アルバム

「……そう、ならお母さんに電話してみるわ」

「お願い。もしダメって言われても、何とか説得してほしいの」

「分かった。ちょっと待っててね」

 椿はそう言うと、スマホを取りに二階へと向かった。しばらく静かだったが、やがて電話つながったのだろう、姉が話す声が小さく聞こえてきて、葵は茶の間に座ったまま少しこぶしを握った。

 帰宅するなり家に戻りたいと言い出した葵に、姉と祖父は驚いたようだった。葵が毎日楽しげに出かけていくところを見ていた二人は、てっきり夏が終わるまでずっとここにいると思っていたらしい。


 今は病院の面会も難しい状況だ。祖母が入院している病院は、少しだけ制限が緩和かんわされているが、それでもある程度の制約はある。タオルや服などの洗濯物を交換している母も、毎日は通えないらしい。

 それに面会の人数も一度に二人と決められていた。母と父だけが実家に残り、葵と姉が預けられたのはそのためだ。葵が戻ったところで、両親は二日置きに病院通いで、家に帰ればその処理や買い物に追われる。

 その状況で帰るというなら、自分の面倒もみなくてはならないし、家事もある程度受け持たなくてはならない。その上、葵は受験のための勉強も手を抜くわけにはいかない。

 つまりは、家に帰ればやらなければならないことがどっと増えて、今のように気楽に遊んで過ごすことはできなくなるのだ。それでも、葵は祖母に会うために帰りたかった。


「葵、これでも見るか?」

 じっと返事が来るのを待っている葵の様子を見て、祖父が大きな四角いものをたくさん抱えて茶の間にやってきた。よくよく見ると、以前見せてやろうと言っていた、古いアルバムだった。

 祖父は一番新しそうなものを机に広げると、ゆっくりと一ページずつめくり始めた。

「確かこの辺りにあったはず……おお、あったぞ。ほら、まだ赤ちゃんの頃じゃな」

 そう言って祖父が見せてくれたページには、まだ小さい姉と、隣に並んで赤ちゃんを抱えている葵の母が写っていた。


「えっ、私こんな頃に来たことがあったんですか?」

「そうだ。まだ本当に生まれたばっかりで小さくてな、婆さんが喜んでおったよ」

 葵は幼いころに一度、親戚が集まっている時にこの家に来た覚えはあったが、赤ちゃんの頃に来ていたとは初耳だった。一度も会ったことがないと思っていた祖母が、自分を見て喜んでいたというのも初耳で、葵はなんだか胸の多くがじんとするような気分になった。


 それから更に数ページめくったところで、すぐに葵の記憶にもある姿が現れた。

 その頃にはあまり写真を撮らなくなっていたという祖父は、久々に葵や姉が来て、少しでも写真を撮ろうとカメラを持ち出したのだと言った。

 周囲に貼られている写真には、黒い喪服や礼服を着た人たちが写っていて、葵自身も黒いワンピースを着ていた。葵の記憶にあった親戚の集まりは、つまりは祖母の葬儀だったのだ。

「若い時から体が弱い方でな。あまり長生きできんかった」

 そうぽつりと呟いた祖父の顔は寂しそうで、葵は何も言えなくなってしまった。

 けれど黙ってしまった葵に気づいたのか、祖父はすぐに気を取り直したように、今度は一番古そうなアルバムを広げた。


「これはじいちゃんのお父さんの若いころだ。この頃はまだ山の上の方に大きな家があったらしくてなぁ」

 元は白黒だったらしい写真は少し色せていて、写っている人の顔もよく分からないような、そんなアルバムだった。そのページの真ん中に写っている人を、祖父は指さしていた。

 まだ若い、精悍せいかんな顔立ちの人だった。歳はいくつか分からないが、学生服のようなものを着ている。凛々りりしい顔なのは、古い写真だからそう見えるのだろうか。

 そう思ったところで、その隣の写真に目が行った。そちらも若い男の人のようだったが、着物姿だった。眩しそうに片目をすがめたまま写っているその顔は、隣の曾祖父と並ぶと優男やさおとこと言った雰囲気だったが、今で言えばイケメンの部類だ。

 葵は思わず、その顔の上に指を載せていた。右半分を覆い隠してみれば、その顔はこの夏の間に温室で毎日見ていた、あの顔だった。


「おじいちゃん、この人は?」

「ん? ああ、この人はじいちゃんのお父さんのお兄さんだ。若いころに家が半分焼けてな、その時に巻き込まれて亡くなったそうだ」

「そんな、それじゃこの人は……!」

「どうした、葵?」

 突然顔色を変えて立ち上がった葵を、祖父は心配そうにのぞき込んだ。しかしそれにどう答えていいのか、葵は分からない。

 いつも葵は思っていた。あの片目の男は、本当に生きているのかどうかすら怪しい人だと。

 けれど心の中では、本当に「そう」だとは、まるで思っていなかったのだ。

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