四日目(晩)
「センパ~イ。なんでぇ~、私ってぇ~、警察官やってるんすかぁ~」
「知らないよ。あと飲み過ぎ」
今晩は職場の五年上の先輩、星宮真由美(ほしみやまゆみ)さんと女子会を開いていた。日を跨ぐまで先輩行きつけの居酒屋をはしごする予定だ。
しかし二件目でアルコールが全身に回り、理性が完全にぶっ飛んでいた。
「最近おかしな仕事任されてぇ~、マジのマジでシンドイっす。終電の吸血鬼とか知らないっすよぉ~」
「はいはい、取り敢えず水飲め」
「センパイ、ちゃんと私の話聞いてます?」
「さっきから同じ話を五回繰り返してる。もう途中から聞いてない」
「ええ~、ヒドイな~」
私は泥酔すると感情に蓋をしていた“鉄仮面”を外し、誰彼構わずウザ絡みする。
センパイは頭痛を抑えるように眉間に手を当てていた。
「前回飲んだ時より酔い方酷くなってない? 大丈夫? ストレス溜まってない?」
「溜まりに溜まってます‼上司クソウザイ‼恋人できない‼」
「悩みがショボいな」
「ショボいとはなんですと⁉」
私は前の机に上体を乗り出し、先輩の顔を睨み付ける。
危うく机の上に置かれたジョッキが倒れそうになり、中に残っていた液体が零れそうになる。先輩がズバ抜けた反射神経で惨事を防いだ。
「上司がクソウザイのは仕方ないとして、恋人ができないのは自分のせいだろ」
「またそれ言う~。先輩はいいですよねー、素敵なガールフレンドがいて」
先輩は同姓相手の彼女さんがいる。自分から積極的にアプローチして先月、告白したらしい。
メンタルがイケメンだ。卑屈な私にはできない。
「てか音海ちゃんも中高時代、恋人いたんでしょ?」
「誰でしたっけ?」
「同級生の女の子。クラスのマドンナ」
「ああ~。そうでした、そうでした~」
毎回忘れそうになる元カノの存在。実は私も昔、一回だけ付き合った経験がある。相手はなんと女の子。人懐っこく常に可愛い笑みを浮かべていた彼女はクラスどころか全学年のアイドルだった。
顔は……あまり覚えてない。いや、全然覚えてない。
名前も……誰だっけ?
「でもアレはイレギュラーっすよ。あっちから突然告ってきたんですぅ」
「それまでの面識は?」
「まったくナシ。告白のときが初会話でした」
そしてその告白から六年後くらい。彼女は私の前から姿を消した。
理由は今でも不明。あの日以来あの子とは会ってない。
“自然消滅”というヤツだろう。
「恋バナはなんだか悲しくなります。やめましょう‼」
「はいはい。恋バナもそうだけど、お酒もやめな」
先輩にジョッキを回収され、代わりにお水が入ったコップを差し出された。私は唇を噛み締め、水面を睨み付ける。
「センパイ、キラ~イ‼」
■■■
腕時計の針が十二時を回る手前。少し早めに女子会を切り上げた。
私と先輩は居酒屋を出て、タクシーが来るのを待つ。
「一人で帰れる?」
「帰れます、帰ります。帰ってみせます。帰ってみせましょう。さあご覧あれ‼」
「ほんとに大丈夫かしら……」
大きく両手を上げ、暗闇に向かって叫ぶ。
傍から見たら、ただの不審者。通行人に通報されそうな荒れっぷりだ。
「センパイこそ大丈夫なんですか~? 一人でおうちまで帰れますぅ~?」
「彼女が車で送ってくれるって今ラインが……」
「ああー、はいはい。彼女さんですか、それは良かったですねー」
センパイの口から“彼女”というワードが出てきた瞬間、テンションがだだ下がり。完全に萎えた。酔いが覚めそう。
「じゃあお先に失礼します。また明日」
「二日酔いで欠勤すんなよー」
止まってくれたタクシーに乗り込み、先輩に元気よく手を振る。先輩の表情が幼い女の子を見送るアレだ。
「お客さん、どこで降ります?」
「ええっと……、一先ず○○駅までオナシャース」
ん? なんで○○駅なんだ……?
自分の家ではなく……?
少し違和感を覚えたが、頭がボーッとしてどうでも良くなった。
■■■
気付けばいつもの地下鉄にいた。もちろん仕事じゃない。だいたい今日は来るつもりなんてなかった。なのに、どうして来てしまったんだ……。
終電が到着するや否や、当然のように車内に乗り込む。
「あは。あはははははははっ……」
すっかり飲兵衛の仲間入り。
不気味な笑い声を上げつつ、ゆっくり腰を下ろす。ちなみに座った場所は椅子ではなく、冷えた床だ。
「くっさ。ゲロの匂いがする……」
吐く一歩手前。食べたものが胃と喉を行き来して苦しい。ぼんやり周囲を見渡し、吐いても大丈夫そうな場所を探す。
「やぁやあ、ほのかちゃん。昨日ぶりだね」
床に座り込んでいたら、背後から名前を呼ばれる。後ろを振り返ると、例の吸血鬼が突っ立っていた。
「わおっ、今日は目が正気じゃない。さては、けっこう飲んだな~?」
「なんだってぇ~?」
「この反応、かなり重症だ……」
あろうことか吸血鬼に引かれてしまった。一歩、二歩後ろに下がり、私の醜態を遠巻きに観察する。
「わたしぃ~、べつに酔っぱらってないっすよぉ~」
「話し方がフニャフニャ。否定しても説得力がないよ」
「おい、そこの吸血鬼うるさいぞ。静かにしなさい‼」
「なんか急に𠮟られたし……」
吸血鬼は呆れた感じで、深く溜息を吐く。
こちらに近付き、優しく背中を擦ってきた。
「お酒は程々にしな。とくにキミは」
「だいじょーぶ。わたしはお酒に強いんですから‼」
「コラコラ、下手に暴れないで。ケガしちゃうでしょ」
たぶん、この空間にいる誰よりもヤバい自信がある。車内で大声を出すなんて地獄だし、マナー違反だ。
吸血鬼を前に赤ん坊みたく床でジタバタ手足を動かす。
「アンタさ、なんでぇ、わたしの血吸わないんですかぁ?」
「それは……う~んと……」
「正直言って、わたしメチャクチャ酔っぱらってます」
「あははっ……。知ってる」
「だから吸ってください‼」
「えっ。まさかのそっちからお願いされた⁉」
何を考えているんだ、私は……⁉
ストッパーが外れて訳の分からないことを口走る。
「べつに酔ってる人の血が好きなわけじゃないよ?」
「なに遠慮してるんですかぁ~? 躊躇わず吸っちゃってください」
「今日のキミは変だ」
「それ、昨日も一昨日も言ってませんでしたかぁ~?」
「今日の変はまた別の意味。正直、絡みづらくてシンドイ」
そう言って、もう一度深い溜息を漏らす。やれやれといった感じで後頭部をかき、鋭い目付きで私の目を捉えた。
「ほんとにいいの? 吸っちゃって?」
「いいの、いいの~」
「後からごちゃごちゃ言われても知らないよ?」
「言いませんってぇ~。わたしを信じてください」
一気に二人の距離が縮まった。
吸血鬼は私の下顎に手を当て、唇を近づける。彼女の吐息が顔に触れ、なんだかくすぐったい。
「な、なにしようとしてるんですか⁉」
「なにって、血を吸おうとしたんだけど?」
「いやいや今、明らかにキスしようとして……」
「気のせいだよ。ほんと酔いすぎ」
酔いが少し覚めた。そして吐き気が襲ってきた。
緊張と衝撃で奥から胃液がこみ上げてくる。
「ほのかちゃん。肩ブルブルさせてどした?」
「す、すみません……」
「ん?」
「吐きます……」
「わお」
もう耐え切れない。顔を下に向けるが僅かに反応が遅かった。
シワ一つない彼女の柄シャツに嗚咽し、ぶちまける。
「大丈夫⁉ 取り敢えず、この水飲みな?」
「あ、ありがとうございます」
「あとハンカチとかティッシュいる?」
「出来ればお願いします……」
吸血鬼は手持ちのバッグからハンカチとティッシュを取り出し、私に渡してくれた。
貰うや否や自分の口元を拭き、急いで床を掃除する。
「すみません、すみません、すみません……」
酔いは完全に覚め、罪悪感やら羞恥やら怒りやらが一斉に押し寄せてきた。
手元が小刻みに震え、持っていたハンカチが生き物のように動く。
「ウチも手伝う。ティッシュ貸して」
「は、はい……」
恥ずかしい……。とにかく恥ずかしい。今すぐこの場で死にたい。
きっと私の顔は真っ赤に燃え上がっている。信じられないほど熱い。
吸血鬼が手伝ってくれたおかげで、素早く処理できた。
たまたま持っていたビニール袋にティッシュを放り込む。
「ハンカチどうします?」
「ティッシュと一緒に捨てといて」
「洗って返さなくてもいいんですか?」
「いや、もう使えないっしょ」
「すみません。もう汚いですよね」
せっかく可愛い花柄のハンカチがゲロ塗れ。何度も謝りつつ、ビニール袋に詰める。
「あ、あの、服は弁償します」
「弁償って大袈裟な。ちょっと汚れたくらいで」
「見た感じ高そうな服なので……」
「ううん。全然高くない。百均で買ったもん」
「ウソつけ」
気にしないでとケラケラと笑っているが、どうしても気になってしまう。高そうな白黒の革ジャンに汚い斑点模様が……。
「そんなに気になるなら、クリーニング代は出して貰おうかな」
「諭吉何枚分ですか?」
「諭吉までは要らないと思う。英世で充分」
一先ず財布を逆さにし、有り金を彼女の手に握らせる。
「きゃはははっ、手冷たっ。てか顔色ヤバっ。さっきまでの威勢はどうしたん?」
「もう酔いが覚めました。暫くお酒は飲みません!」
「禁酒ガンバ~」
なんやかんやであっという間に終点のアナウンス。遠くの方で寝ていたサラリーマンが動き出す。
「昨日はウチが吐いて、今日はほのかちゃんが吐いた……。ウチら“ゲロ姉妹”だね」
「いつのまに貴方と姉妹になったんですか、気持ちわるい」
「また冷たいこと言う~。お互いゲロを見せ合った仲なんだし、もっと仲良くしようよ~」
「ゲロを見せ合った仲ってなんですか。そんなゲロゲロ言わないでください」
コイツと会ってから全て上手くいかない。自分ってこんなに鈍臭い人間だったけ?
努力して築き上げてきたキャラが今にも崩壊しそう。
吸血鬼はあざとくウィンクをかまし、改札口の方へ立ち去る。
私はゲッソリした顔で呆然と床のシミを数えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます