第6話 異例の事態2
私はエドガーの瞳を真正面から見つめ、臆することなく発言する。
「数年後に大規模な寒波がやってきます。それは長ければ数年ほど続き、不作により食糧不足が起きるでしょう。そうならないために、今から作物量を増やし、なるべく多くを貯蔵しておく必要があります。その事も他国に伝えるべきでしょう」
「寒波になると、そう信じるに値する確たる証拠はあるのか?」
厳しい声に思わずビクリと肩が震える。
エドガーは微笑を浮かべているが、その細められた瞳は少しも笑っていない。品定めでもしているかのような眼差しを向けられていた。
ここでエドガーの気分を害せば自分の身が危うくなるかも知れない。けれど、知らんぷりなんてできるはずがない。私は震える手をぐっと握り締める。
手短に言ってしまえば、[火山噴火によって放出された微粒子が太陽光を妨げ世界的に気温を下げることになる]のだけど。そんなこと、悠長に説明している時間はない。
「信じられないのも理解出来ます。ですが、今はどうか私の言葉に耳を傾けてはくださらないでしょうか?多くの人の命が失われることのないよう、お父様に力を貸していただきたいのです」
「それほどの発言には重大な責任が伴う。もし言葉通りの事態がおきなければ大きな損害を被ることになるだろう。当然、信頼にも傷がつく」
エドガーの言うことはもっともだ。
ブランシェットを治める当主として軽はずみな行動や発言はできない。まして、ただの子供の言うことだ。戯れ言と一蹴されてしまうだろう。
私は歯がゆさに唇を噛み締めた。
「……だが、海に近付かないよう提言するくらいのことはしてみよう」
「! 本当ですか?」
「それくらいなら問題ないだろう」
「ありがとうございます!」
エドガーは帝国と隣国へ急ぎ伝達するよう、使用人へ言いつける。
「あの、アシーナ国へは……」
「アシーナは敵国だ。言ったところで聞く耳など持たないだろう」
「ですが……!」
確か、戦争相手であるアシーナ国はその大半が海に面していたはずだ。多くの人が海の側で暮らしているはず。もしそこへ波が襲いかかればひとたまりもないだろう。
「もう部屋に戻って眠りなさい」
しかし、これ以上の希望を通せる雰囲気ではなかった。私は瞳を伏せる。
「……はい。出過ぎた発言をしてしまい申し訳ありません。聞き入れてくださりありがとうございました」
私は一礼の後、カーティスを引き連れ執務室をあとにした。
「姉さんはすごいですね!」
部屋までの帰り道、俯いた私に、カーティスは下から覗き込むようにして笑顔を向けてくれる。
「物知りだし、それに、堂々と発言ができてかっこいいです!」
自分ももっと勉強しなきゃ!と興奮気味のカーティスに、少しだけ救われた気持ちになる。ありがとう、と頭を撫でた。
前世では一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。そんな私ができることと言えば本を読む事くらい。その読書量は図書館の本を全てを読破してしまうんじゃないかと言われるほどだった。海底火山の噴火に関する事も本で得た知識だ。
ただ苦痛を紛らわせるために読んでいただけだった。それが誰かを救う役に立つなら、私が病室にいたあの時間は無駄ではなかったと、そう思える。
「姉さん? どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないよ。カーティス、今日は一緒に寝ようか?」
「え! いいの?」
部屋まで戻ると、私達はベッドに並んで寝ころんだ。カーティスは案外すぐに寝入ってくれたので、私は天使のような寝顔を存分に満喫する。
それにしても、幼いカーティスは異変に気付いて起きてきたというのに、ブライアンは今もぐっすり夢の中なのだろうか?図太い義兄だこと。
私はカーティスの頭を撫で、自分も眠ろうと目を瞑った。けれど、アシーナ国のことが気にかかりなかなか寝付けない。たとえ敵国だとしても、平和に暮らしている人々が危険にさらされるなんてことあってはならない。
今ならまだ間に合うかもしれない。けれど、私には知らせる術も権限もない。助けられるかもしれないのに、何もできないことがただただ悔しかった。
「せめて、アシーナの人たちに伝えられたらいいのに……」
力なく呟いた声は誰に届くこともなく暗闇の中に吸い込まれていった。
***
いつの間に眠ってしまったのか。
私は夢を見ていた。
目の前には綺麗な青い海が広がっている。それは左右に永遠と続いており、近くには人々が住まう家屋が見えた。
ここはどこだろう?
初めて見るこの風景は前世の記憶ではないし、ブランシェットでもない。
『綺麗だろう?』
気付けば見知らぬ男性が隣に立って同じように海を見つめていた。どこか懐かしむような問い掛けに、夢の中の私は淡々と「綺麗ですね」と返事を返す。
『けれど、すぐに大波がやってくるかもしれません』
『大波?』
訝しむような眼差しを真横から受けながら、私は海を見つめたまま独り言のように呟く。
『海底で起こった火山噴火の影響で波が人を襲うかもしれません。海から離れるよう伝えられたらいいんですけど……』
『波が人を襲う?そんなことがあるのか?』
冗談とでも思ったのか、それはぜひ見てみたいと軽口を叩く。
私は気にせず、淡々と呟き続ける。
『そして数年後には寒波が続いて、農作物の収穫に大きな打撃を受けることになります。そうならないためにも戦争なんてやめて飢えで亡くなる人が出ないようアシーナの人々には対策をとって欲しいです』
『波の次は寒波だと?何を言っているんだ?』
『戦争なんてしている場合じゃないのに。わざわざ命を危険に晒さなくても……もっと今ある幸せの大きさに気付けばいいのに……』
なんだか頭がぼんやりして、思った事がすぐ口に出てきてしまう。
そういえば、私はいま誰と喋っているのだろう?
隣を見れば、ガッシリとした体躯の男性が立っている。身長は私の倍はあり、見上げなければ視線は合わないのだが、それ以前に靄がかかったように相手の姿がぼやけてよく見えない。特徴的な青色の髪だけは辛うじて瞳に捉えることができた。
『お前は……』
相手が何かを言いかけた時、私は夢から目を覚ました。
***
「それは確かな情報なのか?」
執務室に訪れた執事の報告にエドガーは珍しく声を大きくした。詳細に記載された報告書に目を落とす。
「信じられない……」
エドガーは静かに驚愕の声をあげた。
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