第四話 ぼた餅の助け舟
私は、和菓子屋の娘として、店の手伝いをしていた。最近は人手が足りなくて、自分もたまに店に出ていたのだ。
「くしゅん。あっ、誰かがウワサしているのかも……」
くしゃみが止まらない。一回、二回と続いて、三回目は声が出てしまった。四回目は必死になってこらえたが、鼻水が垂れそうだ。冬の寒さに耐え忍ぶ金沢の人々に伝わることわざには、「一に褒められ、二に憎まれ、三に恋焦がれ、四に風邪引く」というものがあった。
けれど、それは、今日のひがし茶屋街が閑散としていて、観光客の姿もほとんどいなかったからかもしれない。
私は店先で暇を持て余しながら、スマホに夢中となっていた。結婚相談所に入るべきかどうか、悩んでいたのだ。
そんな私の気分を察してくれたのか、お昼ごろになって、ひとりの女性がやってきた。それは、この辺りでいくつもアパートを持っているトメさんだった。
母さんとはお茶飲み友達で、有名な「お見合いおばさん」でもある。彼女は大きな封筒を抱えて、にこやかに私に話しかけてきた。
「ゆり子さん、お母さんはどこにいるの?」
「おばさん、奥でぼた餅を作ってるわ。呼んでこようか?」
私は、厨房の方角を指差した。今ごろは大鍋であんこを煮ているのだろう。和菓子屋の魂はあんこだ。甘い香りが鼻についた。これは、母さんが父さんから教わった秘伝のあんこで、誰にもまねできないのだ。
「慌てなくていいわよ。実はあんたに良い話があるの。お母さんと一緒に、聞いてもらいたいのよ。お忙しいのかしら?」
「ううん、大丈夫。勝手にお茶でも飲んでいてよ。もうすぐに、店員さんが昼休みから戻ってきたら、手が空くから」
私がそう言うと、トメさんは居間に上がって待っていてくれた。けれど、その様子はいつもとは違って、何かそわそわして落ち着かない感じがした。
しばらくすると、母さんが厨房から顔を出した。その手にはぼた餅を盛った大皿が握られていた。それは、出来立てのふわふわのぼた餅だった。
「あら、トメさんじゃない。いらっしゃい」
「お邪魔してます」
母さんとトメさんは、互いに笑顔で挨拶を交わした。私はその仲の良さを見て、ほっとした気持ちになった。
「そうそう、今日はふたりに伝えたいことがあるのよ」
トメさんは、封筒から一枚の紙を取り出して、私たちに見せてくれた。それは、ひとりの男の履歴書「釣書」のようなものだった。
名前は、石田ひでお。職業は、国語教師。勤務先は、ひがし茶屋中学校。最終学歴は、金沢大卒。 年齢は、三十五歳。 出身は、東京。趣味は、日本文学。
「トメさん、これは何?」
私は、彼女の顔を見て、聞いた。
「ゆり子ちゃん、何を言ってるの。これ、あんたのお見合い相手だよ」
「私のお見合いって……? えっどうして」
「だってさ。結婚相手を探してるって、お母さんから聞いたからよ」
「母さんのおしゃべり。もう、口をきいてあげないからね」
私は少し怒っていた。母親はその言葉を聞くと、ぷいと横を向いてしまった。
トメさんは、相手に私の写真を見せて、お見合いの話を持ちかけたという。私は、その履歴書を見て、驚きと戸惑い、そして期待が入り混じった気持ちになった。
ところが、それよりも気になることがあった。トメさんが私の婚活事情を知っているということは、ひがし茶屋街の人々に知られていることだろう。もう、私は大手を振って街も歩けない。
そんなことを考えると、穴があったら入りたくなった。でも、甘いぼた餅を口にしていると、気分が少しずつ和らいできた。
「ゆり子ちゃん。聞いてるの? それとも怒ってるの?」
トメさんは、申し訳なさそうに、私の顔を覗きこんだ。
「怒ってはいないけど……」
「これだけは聞いて。彼、すごくイケメンなんだよ」
彼女は「ごめんね」と言うかのように、両手を胸の前で組んだ。ちなみに、提出された履歴書には写真が添付されていなかった。
今年の春、東京から赴任してきた石田さんは、彼女のアパートの住人だった。その事実を聞いて、私は何かしら繋がりを感じた。彼が私のかつて学んだ同じ教室で授業をしていると知り、自分は慌てふためいた。しかし、石田さんが国語を担当していると聞いて、文学好きな私はさらに興味を持つようになった。
「トメさん、ひとつだけ教えてくれる。なんで、写真はないの?」
「ああ……やっぱり。あんたも男の顔が気になるんやね」
「そうじゃなくて。でも、見たいよね」
トメさんの話では、私のことを石田さんに紹介したところ、彼はすぐに私を気に入ってくれたという。私の写真を見て、笑顔になったそうだ。
けれど、お見合いの話になると、彼は恥ずかしがってしまい、なかなか「うん」と言ってくれなかった。そのため、写真はこの場に持って来られなかったらしい。
でも、昨夜になって石田さんが真面目な顔をしてトメさんのところに来て、彼から私にぜひ会いたいと言われたそうだ。
石田さんは私に会うために、勇気を出して履歴書を書いたのだろうか……。私はこの不思議な縁を感じて、彼と一度だけでも会ってみたくなった。
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