ザトウムシ(2)

「最初は奇跡が起きたと思って、そりゃあ喜んだもんです。山で突然いなくなったと思った孫が、二日後に無事に見つかったんですから」

「タケノコ掘りに行った日じゃったんや。あの日はよう晴れておって、わしも婆さんもタケノコの方に夢中じゃった。孫はそばでじっと見ておったり、一緒に掘ったりしておったはずじゃった。じゃが日が高うなってきて、そろそろ帰ろうかと声を掛けたら、婆さんしかおらんのじゃ。孫は貸した道具をその辺に置いて、いつの間にかどこかに行ってしもうとった」

「もうびっくりして、二人でそこらじゅう探し回ったんです。でも、なんぼ呼んでも出てこんし返事もせんで。こりゃあ一人で山の奥の方まで入ったんじゃないかと思って、慌てて村のみんなに知らせたんです。すぐに山狩りが始まって、私ら二人も一緒に探し回りました。でも、探しても探しても見つからん。その日は日が暮れて、もう危ないから解散じゃと言うて、終わりになりました」


「また明日探すしかねぇと、そん時は自分に言い聞かせよったが、まだ寒い春じゃったからの……こりゃあ、もう帰ってこんかもしれんと、二人も居ってどうして見よらんかったんじゃと、娘にはなじられたもんで。その次の日も村中総出で探したんじゃが、やっぱり見つからんかった。山ん中なら探せば食えるもんはようけあるし、大人なら生きとるかもしれんが、孫はまだ三つじゃ。こりゃあもう駄目じゃと、わしらはほとんどあきらめとった」

「そしたら次の日、ひょっこり家に帰って来たんです。もうびっくりして、夢じゃないかと思いました。どこに行ってたと聞いたら、『おおきゅうてあしのほそいくもがおった』と言うんです。その後を追ってどんどん山に入って、気が付いたら家の近くに出たそうで」

「そりゃあもう、二人して泣いて喜んだんじゃ。村のみなにも知らせたらこりゃあ奇跡が起きたっちゅうて、お祭り騒ぎになって。うちに集まって盛大に祝ったんじゃ。そのとき村の物知りが、孫から追いかけとったっちゅう蜘蛛くもの話を聞いての、そりゃあ蜘蛛じゃない、たぶんザトウムシじゃろうと。言われてみりゃあ、ザトウムシは蜘蛛に似とるし、蜘蛛なら足が速うて追いつけんが、ザトウムシならのんびり歩くからの。二日かかって帰ってきたのも納得のいく話じゃった」


「その時はそれで済んだと思ったんです。孫は無事に帰ってきたし、もう嬉しくて仕方なくて。娘は怖がって、孫をあんまり外に出さんでくれと言うたが、気にしすぎじゃと思うて、それからもよく一緒に畑や山へ行っとったんです。そしたら、今度は夏の盛りに畑で見失ったんです。トウモロコシやらなんやら、夏は野菜の丈が大きゅうなるもんで、てっきりその陰に隠れたんかと思っておったんですが、探しても探してもおらんのです」

「今度は村中探し回って、でも誰のところにもおらんっちゅうんで、また山狩りになったんじゃ。でも、やっぱり孫は出てこんかった。そんでまた二日後に、ひょっこり戻ってきたんじゃ。どうしとったんかと聞いたら、やっぱりザトウムシを追っとったと」


「私もさすがにそれを聞いて怖くなったんです。何も食べずに丸二日も山をさまよって帰ってこられるなんて、本当に運がいいだけとしか言いようがない。私は『今度ザトウムシを見つけても、絶対に付いていくんじゃないよ』と孫に言い聞かせました。孫は素直に『分かった』と言うておりました。ですが、今度は家の中におるはずの時にまで、いなくなってしもうたんです」

「孫はまた二日後に帰って来たんじゃが、その時もザトウムシを追っておったと言うんじゃ。じゃがその時はもう冬のさなかで。虫なんぞみんな眠っとるか死んどるかのどっちかじゃ。おるはずがないと言うたが、おったと言うて。『付いて行くなと約束したろう』と言うても、ぽかんとして返事をせんようになる。その冬は更に二度も山へ行ってしもうて。わしらも娘夫婦も、他の孫らもおるところでも、ふっとおらんようになる。どんだけ言い聞かしても無駄じゃった」


「どうか孫を助けてやってください。放っておいたら、あの子はいつか帰って来られんようになります。いつもいつも、どんだけ探しても見つからんところへ行ってしまうんです。おるかおらんかもわからん虫を追って。私らは心配で夜も眠れんようになってしまいました」

「お願いします。皆疲れ切ってしもうとるんじゃ。孫がこれ以上、虫を追って山に入らんようにしてください。お願いします」



「……」

「どうですか、お嬢さん。きちんと帰ってくると言っても、どこに行っているか、何をしているのかも分からない。そういう状況は、これだけ人に心配をかけるものなんですよ」

 いつの間にか饅頭まんじゅうと麦茶の載った盆を持ってきた男は、それを机に置くと、葵の頭に手を伸ばしてきた。よしよし、と軽く頭を撫でられて、葵は少し身じろぎした。

 もうじき高校生になる自分は、いい加減大人と同じように扱われてもいいと葵は思っていた。自分の事は自分でできるし、周りに迷惑をかけたりもしないよう、気を付けているつもりだった。

 だが、この切実な訴えを聞くにつれ、自分はまだまだ子供なのだと思ってしまった。見知らぬ土地へ来てから、毎日毎日、どこへ行っているかもちゃんと言わないで出掛けて、夕方になるとひょっこり帰ってくる妹。姉にとっては、葵はひたすらに心配の元でしかなかったのだ。


「……明日から」

「明日から?」

「水と食べ物持って出ることにする」

「ああ、いいですね。少しでも心配せずに済むでしょうから」

 片目の男はそう言ってにっこり笑うと、また葵の頭をよしよしと撫でた。

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