第25話 過去の夢


 誰かに手を引かれ、必死に歩いていた。

 空は灰色の雲に覆われて薄暗く、地面は辺り一面が白で覆われている。


 雪が降り積もっているようで、短い手足では歩きにくい。何度も足をとられそうになりながら、必死で足を動かした。


『お急ぎください』


 私の手を引く誰かが、声をひそめて言う。


『大丈夫です。何があっても必ず私がお守りいたしますから!』


 振り返ったその女性は、私が不安げな顔をしていたのか、安心させるように笑いかけてくる。にっこりと引き上がった口角にはホクロが一つ確認できた。


 私はこの女性を知っている。


 名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、景色が白くぼやけていく。


そこで夢から目覚めた。





***


 面会、もといお茶会から数日が過ぎた。


 デュランとはあれから毎日欠かさず顔を合わせている。今日もこれから屋敷の庭園を二人で見て回る約束をしていた。


 鏡台に腰掛けた私の後ろで、レベッカが楽しそうに髪飾りを選んでいるのが鏡越しに映る。


「お嬢様、リボンはこちらでよろしいですか? それとももっと明るい色のほうがいいでしょうか?」


 私の身支度なのにレベッカのほうが張り切っているのは何故だろう。それにただ庭を散歩するだけだから着飾る必要はないと思うんだけど。

 そう呟けば、レベッカは拳を握って力説する。


「お嬢様! 父親は娘の愛らしい姿を毎日でも見たいと思うものなのです! そう、父親は!」


「そ、そうなのかな?」


 デュランと顔を合わせるようになって以来、使用人たちがなにやらソワソワしているように感じる。どうやら私たち親子の仲を取り持とうとしてくれてるみたいだけど……。


 そこでふとあることに気付いた。


「もしかして、あの日レベッカがバラ園のバラが咲き始めたって教えてくれたのは、私と公爵様を会わせようとしたから?」


 思えば早すぎるバラの開花時期を考えると、庭師の人とも結託していたのかもしれない。ここの使用人たちは仕事場の垣根を越えて仲が良いから。

 おそらくデュランにもバラ園に向かうよう、誰かがそれとなく仕向けたに違いない。


 私の推測にレベッカは図星をつかれたような顔をした。


「やはり、お嬢様は聡明でいらっしゃいますね」


 少しだけ寂しげな表情を浮かべて、レベッカは「申し訳ございません」と頭を下げた。


「本来なら、なんの隔たりもなく笑い合っていたはずのお二人の姿を拝見したかったのです。出過ぎたまねをしてしまい大変申し訳ございませんでした」


「レベッカ、私は怒ってないよ。顔を上げて」


 私たちの事を心配して真剣に考えてくれて、すごく嬉しい。みんなの協力のおかげで、デュランと顔を合わせることができ、誤解も解けた。


「ありがとうって、みんなにも伝えてほしい」


「お嬢様……! はい、必ずお伝えいたしますね」


 やはりこの屋敷の人たちはブランシェットの使用人たちとは違う。私は屋敷のみんなの事が大好きになっていた。


 レベッカは切り替えるように笑いかけると、どこからか新しい装飾品を大量に取り出してきた。


「それでは、もう少し気合いを入れて支度いたしますね!」


「えっ!」





 それから数十分後。


「お父様との楽しい時間をお過ごしください!」


 しっかりと身支度の整った私に手を振って、レベッカは送り出してくれた。これから庭園を歩くというのにすでにヘトヘトだ。


 扉が開いた先にはすでにデュランの姿があり、私を見ると驚いたように瞳が見開かれた。


「ヴァレンティナ」


 優しい声で私の名前を呼んで迎えてくれる。


「今日は一段と可愛らしいですね。あまりにも愛らしい姿だったので天使が舞い降りたかと思いました。本当に、どうしてこんなに可憐なのでしょうか」


 デュランは毎回のようにそんなことを言ってくれるが、なんと返事すればいいか分からない。今までこんなふうに褒められたり可愛がられたりされたことがなかったから、反応に困ってしまう。


 結局、蚊の鳴くような声でお礼を述べるにとどまった。


「段差がありますので、お気を付けください」


 デュランが手を差し伸べてくれる。正直こんなちょっとした段差、私はなんてことないのだがその手を無下に断ることはできない。それにデュランの過保護さは、照れ臭いけどなんだか少し嬉しかった。


「やはりここは高低差をなくして一帯を平らにしましょう。ヴァレンティナが転んでしまっては大変だ」


 だけどデュランの発言に嬉しい気持ちはどこかへ飛んでいく。


「私は大丈夫ですよ!」


 デュランはいつもやり過ぎるのだ。


 私の身体が異様なまでに小さい、軽すぎる、このままでは風に飛ばされるなどと言い、大量の食事を作らせシェフたちを走り回らせた。


 「読書が好きだと聞いたので、屋敷の一部を潰して近々ヴァレンティナ専用の新しい図書館を建てる予定です」と意気揚々、宣言された。


 そして先ほどレベッカが真新しい装飾品を大量に取り出していたが、少し目を離した隙に服や身の回りの物がどんどん増えていくのだ。手当たり次第、息を吸うように仕入れているに違いない。


 これ以上使用人たちへの余計な仕事と心労と無駄な予算が増えないように、私は慎重な言葉選びを心掛ける。


「私は今のこの外観が好きなので、できればこのままがいいです」


 デュランは少し悩んでいたが「ヴァレンティナがそう言うなら」としぶしぶ納得してくれた。


 デュランは支えるために握った手をそのままに歩き出す。その横顔はとても幸せそうで、私はデュランのそんな表情を見るたび複雑な気持ちが芽生えて困ってしまう。


「ヴァレンティナ、見てください」


 デュランの声に顔を上げるとそこには一面の青が広がっていた。ネモフィラの花畑だ。今日は雲一つない晴天で、青空とネモフィラの花びらがこの青一色の景色をつくりだしている。私の口から思わず感嘆の声がもれた。


「綺麗!」


「この時期の晴れた日にしか見られない景色です。ヴァレンティナにも見てほしかったんです」


 デュランは私の名前をよく呼ぶ。ずっとリターシャとして生きてきた私は、まだそれが自分の名前だと思えないでいた。


 そういえばブランシェット邸でも、一日でこんなに名前を呼ばれたことはなかったかもしれない。ブライアンにはずっと「ねずみ女」などと呼ばれていたし、カーティスからは「姉さん」と呼ばれていたから。

 エドガーも、私をあまり名前で呼ばなかった。外出先ではとくにそうだったように思う。


「気に入りましたか? ヴァレンティナ」


 ニコニコと笑って問い掛けてくるデュランを見ていると、ただ私の名前を呼びたいだけのような気もしてくるけど。


「……はい」


 私はそれが素直に嬉しかった。


 穏やかな風が吹き抜けてネモフィラをゆらゆらと揺らす。そうすると花畑はまるで穏やかに波打つ海のように見えた。潮の香りではなく、ほんのりと甘い香りが風に乗って通り過ぎていく。


「……本当の事を言うと、青色は苦手なのではないかと思い、この景色をお見せするかずっと迷っていました」


「どうしてそう思ったんですか?」


 繋いだ私の右手を見つめるデュランに、ああ、と気が付く。


 青い薔薇。

 私にはすっかり馴染みのものになっていたけれど、他の人にとってはやはり目を引いてしまうものらしい。


 この世界に青いバラは存在しない。

 存在しないものがあるということは恐怖の対象でしかなかった。ブルーローズが恐れられる要因の一つでもある。


 だからテオも、普段は服で意図的に隠しているのかもしれない。


「私は青色もバラの花も苦手ではありません。公爵様は気にしすぎです」


「……そうですか」


 何故だかすごく落ち込んだ顔をされてしまった。


 私は本当に大丈夫ですよ、と念を押して伝える。またバラ園を一掃しようとするような、とんでも規模の心配をされたら厄介だ。


 話題を変えようと、今度は私からデュランに話しかけてみる。


「あの、私を治してくれたのはテオなんですよね?」


「……ああ、あの子供、サイラス公子の事ですね」


 一瞬誰だったか思い出す素振りを見せて肯定する。娘の命の恩人に対する認識としてはずいぶん薄っぺらくないだろうか?


 というか、ん? え?

 今なんて言った?


「サイラス、公子……?」


 思いがけずあがったその名前に、私は驚き、耳を疑った。


帝都より北に位置する『冬のブランシェット』

西に位置する『秋のベハティ』

そして、南に位置する『夏のサイラス』


オリアナ帝国は、帝都を中心に、この三つに分けられている。


 『夏のサイラス』は、ブランシェットとは反対に一年のほとんどが夏の気候で保たれた暖地である。海にも面しており、漁港も盛んでそこに住む人々は明るくおおらかな人が多いと聞く。


 当主の名はセオドア・リュカ・サイラス。


 80年ほど前、悪魔から帝国全土を救ったとして一代で爵位を授かり、サイラスを名乗る事を許された英雄。そして皇族以外では唯一、神名を授けられた人物でもある。


 神名とは神によって与えられる名前。"リュカ"がそれにあたる。


 一目も二目も置かれる超有名人。それがサイラス当主なのである。


 テオが、そんなすごい人の、息子?


「でも、確かサイラス公爵に子供はいなかったはずですが」


「俺も耳にしたことがなかったので最初は身元を疑ったのですが、事実のようです。サイラス公爵にも確認済みです」


 確かな事実であることに、私は静かに驚愕し、そして憤怒した。


 あの生意気はどうしてそういう大事な事を言わないのかな? この場にいたらきっと聞かれてないから、とシレッとした顔で言うんだろうな。


 まったく、もう!



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