三日目(晩)

「はぁ……、また来てしまった」


これで三日連続。お馴染みの地下鉄へ足を運ぶ。

ホームの定位置の場所で、例のごとく終電を待つ。

今回は私の意志ではない。あくまで上司の指示でここに来た。


『そう云えば音海ちゃん、例の吸血鬼の件はどうなった?』

『ああ……、そうですね』


これは日中の一幕。パトカーで持ち場を巡回しているとき。

助手席に座る先輩が思い出したかのように、尋ねてきた。


『もしかして見たの?』

『ええっと……、その……』


ここで素直に「見つけた」と言えば良かったものの、もごもごと口籠った。

見つけたのは見つけたが、二日連続で取り逃している。

この失態はキャリアに傷がつく。

それにアイツの色香にやられてか、らしくない“情”が働いてしまった。

立派な警察官なのに公私混同を犯すとは論外だ。

故に、どうしても本当のことは言えない。


『すみません。まだ見つかっていません』


慣れないウソを吐き、頭を下げる。

先輩は「別に謝んなくていいよ」と鼻で笑った。


『一応、今日もパトロール行ってくれる?』

『はい』

『もし見つからなかったら、今晩でおしまい。何日も摩訶不思議に構ってる暇はないからな』


というわけで、こうやってヤツと会うのは最後だ。

どうせ最後だし、訊きたいこと色々訊いておこうか。

到着した終電に乗車し、辺りを見渡しながら車内を闊歩する。


「やぁやぁ、また来てくれたのかい?」


いた。

またも最後尾の車両に居座っている。

周りに転がるサラリーマンの数々。彼らは全員コイツに血を吸われた被害者だろう。

彼女の衣服にはいつにも増して血糊が多く、派手に愉しんだのが伺える。


「服、大丈夫なんですか?」

「あらら。サラリーマンじゃなくて、ウチの服のこと心配してくれるんだー」

「せっかく高そうな服が見るに堪えませんので」

「ああ~、たしかに」


全身余すことなく付着した返り血が下品で汚らわしい。

汗やら血やら脂でベタベタになった前髪を乱暴にかき上げ、私の方に手を差し出す。


「なんですか、この手は?」

「タオルかハンカチ持ってない? うっかり忘れちゃった……」

「一応持ってますが、今の貴方にはお貸ししたくありません」

「なんでさ?」

「自分の姿を鏡で見たらどうです?」

「残念ながら吸血鬼は鏡に映らない」


私とサラリーマン達は車内の窓にバッチリ映っているが、肝心の吸血鬼の姿はどこにも映っていない。


「吸血鬼は鏡に映らないと有名ですが、本当だったんですね」

「そのせいで化粧するのが大変なんだよ」

「ご愁傷様です」


ポタポタと小気味よく滴る血の音。彼女の足元には赤黒い血溜まりができていて、惨い事件現場のようだ。

二日前の私ならショックのあまり呆気なく失神していただろう。慣れというのうは怖い。


「随分と血を吸われたようですが、まさか殺してませんよね?」

「ノープロブレム。そもそも言うほど血は吸えてない」

「じゃあ、この惨状はなんです?」

「う~ん……、全部ウチのゲロだって言ったら驚く?」

「は?」


「なに言ってんだコイツ」とキョトンと首を傾げ、正面の吸血鬼を睨む。

彼女は口元を抑えて、小さく嗚咽した。


「どうも酔っ払いの淀んだ血と体質が合わなくて。気持ち悪くなると、こうやって全部吐き出しちゃう癖が……ゲボッ」


最後まで言い切る前に黒く濁り切った液体を漏らしてしまう。

音が生々しくて笑えない。


「大丈夫ですか⁉」

「うん。暫く吐いたら治るから安心して……ゴボッ‼」


二日酔いした人間より淀みなく吐き続ける彼女。

本人は大丈夫だというが、さっきから異常なほど吐瀉物音が聞こえてくる。


「デコ出してください」

「えっ……。どうしたの、急に?」

「いいから出してください。熱計るので」


これは返り血のせいじゃない。なんとなく顔が赤く、火照っているように見えた。

一応確認のため額を突き合わせ、熱を計らせてもらう。


「てか、あっつ‼」

「きゃはははっ‼」


予想以上に額が熱く、戸惑いを隠し切れない。自分の額が火傷していないか手鏡で確認する。

それを見て吸血鬼は声を上げて馬鹿笑いしていた。


「この熱は風邪どころじゃない……。もしかしてインフル……? それとも例の流行り病……?」

「ちがう、ちがう。風邪なんか引いてないよー。吸血鬼の平均体温は人間と比べて少し高いんだ。それに今は激しい運動をしたあとだし」


なんかよく分からないが、一先ず健康状態は問題なさそうだ。

馬鹿笑いしたおかげか、吸血鬼の顔色がほんの少し良くなってきた。


「キミはやっぱり変なヤツだ」

「どこが変なんですか?」

「ハンカチは貸さないくせに、直接肌に触れてきた」

「うっ……」


そう云えば、言ってることとやってることが矛盾していた。コイツがあまりに人間のような雰囲気と見た目をしていて吸血鬼だという事実を一瞬忘れかける。一介の警察官としてこういう危機感がないのは致命的だ。もう一度気を引き締めないと。

「ゴホン」と軽く咳払いをし、仕事モードに気持ちを切り替える。


「昨晩、これ落とされましたよね?」

「ん?」


ポケットの中から三日月のペンダントを取り出し、手渡す。


「うわっ……、全然気がつかなかった。拾ってくれてありがとう」

「それ、自分で買ったんですか?」

「いいや、妹からの」

「妹さんがいるんですね」


吸血鬼は嬉しそうにペンダントを掲げ、車内の電気に照らした。

照らされたペンダントはほんのり赤らみ、星屑のような粒が光り輝く。


「このペンダントはいつも持ち歩いているんですか?」

「たまたまよ」

「それにしては少し汚れているように見えますが……」

「目聡いね」

「よく言われます」


表面には何度も握り締めた指紋があり、なんとなく光り方が物足りない。こうやって頻繫にペンダントを眺めているのだろうか。


「お気に入りなんですか?」

「そりゃあそうよ。妹から貰ったヤツだし」

「意外とシスコンなんですね」

「そりゃあ、シスコンにもなるでしょ。七歳も下でめちゃくそ可愛いんだから」

「ちなみに妹さんは今、どちらへ?」

「——実家にいるわ」

「今の間はなんですか。不自然です。ウソ吐きましたか?」

「もぉ~、取り調べかよぉ」


吸血鬼の表情が曇り、伏し目がちに口を動かした。

目の挙動がおかしく、眉間の辺りがピクピクッとほんの数秒間痙攣する。


「私の前でウソは止めた方がいいですよ。洞察力と観察力が取り柄なので」

「はぁ~」


吸血鬼は深い溜息を漏らして、肩を落とす。本当のことを話す気になったようだ。


「正直、どこにいるのか分かんない。目下、捜索中だ」

「家出ですか?」

「ああ。五年も家出中だ」

「妹さんが家出した経緯は?」

「突然ウチの前から姿を消した。経緯とか分かんない」

「キッカケとかなんとなく予想付きます?」

「母親が亡くなった辺りから様子がおかしくなったかも」


いつ役立つか分からないが、念のためにメモを取る。だけど今のところ探す気はない。


「どこにいるか、だいたい目星は付いてるんですか?」

「ううん、まったく。これっぽっちも……。毎日当てもなく探してる」

「警察に捜索願は?」

「出せるわけないじゃん。妹も吸血鬼なんだし、警察が絡んできたら色々ややこしいわ」


なんだかメモを取る気が失せてきた。

あくまで私の仕事は目の前にいる吸血鬼を捕獲することだ。彼女の家庭事情など知ったこっちゃない。


「妹さんの件、心中お察しします」

「おーい、妹はまだ死んだわけじゃないぞ」


途中で聞くのが嫌になり、雑に話を切り上げる。

当然、吸血鬼は不服げに眉をひそめた。


「キミから掘り下げたくせにその態度はなくない?」

「すみません。話が長くなりそうだったので……。ハッキリ言って面倒くさいなと」

「マジでハッキリ言うじゃん」


こんなところで道草を食っている場合じゃない。

もう終点到着まで間近。はやく本来の任務を遂行しなければ。


「手出してください」

「お?」

「血塗れで見るに堪えません。手持ちのハンカチで拭いてあげましょう」

「おおっ。やっぱ優しい‼ 好き‼」


吸血鬼は迷わずこちらに右手を差し出してきた。私は差し出された手を掴み、懐からハンカチを取り出す……。


“——ガチャ”


と、見せかけて手錠をかけてやった。

吸血鬼は目を白黒させて私の顔を凝視する。

やってやったり。


「油断し過ぎです。私が警官であることをお忘れなく」


抵抗する暇もなく、両手を拘束された彼女。頬を膨らませ、両腕をブンブン上下に振る。


「相手のプライベートにつけこみ、油断させるなんてやり方が汚い。性格悪い」

「なんとでも言ってください。アンタはもうどこにも逃げられない」


これで手柄は全て私のものだ。署での評価もうなぎのぼりに上がり、年内に昇進も夢じゃない。一切の温情を捨て、目先の希望を掴みにいった。

タイミングよく終点を知らせるアナウンスが入り、勝ちを確信する。


「ツメが甘いな」

「えっ……」


一瞬目を離した隙だった。手錠がパキッと割れ、いとも簡単に拘束が解かれる。


「この吸血鬼様がこんなヤワな手錠に収まる器だと? ウチの力を舐めてもらっては困る」


ここで無情にもドアが開いてしまった。

吸血鬼は堂々とした足取りでドアの前に立つ。


「また会おう。“音海ほのか”さん」

「は? なんで私の名前を⁉」


私が困惑していると、吸血鬼は何か床に放り投げた。


「可愛い名前だね」


そう捨て台詞を吐き、「バーイ」と軽く手を振る。

床に投げられた物は胸ポケットに入れてあったはずの警察手帳だった。


「いつの間に……⁉」

「手癖が悪いのがウチの取り柄だから♡」


これは大失態。由々しき事態。

気が緩んでいたのは私の方だった。

もう彼女を追い掛ける気力はない。無様に膝から崩れ落ち、頭を抱える。

残念ながら今日も黒歴史を更新してしまった。

去り際に見せたアイツの勝ち誇った笑みが頭から離れず侮辱された気分だ。

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