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 白檀のにおいが周囲に満ちている。


 よく晴れた青空と桃色の桜のコントラストが憎たらしいくらい綺麗な、春。

 遠くのほうから子供の笑い声や鳥のさえずりが聞こえてくる。ひらひらと降ってくる花の雨をぱっと払いのけて、手を合わせた。

 目の前には、『神崎美冬』―――妹の名前が刻まれた灰色の墓石が、ずん、と、そこに居る。


 今日は、妹の三回忌だ。



「もしかして、春子さん?」


 一通りの墓参りの手順を終えて帰ろうとしたとき、しばらくぶりに聞いた声が耳に届く。


「……幸人さん」


 振り向けば、そこには背の高い若い男―――妹の恋人だった、幸人さんがいた。三年前に妹が亡くなった時に相当なショックを受けたらしく、一時期は見る影もないほどに痩せてしまっていた。今は少しずつ回復したらしく、前ほどまでとはいかずともいくらかマシになっているようだった。人の優しそうな目元に、うっすらと隈が浮かんでいる。

 少し顔色の悪い笑顔で、幸人さんは微笑む。


「やっぱり春子さんだった。久しぶり。今日、美冬の……だもんね」


 幸人さんは一瞬ちらと美冬の墓を見た後に悲しそうにくしゃりと顔をゆがめ、はは、とあきれたように笑った。


「だめだね。やっぱり、見るたびに……信じられないよ。全然…忘れられない。思い出す必要もないくらい、ずっと美冬のことを考えてばかりで……失礼。煙が、目に沁みちゃって」


 ぐす、と小さく鼻をすすり、目じりをごしごしとこすりながら彼が続ける。


「美冬、春子さんとはすごく仲が良くて、大好きだってよく話していたから…なおさら、そのこととか思い出しちゃって」


 仲が良い。大好き。

 美冬が言っていたであろう言葉の数々が、私の心をちりちりと撫でつけた。微かに眉根にしわが寄る。私の様子がおかしいことに気が付いたのか、幸人さんがはっ、とすぐ申し訳なさそうな顔になる。


「あっ…。ごめん。春子さんだって辛いのに、僕…」


「…いえ。大丈夫ですよ、お互い様ですから」


 にこりと微笑みで返す。もっとも、うまく笑えているかどうかわからないが。


「…もう、あれから三年も経ったんだ。あの子が、死んでから……」


 ぽつり、そう呟いた幸人さんの声が、ざあと揺れる桜に飲み込まれる。


 妹が亡くなって、三回目の春。


 私は、どうしようもなく、この季節が嫌いだ。

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