五日目(晩)

次の日。案の定、二日酔いになった。

ギリギリ仕事できる体力はあるものの、トイレに籠る時間が長い。

全ての臓器が飛び出そうになるぐらい吐きっぱなしだ。


「先輩。今日の帰り、ちょっと買い物に付き合ってくれませんか?」

「ええっ⁉その状態で」

「どうしても今日買わないといけないものがあって……」


勤務時間が終わる間際。星宮先輩を呼び止め、約束を取り付ける。


「買いたいものって?」

「ハンカチです」

「相手は男?」

「ちがいます。一応、女です」


昨晩、ハンカチを汚してしまったことが心残りで体がムズムズする。お詫びとして新しいハンカチをプレゼントし、このムズムズをとっとと消したい。

本人は何も要らないと言っていたが、私のプライドが許してくれない。


「相手が女性なら自分で買いなよ。同姓なんだし」

「悔しいですが、私のセンスではちょっと……」

「ああ……、そうだったね」


仕事と運動しか能がなく、今までオシャレとは無縁の人生を送ってきた。ファッションは男勝りで、無地がほとんど。女の子らしくて可愛いものなんて私にとって宇宙と同じくらい未知な世界だ。


「先輩はオシャレで可愛いので、色々アドバイスが欲しいです」

「はいはい、りょーかい。ちょっと外で待ってて」

「はい」


先輩より一足先に私服に着替え、署の更衣室を後にする。

ちなみに今の私服は全身ジャージ姿である。着替えるのに手間取らず楽チンだ。


■■■


先輩と近くのデパートに寄り、一緒にハンカチを選んだ。結局、無難な花柄のものを購入し、プレゼント用に包装してもらった。


「あんなバケモノに、プレゼントとか笑える……」


そうぼやきつつ、例のごとく地下鉄のホームに到着する。

終電到着まであと三分ほど。私の背後に人影が現れた。


「女子高生……?」


視線だけ後ろにやると、そこには少し小柄な女子高生が立っていた。頭にヘッドホンを付けて、真剣に赤本を読んでいる。


「そこの貴方」

「……」

「あの、すみません」

「……」

「私の声、聞こえてますか?」

「……あたし?」

「はい、そうです」


どう見ても未成年のため一応声を掛けることにした。

何度か呼びかけたところで、ようやくヘッドホンを外す。


「塾帰りですか?」

「うん。そう」

「この時期に、こんな夜遅くまで勉強していたんですか?」

「うん。なんか悪い?」

「いえ、別に悪くはないですが……」


この子は恐らく受験生だろう。口調や仕草が、どことなくピリピリしていて怖い。これ以上話したら舌打ちされそうだ。


「お姉さんは仕事帰り?」

「まぁ、そんな感じです」

「そんな感じってなに?」

「ゴメンなさい。仕事帰りです」


ハッキリ物を言えと鋭い目付きで睨まれた。女子高生のわりに威厳があり、厳しい上司を彷彿させる。かなり年下のはずなのに……。


「志望先はどこなんですか?」

「取り敢えず国立。私立は行きたくない」

「やっぱり学費ですか?」

「いや、別に理由なんてない。ただ国立に行きたいだけ」


脇に抱えた赤本の表紙を見ると、私がよく知っている大学名だった。


「ここ、私の母校です」

「へぇー」

「自分で言うのもアレですけど、かなりレベル高いですよ」

「そうね。偏差値もっと上げないとヤバいわ」


疲れ切ったような溜息を吐いて、視線を下げた。彼女の目の下には隈ができていて、苦労が伺える。

私たちの前で車両が止まり、一緒に車内へ乗り込む。

ここで別れるのも不自然なため、女子高生の隣に座らせてもらった。


「お姉さん、今日は大丈夫なの?」

「どういうことですか?」

「二日酔い」

「ああー、まだ結構ひどいです。さすがに昨日は飲み過ぎちゃいました……。ていうか、何故そのことを?」

「昨日も終電に乗ってたから」

「そ、そうなんですか……」


私とは違う車両に乗っていたらしいが、女性の大声が薄っすら聞こえていたという。降りるときに外から私の顔を確認したようだ。


「昨晩はお騒がせしてすみませんでした……。以後気を付けます」

「あたしに謝られても困る」

「そうですね」

「あと、その敬語やめて。喋りにくい」

「……うん」


たとえ相手が目上であろうと関係ない。淡々と言いたいことを言う姿は尊敬する。

女子高生の言いなりなんてカッコ悪いな。


「「——」」


彼女は再び赤本に視線を落とし、会話が途切れた。

お互い黙ったせいで駆動音がちょっと耳障りだ。


「——もう一人のお姉さんは全然来ないけど、どうしたの?」

「さあね」

「あの人とは知り合い?」

「一応、まあ……」

「ふーん」


恐らく、あの吸血鬼のことだろう。赤本から視線を外し、周囲を見渡すように顔をを動かす。


「お姉さん、あの人とは前からの知り合い?」

「いいや。最近知り合ったばかり」

「あの人、うす気味悪くて気持ち悪いよね。まるで人間じゃないみたい」


私は最後の言葉に引っ掛かり、思わず隣を向く。

女子高生は依然として無表情のまま。どこか虚空を見詰めていた。


「あの女、以前に見掛けたことがおありで?」

「ううん。昨日が初めて」

「週に何回この終電に乗ってるの?」

「週に何回も乗ってない。昨日が全部初めて」


虚空を見詰めたまま、ぶっきらぼうにそう答える。

その様子に何となく違和感を覚えたが、わざわざ指摘しない。自分の勘違いだと思い込んだ。


「終電の車内っていいよね。この不穏な感じがグッとくる」

「そ、そうかな……」

「ジョーカーのワンシーンみたいで興奮する」

「私にはよく分かんない」


この子はちょっと不思議ちゃんなのかもしれない。

女子高生は薄ら笑みを浮かべ、赤本をバッグに仕舞う。


「お姉さんはどこで降りるの?」

「一先ず終点までかな」

「変な人ですね。貴方の最寄り駅じゃないのに」


どこかで聞いたようなフレーズ。私を“変な人”だと鼻で笑い、ドアの傍に立つ。

終点の一個手前の駅で降りるようだ。


「花柄のハンカチ、無事渡せるといいね」

「へ?」

「さよなら」


女子高生はこちらを見ずに軽く二回手を振る。そして足早に車内から立ち去った。


“なんでハンカチのこと知ってんの……?”


買ったハンカチはポケットにあり、彼女の視界に入っていないはず。

いつ盗み見られた?

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