第二話 縁結びの馬


 翌日の朝、春の日がカーテンの隙間から差し込み、私はほんわかに目を覚ました。


 窓辺に広がる新緑が目に眩しく、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐった。深呼吸をしてから、心地よさに浸った。


 その時、夢の中で父親に誓った言葉がよみがえった。「お父さん、わたし幸せになるから。少しだけ待っていてね」私は夢の中で、父親に向かって、涙ながらにそう叫んでいたのだ。その言葉は、私の心の奥底から湧き出た、本当の気持ちだったのかもしれない。



 まだ朝は早いというのに、近所の氏神様に挨拶をしたくてうずうずしていた。ここ数年の間、初詣にも行ってなかったことを思い出した。こんな気持ちになるのは、何年ぶりだろうか。

 そそくさと朝食を済ませて、メイクはさっと薄化粧で整えた。母さんは私の気持ちを察してくれて、「ひとりで行っておいで」と笑顔で送り出してくれた。



 氏神様のおやしろまではせせらぎの道が続いていた。珍しく心が研ぎ澄まされて、これまで気づかなかった、思わぬものに目が留まった。私は目と鼻先に小川が見えて、ゆったりとした流れに身を任せていた。


 一枚の木の葉に目が留まる。私の歩みと同じようにサラサラと、昨年の秋の名残りとなるどんぐりをかき分けて流れている。

 木洩れ日に眩しそうな目を向けて、一匹の白と黒がまだらな野良ネコちゃんが毛づくろいをしている。

 その姿を暫し見つめていると、心が癒されてきた。それは、私がずっと忘れていた自然とのつながりを感じることだった。


 小川の向こうに縁結びの神馬しんめのご利益で有名なおやしろが見えてきた。この神社には、昔から地元の人々の間で不思議な伝説があると信じられていた。

 それは、まず若い男女が一緒に歩調を合わせて本坪鈴ほんつぼすずをガラガラと打ち鳴らすと、彼らの前に白馬が舞い降りてくる。続いて、神さまの思し召しとしての赤い糸を授けられ、運命の繋がりで結ばれるというものだった。  


 ✻


 今、私は拝殿に続く道で立ち止まり、賽銭箱の真上あたりにある、銅や真鍮製の大きな鈴が目に入っていた。大勢の人が、心静かに参拝の順番がくるのを待っていた。何気なく横を向くと、ひとりの男が自分の脇に立っているのに気づいた。


 目の前にいる彼は元カレを忘れさせてくれるほど素敵な男だった。年齢は三十代の半ばぐらい。背丈が高くて、がっしりした身体つきの人物で、浅黒い端正な彫りの深い顔をしていた。

 ときおり浮かべる優しそうな笑顔には、人懐っこい感じがした。その清潔感がある黒髪は鈴に添えてある麻縄や、紅白・五色の布と一緒に風になびいていた。

 それはそれでかっこよかったが、ちょうど昨夜に母さんと観ていたテレビドラマのラブストーリーの主人公のような雰囲気を醸し出していた。私はもう少女ではないのに、知らず知らずのうちに魅入られてしまった。


 けれど、彼は私のひそやかな期待を裏切るように、声をかけてきた。私ひとりで鈴を鳴らすように促してきたのだ。ああ……やっぱり、残念。


「お先にどうぞ」


 男はそう言いながら、照れたように、微笑んだ。彼も地元の人だろうか……。でも、私には初めて会う人だった。


「そうですか。残念だなあ……」


 私は心の中でそうつぶやいて、ただうなずくしかなかった。


「大勢並んでるんだから、無駄やろう。ふたりでやったらいいのに」


 けれど、後ろに並ぶ白髪の上品なおばあちゃんがそう勧めてくれた。それは、私にとって神さまが授けてくれたような千載一遇のチャンスだった。


 私は彼の隣に寄り添って、鈴をガラガラと元気よく打ち鳴らした。その音は、自分の心に響いて、胸が高鳴った。この鈴の音が私たちの運命を変えてくれると信じた。


 私は彼の方に視線を向けると、彼も私の目を捉えていた。彼は私に温かな笑みを浮かべて、私は思わずうなずいた。その一瞬、私は彼の瞳に何かきらめくのを見た。 

 それは、私たちの間に赤い糸の思し召しが授けられたことを意味していたのだろうか。私はそっと神さまに祈って感謝した。彼が私の運命の人であることを。


 その夜、私はスマホで母さんが勧めてくれた、結婚相談所のサイトや地元の婚活支援サービスを検索しながら、後悔の念に駆られていた。あのとき、なぜ私はもっと積極的な態度になれなかったのだろうか……。


 氏神さまがせっかく私に縁結びの馬を贈って、男との出会いを奇跡的に演出してくれたのに、彼とは名前も含めて連絡先のひとつすら交換していなかった。

 私は男と一緒に鈴を鳴らしたことで運命が動くと信じたのに、それ以上のアクションを起こせなかった。彼も同じで私の連絡先を聞くこともなく、立ち去っていた。


 しかし、彼がもし運命の男性であれば、どこかで再び出会えるかもしれないという希望は、まだ捨てていない。彼は、私が恋い焦がれる、外さない婚約指輪を選ぶことができる相手だと信じている。

 

 彼の面影を浮かべる一方で、新たな婚活にも頑張ってみようかと考えながら、眠りに落ちていった。



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