第9話 誘拐事件



「お止めください」


「ハリー……!」


 見当たらないと思ったら、やはり扉からこちらに来ていたようだ。


「あなたには聞きたい事が山ほどあります。しかし今はここから出ましょう」


 ハリーは掴んでいた手を離すと部屋を出るよう促す。その眼差しは先ほど興味深げに輝いていた瞳とは打って変わり、警戒するような険しいものに変わっていた。


 慌てて頭を下げて謝罪する。


「勝手に来てしまってごめんなさい。けど……」


 私は魔法陣に視線を落とす。


「この魔法陣は、前からここに配置されていたんですか?」


「ええ。それがなにか?」


「誰かが手を加えた形跡があります」


 整っていた魔法式を誰かがわざと乱したような奇妙な魔力の流れを感じる。

 断言する私にハリーは表情を変えた。


「……どういうことですか?」


「陣に触れても構いませんか?」


 ハリーは少し間をおいて頷く。

 私は陣に触れ軽く魔力を流し込んでみた。


 ……あった。


「移動先の変更と……こちらへ帰ってこられないよう、一方通行に陣が書き換えられています」


「?!」


 それを悟られないよう、カモフラージュの魔法陣が上から貼り付けられてる。大胆な手口だけど、逆にいつも使用している者には気付かれにくいだろう。


 私はハリーにも分かるよう、魔力を調整し薄いプラスチック板を作り上げる。これを魔法陣にかざすと書き換えられた箇所が浮き上がって見えた。

 板を通して魔法陣を見つめるハリーが驚きの声をあげる。


「これは……!」


 陣の偽装もそうだが、板の原理に対する驚きも含まれているようだった。


 簡単にいうと、暗記の際に使われる赤シートみたいなものだ。

 前世で[赤シートを使う受験生にしか見えない広告が設置された]というニュースを見たことを思い出して即席で作ってみたけど、うまくいったみたいだ。


 魔力にも微妙ながら特徴がある。魔力濃度の違いというのだろうか。指紋のように一人一人区別することは難しいけど、同等の魔力濃度のみに反応を示すよう作ったため、陣を書き換えた人物もこれを通して見れば目星がつきやすいだろう。


「これは移送のための魔法陣ですよね? 何故わざわざこのようなことをしたのでしょう」


 首を傾げる私の隣で、ハリーは身を震わせていた。見ればその顔は真っ青に青ざめ汗が滲んでいる。


「大変です……」


 ハリーが震える声で呟いた。異常事態が起きているのは明らかだ。


「何が起こっているのですか?」


 静かな声で問い掛ける私にハリーは躊躇うように瞳を伏せたが、意を決し口を開く。


「実は……」


 ハリーは簡潔に状況を説明してくれた。

 ハリーには姉がおり、以前から秘密裏にこの魔法陣を利用し街に赴いていたらしい。今日は姉一人で街に向かい、ハリーは帰りを待っていたとのことだった。


「いつもより帰りが遅いと思っていたら……」


「それなら迎えに行きましょう。今頃帰れなくて困っているかもしれません」


 魔法陣へ向かう私を、ハリーは慌てて止める。


「違うんです……! 姉は、誘拐された可能性があります!」


「誘拐?」


 物騒な言葉に踏み入りかけていた陣から足を引っ込める。


「おそらく犯人は、袋のネズミにするつもりで陣を書き換えたのでしょう。自分たちが向かうのは危険です。それに、今から行って間に合うかどうか……」


 たしかに、気付かれないようカモフラージュまでされてある。正当な理由があって陣を書き換えたなら、偽装する必要などないはずだ。


 それに「誘拐された」と断言するだけの心当たりと確信がハリーにはあるようだ。けど今は深く事情を聞いている暇はない。


「……そうですね、ハリーは一度このことを報告してください。私はこの陣の先へ行ってお姉さんの無事を確認してきます」


「は……? 話を聞いていなかったんですか?! どんな状況かも分からないんですよ!」


「でも、助けられるかもしれない人を放ってはおけません」


 無謀で、愚かな行動だと思われるだろう。けれど、動ける体があるのなら、ジッとしてはいられない。


 一瞬、脳裏にベッドに横たわる前世の自分の姿が思い出された。


「この陣の向こうに、救える人がいるかもしれないと分かっているなら尚更です」


「あなたは……」


理解に苦しむ顔で私を見つめていたハリーは、言葉を止めて吐息すると考えるように瞳を閉じた。


「分かりました。自分も、あなたと同行します」


 震える拳を握り締めまっすぐ私を見つめるハリーの姿に、私はようやくその雄志を悟る。同時に姉に対する深い愛情を垣間見たのだった。




***


 私とハリーは魔法陣の上に立つと、視線を合わせ頷き合った。


 次の瞬間、図書館の書庫からうす暗い室内へと移動する。窓はなく、物も置かれていない一面アスファルトの無機質な部屋だった。唯一、壁に取り付けられたランプの灯りが部屋の状況を照らし出す。


 目に映った光景に、私は瞳を見開く。


 部屋の中には一人の少女と複数人の男の姿があった。長い金髪を後ろで三つ編みに結ったその少女は、事前にハリーから聞いていたお姉さんの容姿とぴったり当てはまる。


 お姉さんは男に胸倉を掴まれていた。殴られたのか頬は腫れ、口元には血が滲んでいる。手足は黒い鎖で拘束されており、逃げようと藻掻いたのか手足は鬱血していた。


「! なんだ、お前ら!」


 男の一人が声をあげる直前、私はもう動き出していた。まずは閉じ込めるように男たちの周りを炎で取り囲む。



――ハリーとの打ち合わせでは、お姉さんを無事連れ帰ることを第一に行動することとした。


 移動直後、いつでも逃げられるようにハリーは図書館へ繋がる移動魔法陣を形成する。

 もし近くにお姉さんがいたなら私が助け出す。


 あとは状況に応じて、無理だと判断したらどちらか一人だけでも逃げだし助けを呼ぶ――。



 時間がなかったためとはいえ、杜撰すぎる計画だ。


「なんだぁ?!」

「火! 火だ!」

「熱ぃ!」

「水だ! 水魔法で消火しろ!」


 突如出現した炎に男たちが驚いている隙に、お姉さんの胸倉を掴んでいた男の手には人魂ほどの炎をおみまいして炙ってやる。


「あっちぃ!!」


 男の手から解放されたお姉さんが地面に倒れ込むよりも前に、私は滑り込むようにして体を受け止める。そのままお姉さんを抱え込んでハリーの元まで逃走した。


 炎は私を避けるように退き、走り抜けると男たちと隔てるように再び壁となって燃えさかる。極寒で過ごしたおかげて、炎の扱いには自信があった。


「奪還成功!帰ろう!」


 小脇に抱え込んだお姉さんの金色の瞳が驚きで見開かれている。この急展開に思考が追いついていないこともそうだが、今は自分より幼い子供にいとも簡単に持ち運ばれていることに、驚愕の眼差しを私へ向けているようだ。


 もちろん私はそこまで剛力ではない。これは軽量化の魔法だ。


「待ちやがれ!」


 その時、男の土魔法によって形成された円錐形の杭が勢いよく放たれた。



――――ザッ!



 鋭く尖った杭はいくつかが足下や壁をえぐり、一つは私の腕をかすめていった。二度目がくる前に急いで地面に手を付くと、アスファルトで障壁を作る。


「!」


 瞬間、右手に激しい熱を感じた。今までにないほど異様な熱と、急激な疲労感に両膝を付く。


 何?体が、重い……。

 腕が、焼けるように熱い……。


「魔法陣が出来上がりました!」


 ハリーの言葉にハッとして、私は両足に力を入れ立ち上がるとふらつきながらも急いで魔法陣の中へと転がり込んだ。


 来たときとは逆に暗い部屋から明るい書庫へと一瞬で戻ってきた。


 先ほどの男がどんな奴らで、何のためにこのような犯罪を起こしたのか。真相は掴めなかったけれど、無事ハリーのお姉さんを連れ帰ることはできた。

 ホッと安堵の息をついた時だった。


「そんな……目を開けてください!」


 悲痛の声に顔を上げれば、腹部を真っ赤に染めたお姉さんが力なく横たわっていた。




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