来客(カミキリムシ2)

「お客様、今の話を聞いて分かりました。あなたはその子の友達ではないのです」

 きっぱりとした口調で、片目の男はそう言い切ると、すでに関心かんしんが無いというように目をつぶった。

「えっ、そりゃあ友達になろうとか、一度も言ったことないけど。でもあいつは、そういう風に友達作るタイプじゃないし」

「そういう事ではないのです。あなたもその子も、お互い他人のままなのですよ。友人などという、きずなえんも感じていない。だから虫との因縁いんねんは、あなたにはかかっていないのです」

「ちょっと待って、絆も縁も感じてないって、それならそもそもここを探して来たりはしないんじゃないですか?」

 葵は思わず身を乗り出していた。少年の話を聞く限りでは、少なくとも一度は本の貸し借りまでしているし、仲良くなれるよう努力はしていたのだ。実を結んでいたとは言い難いが、多少なりとも縁はあると葵は思った。

 それにこの場所は、人里から少し離れてだらだらと長い坂道を超えて来なければならない。何の決意もなく、子供一人で探してくるのは難しい場所だ。


「そうだよ、ここ来るの大変だったんだぞ!」

 少年も葵につられたように身を乗り出して言い返した。しかし、男は呆れたように目を開けると、背後の壁にもたれ掛ったまま、つまらなそうに口を開いた。

「お父上の車に乗せてもらって来たのに、ですか?」

「そりゃ、こんなとこまで一人で来られるわけないじゃん。仕方ないだろ」

「ここから五分と歩かないところで、バスが行き来しているのに、ですか」

「そんな事まで分かるわけないって!」

「一人で来る方法を探してもいないだけですよ」


 はぁ、と片目の男はため息をついた。心底嫌そうな顔をする彼に、葵は困惑した。

 確かに葵のように息を切らしてここまで来たわけではなさそうだが、友達のためにと、こんなところまでやって来る子供に、冷たくする理由としては不十分な気がする。

 そんな葵の顔に視線をやると、男は困ったように額に手をやった。それからしぶしぶといった様子で姿勢を直すと、少年に向かって淡々と説明を始めた。


「まず最初に、その子があなたをどう思っていたか、ですね。その子はあなたに本を借りた。それで少し自分に歩み寄ってくれたのかと期待して本を貸した。でも、あなたはろくに読みもせず返した。グループを作れと言われた時、いつも一人になるという事は、事前にそうならないよう誘ってくれるわけでもない。外に出るのは好きじゃないと言っても、しつこく外遊びに誘うばかりする。そんな人と一緒に食事はしたくないと、彼はあんにあなたに伝えている」

「だって、しょうがないだろ。本はすごく難しいやつだったし、班を作る時だって気づいたら一人で余ってるんだ。自分からこっちに来てくれたら、忘れたりしないのにさ。それに先生は外で遊べってよく言うし、部屋にこもってるのはよくないだろ。給食だって、友達と仲良くなるにはいい方法なのに」

「そういう風におっしゃるということは、要するに、あなたにとっては彼の気持ちも存在もどうでもいいわけです。彼の好きな本は読もうともしないけれど、自分の好きな外遊びはいい事だからと押し付ける。気づいたら一人でいる、なんてことは、いつも気にかけて目を配っていればあり得ないことです。そのうえ、付き合いなどという彼にとっては辛抱しんぼうが必要なだけの事に、あなたは何度も付き合わせようとする」


「ちょっ、そんな言い方ってないじゃないですか。大人と一緒じゃないんですから、そこまであれこれ気が回らないのは仕方ないし」

 いくらなんでも厳しすぎると思って、葵は慌てて男と少年の間に割って入ろうとした。しかし男はそんな葵の手をつかんで脇によけると、いつになく真面目な顔を葵に向けた。

「葵さん、お優しいのは悪いことではありませんが、この場合はこの子のためになりません。それに彼はお客様です。お客様とは対等に話をしなければなりません」

 その真剣な表情に、葵は少しだけどきりとした。とても怖いような、でも何か大きなものを背負っている人の格好良さのようなものが、男の目から感じられたのだ。

 思わず、葵は素直に腰を落としていた。自分が口をはさむ余地はない、と本能的に理解できていた。そんな葵を見て、男は少しだけ微笑むと、また真剣な顔に戻って少年の方を向いた。


「さらに言えば、あなたはクラスメートの気持ちも、巻き込まれたカミキリムシの立場もどうでもいいと思っている。あなたはどうだか知りませんが、虫の苦手な人はそこそこに多い。その虫に、ノートを千切られたあとがずっと残っている、その気持ちをあなたは想像してみたのですか?ほんのちょっとはしっこが切れているだけ、というおっしゃりようでは、そうは思えません。自分がその場にいたら止める、とおっしゃっていましたが、どうやって止めるつもりだったのですか?」

「そりゃ、元の場所に戻せってあいつに言うつもりだけど……」

「自分が転校することも知らないクラスメートに、最後に何か自分の爪痕つめあとを残そうとした子です。そんな簡単には止まらないでしょう。そうしたらどうするつもりですか?」

「じゃあ、もう取り上げてつぶしてやるしかないかな」

 ひゅっ、と葵は思わず息をのんでいた。いきなり残酷な仕打ちに出ようという少年の言葉に、身が縮むような気分になった。


 椅子の上で体を固くした葵に気づいたのか、男は手を伸ばしてくると、そっと葵の背をポンポンと叩いた。

 以前の葵であれば、それも仕方ないと思えたかもしれない。しかしここに通ったことで、虫が好きだった自分を思い出した今では、ただ邪魔じゃまだからつぶすというその言葉が、ひどく恐ろしかった。

 それに、と思う。この少年は目的のためなら、同じ人間でも立場を考えず苦しめかねない、という気がしてしまった。しかもその目的すら、友人のためとは言い難い。もっと別の何かのためとしか思えなかった。葵にはそれがより恐ろしかった。


「どうしたの、お姉さん?」

 顔を青くした葵を、少年は心配するようにのぞき込んできた。葵はただ、首を横に振るしかなかった。

 そんな葵を見かねたのか、片目の男は不意に少年の両脇に手を入れて椅子から立ち上がらせると、出口へと引っ張っていった。

「ちょ、ちょっと待ってよ! まだ何もしてくれてないだろ!?」

「罪もない虫をつぶして、何も感じないような人間には、虫との因縁などできません。どうぞもう、お引き取りください」

 厳しい声で男はそう言うと、少年を外へと押し出し、温室のドアを閉めるとカチャリと鍵をかけた。

 少年はしばらくドアを叩いたり蹴ったり、懇願こんがんして泣いたりしていたものの、やがて空き地に車が来る音がして、帰っていったようだった。


「お疲れでしょう、葵さん。今麦茶と饅頭まんじゅうを持って来ますね」

「ごめんなさい……私、ひどいことに巻き込んでしまって」

「さっきも言ったでしょう、葵さんがお優しいのは、悪いことではありませんよ」

 ざぁあ、という今まで聞こえなくなっていた雨音が、葵の耳に戻ってきた。まるで自分をなぐさめてくれているかのようなその音の中で、葵は少しだけ、男に気づかれないようにこっそりと泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る