第17話 棺からの脱出



「はぁ……」


 気分転換に部屋の窓を開け、キラキラと射し込む木漏れ日を見上げ瞳を閉じた。頬を照らす日の光は暖かく、どこからか小鳥の鳴き声も聞こえてくる。この心地よい光の下で仮眠をとっていても日が陰ればすぐあの夢にうなされ目を覚ました。


 レベッカは気を遣って特別な茶葉を用意してくれたり、香りの良い花を部屋に飾ってくれたり、長い散歩にも付き合ってくれた。それでも変わらず悪夢は続いた。


 完全にトラウマになってしまっている。

 私はもう一度深い溜め息をついた。


「少し見ない間に不細工になってないか?」


「!!」


 唐突な声に驚いて目を開けると、木の枝に腰掛けこちらを見下ろすテオと目が合う。木登りしてきたわけではなく、前回と同様に突然そこに現れたのだろう。

 フワリと枝から窓枠に飛び移ると、そのまま許可なく部屋に入ってくる。その自由気ままさに私は呆れた。


「扉から入ってきてって言ってるのに……」


 悪びれない生意気な笑顔に、私はもう溜め息しか出てこない。いろいろと質問したいことがあったのに、今は聞く気になれなかった。


 私の薄い反応にテオは眉をひそめる。


「なんだ? お前、全然楽しそうじゃないな」


 残念ながら何かを楽しめる状況ではない。下手したら命の危険だってあるんだから。目の前にいる能天気が恨めしい。


 テオは黙ったままの私をまじまじと見つめていたが、おもむろに手を伸ばすとあまり血色のよくない頬に触れる。うっすらとできた目の下のクマを指がそっと撫でた。


 意外にも優しい手つきに少し驚く。


「ちゃんと眠れてないのか?」


「……うん」


 レベッカや他の使用人たちには「大丈夫、平気」と曖昧に誤魔化してきたのに、テオの前では不思議と素直に頷いていた。


 変なの。本当に参ってきているのかもしれない。


 テオは何か考えるような顔をして、ポンポンと私の頭に触れた。


「分かった」


 何が分かったというのだろう?


 テオは唐突に私の目の前で片手を開いて見せる。その手をぎゅっと握り、もう一度開くとどこからか一輪の花が飛び出してきた。


「えっ! なに? どうやって出したの?」


 素直に驚く私にテオは小さく笑った。皮肉めいていない、年相応の少年らしいその笑顔。


「こんなの、しようと思えばお前にだってできるだろ」


 そう言って花を差し出す。


「よく眠れるおまじない。ベッドの横にでも生けとけよ」


 なんてことだ。その年にして、こんなことサラッとしてしまうなんて末恐ろしい。今時の少年はみんなこうなのだろうか。


 なんだか少し背伸びしているみたいに思えて笑ってしまうと「何だよ」と睨まれてしまった。ごめん、ごめんと謝りながら花を受け取り観察してみる。


 これはガーベラだろうか? 造花ではなく、ちゃんとした生花だ。私の髪と同じ赤色の綺麗な花。とても可愛らしい。


「ありが――」


 とう、と顔を上げるとすでにテオの姿はなかった。また勝手に消えている。別れの挨拶さえない。


「消えるなら何か言ってから消えてよね!」


 届くか分からないが、私は少し声を張り上げて叫んだ。

 もう! かなり失礼な奴!


 腹を立てつつ残された一輪の花に視線をおとす。


 だけどほんの少し、心が軽くなった気がした。





 その夜、いつものように灯りのついたランプを用意しベッドに横になる。側にはガーベラを生けた一輪挿しが確認出来た。よく眠れるおまじないと言っていたけどちゃんと効くのだろうか?


 しかし、今思えば見た目が同年代とはいえ頭をポンポンされてしまうなんて。少年に慰められる成人女性を想像して恥ずかしくなった。


 ふと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「いい匂い……」


 ガーベラの香りだろうか? 昼間はこんなに香っていなかったように思うが。そもそもガーベラはあまり香りのない花の、は ず……。


 急に思考が鈍くなり瞼が重くなる。心地いい眠気に溶けるように意識は遠退いていった。





***



 暗い。


 何も見えない。

 気が付けば、いつもの暗い棺の中にいた。


――ドサッドサドサッ


 土が落とされる音が聞こえる。

 何度も繰り返される悪夢。慣れることのない恐怖。私は身体を丸めて目を瞑り夢の終わりをただ祈った。


 早く起きなきゃ、早く起きて。

 早く、早く、早く。


 これは夢だと分かっているのに、もがけばもがくほど息苦しくなる。


 早く、早く、早く!



 誰か、助けて……!



 ふいに光が射しこむ。


 驚いて瞳を開けば、あんなに重く閉じていた棺の蓋が僅かに開いている。その隙間からは光がもれていた。土を落とす音もいつの間にか止んでいる。


 何が起こったのか理解できずにいると、光の隙間がゆっくりと広がっていき、視界に青空が映った。どこまでも澄んだ鮮やかで深い青。


「おっ、いたいた」


 空と同じ色の瞳を持った少年が私を覗き込んだ。


「テオ……?」


 なんでここにいるの?


 呆けている私に、テオはやれやれといった様子で手を伸ばしてくれる。


「いつまでそんなとこいる気だ? さっさと出てこい」


 私は信じられない気持ちのまま、恐る恐る手を伸ばしその手を掴む。テオはいとも簡単に私を棺の中から引っ張り出してくれた。


「よし、出られたな」


 その言葉に周りを見渡せば一面に色とりどりの花が咲いていた。私を閉じ込めていたはずの棺はどこにも見当たらない。


「えっと、これ、夢だよね?」


 なんだか間抜けなことを言っている気がする。だって今までどんなに頑張ってもあの棺から脱け出せなかったのに。


「なんでテオが私の夢に出てくるの?」


「出てきちゃ悪いかよ」


 いや、悪くはない。むしろ棺から出してくれて感謝している。


 私は青空の下、そよ風に揺れる花をボウッと眺めた。夢の中でさらに夢を見ている気分だ。本当はまだ棺の中にいて、あまりの恐怖に幻覚を見てしまっているんじゃないかと考えてしまう。


 ぼんやりしたままの私に、あのなぁと面倒くさそうにテオが口を開いた。


「お前はもうとっくにあそこから脱け出せてるんだよ」


 その言葉にハッとする。振り返るとテオは私の目を真っ直ぐ見つめ、言い聞かせるように続けた。


「もしまた同じ夢を見たとしても、何度でも俺が助けてやる。だからお前はもう大丈夫なんだよ」


 私は込み上げる感情に唇を結ぶ。ずっと続くと思っていた闇が急に晴れて、その明るさが信じられなかった。それは自分で自分を閉じ込めているのと同じだ。


 私はもう大丈夫。大丈夫、なんだ。


「分かったか? あんまり俺に面倒かけるなよ」


「うん……。テオ、ありがとう」


 素直にお礼を述べると、テオは一瞬変な顔をしてすぐにそっぽを向く。別に、と小さく呟く声が聞こえた。


 周りの景色がゆっくりと消えていく。


「そろそろ起きるみたいだな」


 夢の終わりをテオは教えてくれた。


 いま目の前にいるテオは夢の中の存在なのだろうか。昼間におまじないの花を貰ったりしたから、その潜在意識からテオが登場しているだけだよね?


「ねぇ、テオは私の夢の住人なんだよね? 現実のテオとは関係ないんだよね?」


 私のおかしな質問にテオは鼻で笑い、いつもの生意気な笑顔を浮かべて言った。


「まぬけ女」


 普段ならそんなこと言われれば立腹ものだが、不思議と少しも腹立たしく思わなかった。ただ胸の奥に奇妙な感覚だけが芽生える。その違和感の正体が何であるかは分からない。


 テオは周りの景色と同じように白に飲まれるように消えていった。





***



「……ん」


 私は眩しさにゆっくりと目を開く。

 カーテンを全開にして眠ったので、窓からは朝日が差しこんでいた。


 身を起こして一輪挿しを見れば、生けていたはずのカーベラはいつの間にか消えていた。



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