風の季節の嫁ぐ日に
@ramia294
秋風に託す
去っていく季節。
夏の後姿が小さくなると、街の色が鮮やかになりました。
湿った重苦しい空気は、空の青さに溶けて行き、代わりに気持ちの良い風が吹き始めます。
暦では、すでに秋でしたが、季節が、追いついたのは、今朝になったようです。
あなたが、空に駆け上がってから二度目の秋。
たったひとりで私を育て、都会へと出て行く私を笑顔で見送り、喜んでくれたあなた。
私を育てるためだけに、その人生を使ってくれたのに。
もっと、一緒にいてほしかったはずなのに。
都会の小さな部屋の窓の下。
ささやかな土の上、
乾いた風に揺れる雑草。
秋の風は、イタズラな風。
そして、優しい忘却の風。
窓のカーテンを翻して、ひととき。
私の部屋を訪ねてくれました。
レースのカーテンに押され、
棚の上の写真立てが、
パタンと倒れました。
部屋を出る最後に、一緒に持っていこうとしていた写真立て。
明日から、
写真立てを元に戻すと、写真の中のあなたの笑顔に、話しかけました。
大丈夫よ。
あの時、あなたに紹介出来た大学の先輩。
彼は、あなたの知るあの頃と同じ。
今も、誰より優しい。
私は、学生時代からお世話になったこの部屋の畳を拭き終える。
これで、この部屋とも本当にお別れです。
思えば古風な部屋に、長い間お世話になっていました。
この部屋で勉強をして、
この部屋で愛を育み、
この部屋で学生時代を終え、
この部屋から社会人へ、
病院から、あなたの状態が良くないと連絡を受けたのもこの部屋でした。
驚いた私は、すぐにあなたの元へ。
病院のベッドに、すっかり痩せたあなたの姿。
私がまだ幼い頃に、父が逝ってしまい、
私には、あなたしかいなかった。
この世で、誰よりも大好きなお母さん。
「逝かないで」
泣く私。
力なく私の頬に触れる、あなたの最後の温もり。
意地悪な神様が、この世界でのお母さんに与えてくれた最後の時間。
それが、あなたとのお別れの時間になりました。
全ては、あなたが教えてくれたのに。
春の夕暮れが、初恋の様にせつない事も、
夏の夜明けが、宝石の様に輝く事も、
冬の午後が、穏やかな眠りに誘う事も、
秋の風が、悲しい涙も奪って行く事も。
それは、幼い私の頬に流れる涙を拭ってくれたあなたの優しい手の温もりに似て。
そして、生命尽きる時に、私の頬に触れたあなたの温もりにも似ている。
全ては、あなたが教えてくれたのに。
閉じられたまぶた。
蘇る事のない微笑み。
理解の追いつかないまま、過ぎていったお葬式。
あの時から、私の時間が積み上げていったものは、孤独と後悔。
この世界に一人取り残された孤独。
あなたをひとりにしてしまった後悔。
奪われたものは、笑顔。
そして、色を失くした世界。
あの時、秋風が私の涙をそっと奪って行きました。
彼が私をそっと抱きしめてくれました。
乾いた風が、少しずつ悲しみの樹を枯らし、
寄り添ってくれた彼と二人、過ぎて行く時間。
私の世界の笑顔と色彩は、彼が取り戻してくれました。
私の世界の孤独と後悔は、彼が共に背負ってくれました。
彼への信頼が、より深い存在に変わっていく事を感じた、あの時間。
あなたの眠る小さなお墓の前で、彼に渡された指輪。
あなたの前で、誓ってくれた私の幸せ。
私たちには、派手な結婚式もないけれど。
あなたが教えてくれたように、ささやかな生活の中で、小さな幸せを拾い集め、
きっとあなたに自慢出来る家庭を築くつもりです。
だから心配しないで。
何があっても、空の上から、笑って見守っていてください。
彼の元へ嫁ぐ前日の空は、どこまでも青く澄み渡る。
私の部屋へ入って来たイタズラな風は、天へと駆け昇る。
きっと青い空は、ますます青く、明日も良い天気になりそうです。
空の上の母へ
明日、嫁ぐ娘より。
風の季節の嫁ぐ日に @ramia294
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