第15話 暗闇の恐怖



 ブランシェットの屋敷で働く使用人たちは、エドガーの命に従っているだけで本心を内に隠したまま与えられた仕事を淡々とこなしていた。暖かな笑顔を向けられたことは一度もない。


 それは貴族の家なら当たり前のことで、ベハティでも同じなのかと思っていた。けれど、メイドたちがかけてくれる言葉や態度からは温かさを感じた。


「それでは、ご用がありましたらいつでもお呼びください」


 そう言って部屋を退出する際にも優しい笑顔を向けてくれる。ブランシェットで働く使用人たちとの違いに、正直戸惑っていた。


「ふぅ……」


 ひとまず室内を見回してみる。

 私がゆっくり過ごせるようにと用意された部屋は、ブランシェットで与えられた自室よりも広かった。来客用とも少し違う。以前から用意してくれていたのか、掃除も隅々まで行き届いていた。


「うーん……」


 ふかふかのベッドに腰かけ腕を組む。一度、現状を整理しておきたかった。


「棺から死ぬ気で脱け出したのが、自分の体感では昨日の事。実際は6年もの時が経っていた。それから一ヶ月ほど眠ったまま……」


 私は右手の青い薔薇を見つめる。長くは生きられないと思っていたけれど、もうその心配はない。あの少年が治してくれたから。


「あっ……そういえば、まだ名前も聞いていなかった」


 私を助けてくれた少年。生意気で天才だということしか知らない。そもそも、どういった経緯で私を助けてくれたんだろう? また会えた時にでも教えてもらおう。


「……カーティスがここにいたということは、私が生きていることを当主であるエドガーも当然知ってるはず」


 彼は私を生き埋めにしたのだ。立派な殺人未遂だ。


 けれど、『埋葬した時には確かに死んでいた。棺の中で息を吹き返したんだ』と主張されれば、当然当主であるエドガーの言葉が信じられてしまうだろう。


 だとしても、エドガーにとって私は邪魔な存在でしかない。私が目を覚ましたことが耳に入ればどうにかしに来る可能性がある。


「……あれ?」


 でもそれなら生きていると知った時点で、私をブランシェットへ連れ帰っておくのが一番安全だよね? 手もとに置いておけばどうとでもできるし。


 でも、私はここで目覚めた。どうして?


 手出しできない理由がある?

 そもそも私が生きていることを知らない?


「知らされていない……?」


「安心してください」とカーティスは言っていた。あれはどういう意味だったのだろう?カーティスは何を知っているの……?


「うーん……分からない!」


「何が?」


 突然現れた声に驚き「わっ!」と声をあげる。見れば椅子に行儀悪く座った少年が、テーブルに置かれたフルーツを口に放り込んでいた。


 部屋に入った時は誰もいなかったのに!


「いつからそこにいたの?!」


「今」


「今って……どうやって入ってきたのよ!」


「いちいち扉から入るなんて面倒臭いだろ」


 ふてぶてしい発言に絶句しそうになる。


 こいつ! さては移動魔法で不法侵入したな?


 この子はマナーというものを知らないのだろうか。命の恩人だし感謝しているけど、それとこれとは話が別だ。


「あのね! 人の部屋には、いちいち扉を叩いて、許可を得て、入るものなの! レディの部屋ならなおさらよ!」


「じゃあ構わないな。品位のある淑やかな女性なんてこの部屋のどこにもいないから」


 カチンときた。

 どんなふうに育てばこんな生意気な口に成長するのだろう。頬っぺたをつまんで真横に引っ張ってやりたい。


「なるほど、お子様には魅力あふれる私の姿が認識できないのね」


「お子様?」


 無駄に良い顔で嘲笑された。


 なんだなんだ、私のほうが子供とでも言いたいの?こちとら精神年齢、身体年齢+15の大人の女性だぞ!


 ……そうだった、私は大人。相手は子供。


 今まで子供のふりをすることもあって、ときどき外見年齢に精神が引っ張られそうになる。仕方ない、ここはこちらから折れてあげなくては。

 私はふぅ、と息を吐いた。


「それで、何をしに来たの?」


「面倒だけど、伝言頼まれたんだよ」


「伝言?」


「『後日、必ずまた伺います』だと」


 カーティスからの伝言だ!

 どうやら部屋を出たあと、用事ですぐに発ってしまったらしい。聞きたいことがたくさんあったのに。


「まぁ、今は難しいことは考えず、お前はのんびりやりたいことやってろよ」


 そう言って少年は立ち上がる。


「あっ! ねぇ! 名前教えて?」


 立ち去る気配を察して、慌てて質問した。他にも尋ねたいことは山ほどあるが、せめて名前だけでも知っておきたかった。


 少年は何故か迷うように間を空ける。


「……テオ」


 それだけ答えると瞬きの間に消えてしまった。神出鬼没だ。


「扉から出ていきなさいよ、まったく!」


 今度会った時はマナーの大切さについてもっと語ってやらなければ。


「さて……」


 私は誰もいなくなった部屋を今一度、見回す。


 今日、目が覚めてから聞いた事、見た事、あった出来事を思い返す。そのはしばしに感じた小さな違和感の正体を考える。


 恐らくそれは一つの答えに繋がっている気がして、私は緊張と恐れからぎゅっと拳を握り締めた。


「……眠ろう」


 衝撃的な事が起こりすぎて精神が疲れきっていた。今日はもうゆっくりしたい。

 まだ日が落ちきらない時間だが、頭をリセットしたかった。私はベッドに潜り込む。

このまま朝まで眠ってしまおう。満腹感が心地好い睡魔を呼び寄せ、すぐに意識は遠のいていった。









―― ッ



 どこか遠くの方で音がしている。



―― サッ



 なんの音だろう?



――ドサッ



 上から、何かを落としているような……。


 土の、音?


 気付いた瞬間、理解する。


 土を被せられてる!


 真っ暗で何も見えないけれど、私はそこがどこなのかよく知っていた。


 私はまだ棺の中にいた。


 え? なんで?

 抜け出したはずなのに、どうして私はまだここにいるの?


 出して! 出して! 出して!


 必死で暗闇を叩く。爪をたてる。蓋はびくともしない。

 息苦しい。息ができない。体が熱い。


――ドサッ ドサドサッ


 音は永遠に私を埋め続ける。


 やめて! 私は生きてる! ここから出して!


 叫んでいるはずなのに、声は出なかった。


 私は永遠に埋められ続ける――。








「――はっ!」


 真っ暗な部屋のなか、私は飛び起きた。


 布団を蹴ってベッドから逃げるように転がり落ちる。月明かりを求めて窓際まで走った。


「はぁっ はぁっ はぁっ」


 あれば夢、大丈夫、ここは土の中じゃない、落ち着け、大丈夫。


 私は必死に自分に言い聞かせる。心臓がバクバクと音を立て体は小刻みに震えていた。


 もう大丈夫。私は助かったんだ。

 分かってる。理解してる。


 なのに、どうして……。


 私は目の前に広がる暗闇に、信じられないほどの恐怖を感じていた。


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