二日目(晩)
翌日の丑三つ時。終電の快速が到着する数秒前——。
性懲りもなく、また駅に来てしまった。
今日は非番。プライベートで人気のないホームに立つ。
行きたくないのに、内に秘めた好奇心を抑えきれなかった。
まったく命知らずも甚だしい。昨晩の一件がしっかり脳裏に焼き付いているのに、同じ場所に訪れるなんて愚かすぎる。
快速は定刻通り到着し、発車メロディーが鳴り響く。
車内は相変わらず、酔っ払いの巣窟と化していた。
“アイツいないな……”
もちろん終電に乗車した目的はあの得体の知れない“バケモノ”を捜すため。
車内間を移動して恐る恐る辺りを捜索するが、今の所どこにもいない。
やはりアレは疲弊した脳が見せた“幻”だったのか。
どう考えても吸血鬼なんているはずがない。出来れば幻であって欲しい。
一先ず、空いている席に腰を下ろした。
「隣いい?」
「え?」
暫く呆然と虚空を見詰めていると、誰かに声を掛けられた。
わざわざ私の隣に座らなくても、空席は他にたくさんある。
少し不審に思い、隣の方に視線をやった。
「こんばんは、昨日ぶりだね。お嬢ちゃん」
「んっ⁉ アンタは昨日の⁉」
幻なんてない。隣に座ってきたヤツはあの吸血鬼だった。
昨晩と同じ服装で、血の匂いを漂わせる。
「まさか、こんな早くに再会できるとは。もう運命だね」
「こんな運命は最悪です」
「まあまあ、そう言わずに。素直に喜ぼうよ~」
吸血鬼は私の肩に手を回し、必要以上に豊満な胸を押し当ててくる。
昨日知り合ったばかりの距離感ではなく、やたらと馴れ馴れしい。
私は戸惑いを隠し切れず彼女を突き放し、ひと席分空けて座り直す。
「えぇ~、なんで逃げんのさ?」
「人外と馴れ合う趣味はないので」
「なんか冷たくない?」
「冷たくないです。普通の反応です」
彼女は頬を膨らませ、こちらにジト目を向ける。
落ち着いた見た目をしているわりには、妙に子どもっぽく腹が立つ。
「今日は何しに来たの?」
「パトロールです」
「でも私服じゃん」
「自主パトロールです」
「熱心だね~」
「街の安心・安全を守ることが私の使命ですので」
「うわ~、なにその模範解答みたいな発言。よっ、警察官の鏡‼」
吸血鬼は小さく拍手して褒め称える。なんとなく煽られているようでまた腹が立つ。
「さっそくですが、質問いいですか?」
「はいはい、なんでしょう?」
「アンタはどうしてこんな時間に、こんな場所で人の血を吸っているんです?」
「そんなの一々聞かなくても分かるでしょ?」
「は?」
吸血鬼は近くに転がっていたサラリーマンの腕を掴み、手首を噛む素振りを見せる。
「終電は人が少ない。なおかつ、車内の乗客はほとんど正気じゃない。ウチがここで変なことを起こしても、やれ幻覚だ~、やれ夢だ~、やれ都市伝説だ~、とありもしないオカルトに片付けてくれる」
「そんな都合よくいきますか?」
「実際に都合よくいってるじゃないか。ウチはもう巷で有名な都市伝説だぞぉ」
「たしかにそうですが……」
都市伝説になったものの、こうやって警官である私に見つかっている。リスク管理が甘々だ。
「取り敢えず、こういった活動は今後控えてください」
「吸血衝動を抑えろと?」
「はい」
「私に死ねと?」
「はい」
「そんな無茶な」
もうこれ以上厄介事に付き合うのはゴメンだ。こちらで対処できないのなら、勝手に自爆して欲しい。
「キミは少し変な子だ」
「アンタには言われたくない」
「どう? ウチとお友達にならない?」
「お断りします」
「即答は傷つくな~」
「お断りします」
「二度も言うなし」
こんな奴と友達ごっこするつもりは一切ない。
手を差し出し握手を求めてきたが、スルーだ。
「そういや、お互い自己紹介がまだだったね」
「名前なんて教えませんよ」
「なんでさ?」
「どんな個人情報でも不審者には教えたくないんです」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに早く教えなさいな~」
「ちょっと、アンタどこ触って⁉」
ひと席分の距離を一気に詰め、私の体に手を伸ばす。しかも躊躇なく股の奥に手を這わせてきた。
「な、なにしてるんですか……⁉」
「アレを探してる」
「アレとは?」
「もちろん警察手帳。名前を確認したいの」
布越しに触っていけない箇所を躊躇なく触れてくる。そのヤラシイ手付きは物を探す仕草じゃない。
そもそも、そんな場所に警察手帳を忍ばせるわけがない。
「警察手帳は今ありません」
「どうして?」
「プライベートでは持ち歩かないんです」
「あらあら、それは残念」
何が残念なんだ。この痴漢野郎……‼
吸血鬼は手を引っ込め、静かに嘆息する。
私は顔を紅潮させ、乙女みたく足を内股にした。
「人に名乗らせる前に自分から名乗るのが礼儀です」
「それはドラマの見過ぎじゃない?」
「うっさい、ヘンタイ」
イラッとして口調が荒々しくなる。
コイツと喋っているとストレスが溜まっていく。
「美澄風音(ミスミカザネ)」
「ずいぶん綺麗なお名前なんですね。貴方には似合わない」
「——ウソ」
「殺しますよ」
一々揶揄わないと気が済まないのか。ニヤニヤとふざけた笑みを浮かべ、フランクに私の肩を叩いてきた。
「ゴメンね。立場上、真名は明かせない」
「吸血鬼だから、ですか」
「ううん。単純にまだ警察官に知られたくない。ここで捕まるわけにはいかないから」
あっという間に時間は過ぎ、終点を知らせる車内アナウンス。
吸血鬼は徐に立ち上がり、ドアの傍に立つ。
「今晩はここで終了。キミのお名前を訊くのは次の日にお預けだね」
「また逃げる気?」
「逃げてるつもりはないよ。ただ最寄り駅で降りてるだけだし」
「お住まいはこの辺なんですか?」
「それはナイショ♡」
電車は止まり、右のドアが開く。
吸血鬼は昨日と同じく改札口の手前で忽然と姿を消す。しかし——、
「ん? なにこれ……?」
姿を消す直前。彼女のポケットから“三日月のペンダント”がポトンと落ちる。
ヤツの落し物として私は恐る恐る拾った。
「次会ったとき返しとくか」
ペンダントはポケットに仕舞い、改札口を抜ける。
ここから帰宅するには一時間ほどタクシーに乗らないといけない。
ああ、財布の中身が湯水のごとく消えていく。
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