セミ(2)

「妹は、虫の脱皮した抜け殻を集めるのが好きだったんです。昔から虫が好きな子だったんですけど、抜け殻を見つけると本当に喜んでて。

 家には妹が集めた抜け殻を詰めた空き缶があるんです。当時の妹はそれを宝箱だって言って、大切にしていました。

 どこで集めていたのか分からないんですけど、クモとかバッタとかセミとかカマキリとか、大きさもいろいろな抜け殻が入っているんです。


 私の方は虫が苦手で、それを見せられるのが嫌で嫌で。なんでそんなに抜け殻が好きなのかって聞いたら、『生きてるときそのままの形の皮ってすごいから』って言っていました。

 あの当時は妹はまだ小学校の低学年でしたから、うまい言葉が見つからなかったんでしょうけど、たぶん神秘的とかそういう意味の事を言いたかったんだと思います。

 そういうところはちょっと変わっているけど、とても感受性の強い子だったんだと思います。まぁ、その時は私も子供でしたから、今にして思えば、という話ですけど。


 でも、そのうち飽きてくると思っていた妹の抜け殻集めは、だんだん度を越してきたんです。

 脱皮しているときの虫って、どうしても動けないし体は柔らかいし、無防備むぼうびになりますよね。妹はそこを狙って、皮を奪うようにして取るようになったんです。

 最初にそれに気づいたときは、ものすごくびっくりしました。妹は虫が好きだからこそ、脱皮した後の皮も好きなんだと思っていたので、初めてそれを見たときは慌てて叱ったんです。

『なんてひどいことをするの』って。『そんな乱暴な事をしたら虫さん困っちゃうでしょう』って。まだ小さい妹相手ですから、小難しい説明はできなかったんですが、絶対やっちゃダメだよって何度もさとしました。


 ですが、それでは妹には伝わってなかったようなんです。それからも妹は、同じことを続けていました。

 私の方は虫に触るのも嫌ですから、言って諭す以上の事は何もできなかったんです。いえ、これは言い訳ですね。

 私は妹の凶行きょうこうが、いつかとんでもないことにまで及ぶとどこかで感じていたんです。無理にでもその手をつかんで止めるべきだったんです。


 ある時、風の強い日にセミが羽化しようと木の枝を上っているのを、妹は捕まえて帰ってきました。

 羽化するところを見るんだと言っていたので、今回は大丈夫かな、と思って私はそのまま家の手伝いをしていました。

 でも、それが終わって戻ってみたら、妹は早くもセミの抜け殻を手に持って、まじまじと見ていたんです。

 セミの羽化って、結構時間がかかりますよね。私がしていたのは夕飯を作る手伝いでしたから、せいぜい三十分くらいです。それでおかしいな、と思って、妹に聞いてみたんです。『セミは今どこにいるの?』って。

 妹は窓の外の地面を指さしました。それで慌てて様子を見に行ったら、そこにはねがぐちゃぐちゃのまま、白いセミが仰向けに転がっていたんです。


 私はびっくりして、妹を叱りました。今度こそちゃんと言い聞かせないと、と思って本気で叱りました。でも、妹には何が悪いことなのかも分からない様子でした。

 せめて今のうちに元に戻せば、と思ってセミを拾ってみたんですが、もう翅は半分固まりかけていて、元に戻らなくなっていました。セミはそのまま黒くなっていって、しばらく地面をごそごそはしていたんですが、二日後には消えていました。鳥にでも取られたんでしょうね。

 私は両親にこのことを話して、両親にも叱ってもらいました。それでようやく、ほとぼりが冷めたように妹は、抜け殻集めをやめました。


 でも、あのセミの姿が私には忘れられなくて。もっと早く止めていたら、と思ってそれからずっと覚えていたんです。あのセミはきっと、妹を恨んでいるだろうって気がして仕方ありませんでした。

 それがとうとう現実になってしまったんです。


 今年の初めの成人式の日に、あの子は何故かステージに上がって、転げ落ちたんだそうです。

 特に挨拶などを頼まれていたわけではないんですよ。ただ振袖を着て、式場に行って帰って来るだけのはずだったんです。

 それがどういうわけか、ステージに上がろうとしたんです。妹が何をしようとしていたのかは分かりませんが、その場にいた人たちからそう聞きました。でも、すぐに落ちてしまったらしいんです。

 病院に搬送はんそうされて、私たちが行った時には、妹は意識がなくなっていました。晴れ着も処置のために切って脱がされていて、もう着られなくなっていました。


 妹はそれきり目を覚ましません。生きてはいるんですが、意識が戻らないんです。

 あのセミは、妹が成人するその日に、体の自由を奪って、着ていた晴れ着も奪ったんです。自分がされたことを、そのまま返してきたんでしょうね。

 でも私は諦めきれません。これが本当にセミの恨みなら、ここではそれを断ってくれると聞いたんです。どうか、妹を助けてください。

 今度こそ、何があったのかしっかり妹に話して聞かせます。もう後悔しなくていいように。ですからどうか、お願いします」



 虫かごの話が終わると、葵が日陰にしていた木に、いつの間にか一匹のセミがやって来ていた。いつものざぁあという雨音ではなく、シャンシャンシャンシャンと力強く鳴く声が耳に入ってきた。

 葵はゆっくりと立ち上がって、手にしていた虫かごをそっと葉陰にかざした。

 この姉の願いは叶ったのか分からない。虫との因果いんがは、もう妹を取り返しのつかない状態に追い込んでしまった後だ。それでも、同じセミならこの悲しい願いを聞き届けてほしい、と思ったのだ。

 そんな葵の思いが通じたかのように、ジジッとセミは鳴き止むと、枝を離れて夏空に吸い込まれるように飛んで行った。


「……私も、言わなくちゃ」

 葵はセミが去っていった空に向かって呟いた。

 祖母に一目会いたかった。もう取り返しがつかない病になっていることは、うすうす察している。ならばせめて、まだ言葉を交わせるうちに、祖母に会いに行きたい。

 ずっと言い出せないでいたその言葉を、葵は今夜、両親に伝えようと決心していた。

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