第18話 バラの庭園1
テオが夢に出てきた日から、棺の悪夢を見ることはなくなった。暗闇はまだ怖くて、明かりがなければ落ち着かないけど、夜中に飛び起きることはもうない。
眠れるようになると、気力と体力がグングン戻ってきた。
テオにはおまじないのお礼を伝えたり、夢のことを聞いたり、教えてほしいことが山ほどあるのだが、あれから一度も現れていない。
「もしかして、質問攻めにされるのが面倒でわざと姿を現さないとか?」
一応この屋敷に滞在していることにはなっているようなのだが所在は謎だった。
レベッカもテオに関して詳しくは知らされていないようで、私を治してくれた若き天才魔法医師、という認識だった。
仕方がないのでテオのほうから現れてくれるのを待つことにする。
「本日はいかがされますか?」
朝食を終え、部屋に戻る際レベッカが今日の予定を尋ねてきた。
「今日はベハティの歴史に関する書物が読みたいんだけど、いいかな?」
「はい、もちろんです。この屋敷にある物すべて、好きに目を通していただいて構わないのですから」
レベッカの言葉に曖昧な笑顔を浮かべて、私はお礼を述べた。
心に余裕も出てきたので、数日前から久しぶりに読書を始めていた。公爵邸の書斎へ赴き、一日の大半を読書に費やす。
ここ数日はそんな日々を過ごしていた。
「バラ園のバラが咲き始めたそうですよ!」
本を読んでいると、レベッカが庭師から聞いたばかりの情報を伝えに来てくれた。
そういえば、レベッカと屋敷の庭を散歩した際にバラの生け垣の近くを通った。あの時はまだ蕾の状態だったけど、随分と早く開き始めたようだ。
ベハティ邸には花の庭園が多く存在している。気候の違いで育ちにくい品種も、この公爵邸においては魔法による徹底的な温室管理がほどこされ一年をとおしてさまざまな季節の花や植物を楽しめた。
それはブランシェット邸でも同じだったが、ベハティ邸は一段と育てている花の種類が豊富だ。まだすべてを見終えていなかった。
「見に行ってきてもいい?」
「ここはお嬢様のお屋敷ですので、好きな時に好きな場所へ行っていただいて構わないのですよ」
嬉しそうに答えてくれるレベッカに、私はまた複雑な気持ちになる。
読んでいた本を閉じ立ち上がった。
「それじゃあ、行ってくるね」
先日レベッカと体を動かすため庭園を歩き回ったので、バラ園までどう行けばいいかは分かっている。
道すがら出会う使用人たちは今日も気さくに話しかけてくれた。執事もメイドも庭師も、この屋敷で働く使用人たちはみんな仲が良く、日々楽しそうに仕事をしている。
ブランシェット邸の冷えた空間とは違い、ここは温かい空気に包まれているような安心感を覚える。機械的でない、人の温もりを感じる場所だった。
私はここに孤児院にいた頃のような居心地のよさを感じ始めている。
「これは、ちょっとまずいかな……」
レベッカはここが私の家だと言ってくれたけど、私はいつここから追い出されるとも知れない身だ。余計な感情を抱けばあとでつらい思いをしてしまう。
だから、私はこれから身の振り方を考えなければいけないのだ。
ブルーローズもトラウマもなんとかなった。エドガーの事はいったん置いておいて、さしあたって考えるべきはデュランの事。
「もしも私を始末しようと考えてるなら、前もって逃げる算段を整えておかなくちゃ……」
命だけは見逃してもらえるなら、孤児院に戻りたい。私がいなくなったせいで、ブランシェットからの支援は途絶えてしまっているだろう。
10年近くも経っているから、大人になって孤児院から出ていった子がほとんどだろうな。捜せば会えるだろうか?
「ウィルは、元気かな……」
兄のように面倒を見てくれたウィル。彼とは一番仲が良かった。私が公爵家へ赴く際も、嫌なら一緒に逃げてやる!と言ってくれた優しいウィル。
「孤児院で子供たちの面倒を見ながら生涯を過ごすのもいいな……」
名前を変えて姿も魔法で変装すれば、エドガーにも気付かれずやり過ごせるかもしれない。できれば私のことなんて綺麗サッパリ忘れてほしいところだけど。
彼のしたことは許されることではないし、憤りがまったくないわけではない。けれど、復讐しようなんて考えはなかった。棺から逃げだせた時点で私の憂さはそれなりに晴れている。
信じられないと思われるかもしれない。私だって他者からそんな話を聞いたら黙ってはいられないだろう。
けれど、死に物狂いで試みた脱出に成功した達成感、みたいなものだろうか? 怒りの感情があったから、あの状態でも底力というものが出せた気がする。
青空が視界に広がった時はざまあみろ!と内心嘲笑ってやったし。多分そこで怒りのエネルギーを使い果たしたんだと思う。
復讐心に苛まれているわけでもない。それなら、これからの人生を復讐に費やしたくはなかった。
(それに、私は……)
「わっ!」
唐突に何かにぶつかり尻餅をついた。考え事をしていて前を見ていなかったせいだ。
「すみません!」
顔を上げれば、目の前には随分と背の高い男の人が立っていた。太陽の光が眩しくてよく見えない。
「あの、ごめんなさい……痛かったですか?」
動く気配のない男の人が心配になりもう一度謝罪すると、ようやく反応が返ってくる。
「いえ、大丈夫です。……お嬢さんは?」
応答があり一先ずホッとした。
「私は大丈夫です」
立ち上がろうとすると私の両脇を大きな手が掴んできた。抱き上げてくれるのだろうか、そう思った次の瞬間、ぐわっ!っと私の体が急上昇した。
そのまま放り投げられるのかと肝を冷やしたが、男の人の頭上でピタリと急停止する。遊園地の絶叫系アトラクションに乗っているみたいだ。
ブラブラと私の足が宙で揺れ、バクバクと心臓が音をたてる。驚きで固まってしまう私。しかし男の人もまた、驚愕の面持ちで私を見上げ固まっていた。見開いた蜂蜜色の瞳と目が合う。
お互い時が止まってしまったかのように、しばらくそのまま見つめ合った。
「あ、あの……」
「あっ!すみません!」
気まずくなり先に声をかけると、男の人は我に返ったように慌てて私を慎重に、丁重に地面に立たせてくれる。
「まさか、こんなに軽いとは思わなかったもので」
シュンとした顔で謝るその姿は、まるで主人に怒られて落ちこんでいる大型犬のようだ。くせっ毛のある柔らかそうな赤髪は少しだけ犬の毛並みを思わせる。
この屋敷の護衛騎士だろうか? それにしては頼りない。まさか庭師ではないよね?
「……こちらへはどのような用事で来られたのですか?」
男の人が控えめな態度で尋ねてきた。
「ええと、バラを見に来ました」
私は前方に視線を送りながら答える。目的地までもう目の前まで来ていた。男の人は後ろの生け垣を振り返り、いいですねと微笑む。
「もしよろしければ、ご一緒しても構いませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます