」
それは前世で読んだ童話を、幼いカーティスが怖がらないよう角を丸く整えて話した物語だ。
「そうだよ。覚えてたんだ」
「覚えていますよ。どれも聞いたことがないようなお話でしたし」
口元を隠してクスクスと笑うその笑い方は幼かった時のカーティスのまま。あどけなくて可愛い。私の心の癒しだ。
「カーティスもお茶飲む?」
「あ、いえ……渡したい物があって来ただけですので」
「渡したい物?」
カーティスは頷くと私に一枚の白い布を差し出した。
「あっ……」
それはハンカチだった。赤い刺繍でリターシャと縫われてあるハンカチ。
「渡すのが遅くなってしまい申し訳ございません」
カーティスの保護魔法がかかったハンカチは当時のまま、綺麗に保たれていた。
私がいなくなった後も大事に持ってくれていたのだろう。正直、私の私物は処分されもう手元には戻らないと思っていた。
「このハンカチは紛れもなく、貴女のお母様の物です。ベハティ公爵に確認しましたが、若い頃に練習で縫ったものではないかとのことです。貴女にとって大切な物であることは変わらないと思いましたので」
まだ出会って間もなかった頃、私がカーティスに母を語って、ハンカチを見せたことがあった。その時のことをずっと覚えていてくれたんだ。
「ありがとう……」
私はハンカチを受け取る。溢れそうになる涙を堪えようとぎゅっと瞳を閉じた。大切な物が戻ってきたこと、それ以上にカーティスが忘れずに持っていてくれたことが何より嬉しい。
さっきの話だって、カーティスがまだ幼い時に数回話しただけなのに。私との思い出を記憶にとどめていてくれた。
「忘れないでいてくれてありがとう、カーティス」
「俺が貴女を忘れたことなど、ただの一度だってありませんでしたよ」
その言葉に堪えきれずこぼれてしまった涙はカーティスの手がぬぐってくれる。
私はフフっと笑う。
「姉さん想いの弟を持てて嬉しい!」
カーティスはただ微笑を浮かべた。
「……貴女にお願いがあるのです」
「うん! 何?」
カーティスが言うならなんだって叶えてあげたい。
久しぶりに頭でも撫でてほしいのだろうか。カーティスは、必要以上に頭を撫でる私をいつも不服そうな顔で指摘していたけど、撫でられるのが嫌じゃないことくらい、ちゃんと分かっていたんだから。
けれどカーティスのお願いは、私が考えていたような子供じみたものではなかった。
「近いうちに裁判が開かれます。エドガーが貴女に行った非道を明らかにする裁判です。そこで証言台に立っていただきたいのです」
そう言って私を見つめるその眼差しは、見たことがないほど真剣なもので、それはもう子供が見せる表情ではなかった。
当たり前だ。カーティスは私の知らない6年間を過ごしてきた青年なのだ。
急な話に、心臓がドクドクと音をたてる。
「……私が目覚めた時に『もうすぐすべてが終わる』って言ってたのはこのこと?」
「はい」
カーティスはずっと手がかりを調べていたと言っていた。それは私の本当の両親を見つけるためだと思ったけど、エドガーの罪を裁くためでもあったんだ。
確かにエドガーは私を生き埋めにした。これは立派な殺人未遂だ。恨んでいるし、許す気もない。
だけど……。
「裁判なんて起こさなくていいよ。私はこうして生きてるんだし」
思ったよりも抑揚のない声が出てしまった。けれど取り繕う余裕はなかった。
私の言葉に、カーティスは信じられないといった顔をする。
「どうしてですか? 彼は然るべき罰を受けるべきです! 貴女をあんな目に遭わせた人間が今もブランシェットを名乗っているなんてあってはならないことです!」
「私は公爵を咎める気なんてないよ」
「貴女を利用していたんですよ? 魔力補填のために貴女を屋敷へ連れてきたんです!」
「そうだね」
淡々と答える私に、カーティスは理解できないという顔をする。少しだけ青ざめているようにも見えた。
「……まさか、今もエドガーを父親だと思っているんですか? 情を、抱いているんですか?」
私は首を横に振る。
違う。エドガーに対して父娘の情などない。そんなもの、私とエドガーの間にはなかった。それをあの日、思い知らされた。
それに、娘としてではなく公爵家の利益のために迎え入れられたことなんて、最初から分かっていたことだった。
「カーティスは私が利用されたって言うけど、私も公爵を利用してたんだよ」
「どういうことですか?」
ベハティ邸で温かな人たちに囲まれ、デュランの優しさに触れ、私は自分の汚なさを自覚していった。
最初は、自分がブランシェットで生き抜くための努力だった。けれど、だんだんと欲が出たんだと思う。
公爵家にいればたくさんのことを学べた。そのおかげで誰かの役に立てた。公女という身分のおかげで色々な場所へ出入りができた。そのおかげで困っている人を助けられた。
もう何もできずに、ただベッドに横になっていたあの頃の私じゃない。私にも誰かの為にできることがあると実感できて嬉しかった。
功績が積み重なりブランシェットの名声が上がるたび、エドガーは喜び私を褒めてくれた。親孝行ができている気になって安心した。
けれど、結局それは自己満足だ。
エドガーが私に"娘"という名の"利益"を望んでいたように、私も無意識に、エドガーに"父親"という名の"気持ちの捌け口"を望んでしまっていたのだから。
私は自分の為に、前世の未練を晴らそうとしていただけだった。
そんなだから、エドガーとも結局最後まで本当の父娘にはなれなかった。父親としてエドガーを見ていなかったのは私も同じだったのかもしれない。
益無しと判断されたなら、捨てられたって仕方がなかった。最初からその約束で私は引き取られた。それを覆すほどの関係を築くことができなかった。
「全部、自業自得なの」
「理解できません! たとえ貴女がブランシェットにいたことで得るものがあったとしても、エドガーは許されないことをしました! その罪は裁かれるべきです!」
「当事者の私がしなくていいって言ってるんだよ」
「どうして庇うのですか?」
「庇ってるわけじゃないよ……」
事実、エドガーは当主としての責任は果たしていた。名誉を守るためでもあっただろう。けれど、海底火山の件でも、寒波への対策に関しても、市民が苦しい日々を送ることがないよう、尽力していた。
そのための犠牲が私だったというだけの話だ。それはあの日、大量の魔力石を前に決意し、自ら望んだことだ。自分で決めた事に対して他人に責任を問うべきではない。
「ごめん、私は証言台には立てない」
ごめんなさい、と私は拒絶の意味を込めてもう一度呟く。
もうこの話は平行線になりそうだ。カーティスも同じように考えたのだろう。思い悩むような顔をしていたが、やがて小さな声で「失礼しました」と呟くと静かに部屋から出ていった。
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