第19話 バラ庭園2


 男の人の申し出に断る理由もないので頷く。二人でバラ園へ足を踏み入れた。


 生垣の間にもうけられた道をゆっくりと進んでいく。バラは見事なまでに手入れが行き届いていた。今は蕾のものが多いが、もう少しすれば大輪を抱えた綺麗なバラの道ができあがるだろう。


「バラはお好きですか?」


 そう問われて、私は自分の右手に残る青い薔薇を思い出した。


 さんざん苦しめられてきたけど、テオいわくこれは私がポップコーンみたいに弾けないように守ってくれていたものらしいし、私が無理しなければあそこまで酷くはならなかった。

 それにバラの花に罪はない。綺麗だし、いい匂いだし、この花に対して恐怖は感じない。


「花は好きです。見ていると癒やされませんか?」


 私は開き始めたばかりのバラの花を指先で軽く触れながら答えた。間をあけて、そうですねと静かな声が返ってくる。


「実は、このバラ園は明日にでも取り除く予定だったそうです」


「えっ!」


 蝶々がふわふわと飛び交う平和的な空気の中、穏やかではない情報が落ち着いた口調で投下される。


 この広大なバラ園を取り除く?

 これから見頃になるというこのタイミングで?


「ですがお嬢さんもバラがお嫌いではないようなので、きっと今後も見事な花を咲かせてくれることでしょう」


 そう言ってニコニコと笑う男の人はどこかつかみどころがなかった。


 つまり明日からもこのバラ園は存在するってことだよね?

 お貴族様は模様替え感覚で屋敷を一から建て直すこともあるから恐ろしい。


 薙ぎ払われなくてよかったね、とバラを撫でた。


 しばらく生垣に沿って歩くと円形に広がる広場に出た。中央には立派なガゼボが建っており、まるで童話の世界に入り込んだような素敵な空間となっている。

ここでバラを眺めながらお茶でもできたら素敵だろう。私は物珍しくてキョロキョロと見回る。


「気に入りましたか?」


 うろちょろとしすぎただろうか、微笑ましいものを見るような眼差しを向けられていることに気付いて、私は頷きつつ行動を慎んだ。


 そういえば、ブランシェットでは庭園でお茶などあまりしたことがなかった。家庭教師から教わる授業と魔法の練習、それに寒波対策の資料作成や、暇があればエドガーの手伝いができるよう勉強していた気がする。

 それがここへ来てからは毎日ゆったりとした時間を過ごせている。いや、自堕落しすぎているかもしれない。周りのみんながあまりにも優しすぎるから……。


「……お嬢さんはこの屋敷で不満に感じていることはありませんか?」


「え?」


「もし何かおありでしたら、私から伝えますので何でも仰ってください」


 私を真っ直ぐ見つめて話すその言葉には、心からの思いやりが込められているように感じられた。この屋敷に来てからよく向けられる感情。彼らの真摯な心に触れるたび、複雑な気持ちになってしまう。


「ここにいるみなさんは、私に同じ質問をしてくれるんですね」


「……煩わしかったですか」


 私は首を振る。


「嬉しいです。屋敷の者のように接してくれて」


 同時に申し訳なくなる。

 私に対して公爵令嬢のように接する必要などないのに、と。


 事実がどうであれ、私は自分がベハティ家の人間である実感も自信もない。一度捨てられた身だ。

 ブランシェットからも見捨てられた。これ以上誰かに見限られるのは嫌だった。自分の存在意義がなくなっていく気がして、悲しくなる。


「……お嬢さんはベハティ家でただ一人の大切なご令嬢ですよ」


「……」


 みんなが私にそう言ってくれる。けれど、デュランがそう思ってくれているとは思えない。


 やはり近いうちに公爵邸を出よう。何の接触もないということは私に関心がないのだ。なら今のうちに姿を消せばそのうち忘れてくれるだろう。いなくなったってわざわざ私を探す理由もないだろうし。むしろ面倒ごとが消えて清々するに違いない。


 よし、今日にでも荷造りだ!


 私は心の中でグッと拳を握り、決心する。


「……お嬢さん」


 男の人も何か思案していたのだろうか、強い意思のこもった瞳が静かに私を見つめる。


「私は、」


 躊躇うような間が空き、やがて覚悟を決めたように口を開いた。

 その時だった。


「公爵様!」


 男の人の発言を遮るように、後方から誰かが叫びながら走ってきた。腰に剣を差し、鎧とマントを身に付けたその姿はいかにも護衛騎士という風貌をしている。


「こちらにいらしたのですか、公爵さ、ま……」


 言葉の途中で私の姿が視界に映ったのだろう、護衛騎士はしまった!という顔をして、一気に血の気が失せていく。


「公爵様……?」


 ベハティの邸宅でそう呼ばれる人物は、客を招いていないのであれば一人しかいない。


 男の人は走ってきた護衛騎士へ振り返る。瞬間、ヒヤリとした鋭い空気がまるで男の人から滲み出てくるように広がり、その矛先は護衛騎士へ向かった。


「ヒッ!」


 こちらに背を向けているので確認できないが、男の人が今どんな感情で護衛騎士を見ているのか容易に想像できる。


 今まで私と話していた雰囲気とはまるで別人だった。その後ろ姿から感じるオーラだけでも、身震いしてしまう。話に聞いていた獰猛で無慈悲な戦闘狂、そのすべてがピッタリ当てはまるほどの覇気が男の人から感じられた。


 この人が、この屋敷の当主、デュラン・ベハティ。


 私の実の父親――?!




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