143 楽器

 近付くにつれ聴こえる音楽は明瞭になっていく。

 少し物悲しい、けれどとても美しい曲と音色だった。それは千年世界を見たと自負するケンですら、聞いた事が無い。高く澄みきったかと思えば深く豊かな音を零し、まるで人が歌っていると錯覚するような不思議な音色だった。


「――――おや、ケン殿。見つかってしもうたの」

「邪魔をしてしまったか?」

「いや、構わんよ」

 

 オルニットに跨ったケンが近付いて来るのを見ると、タツが演奏を止めて緩く笑った。そのままケンはタツが座る尖塔の屋根へと降り立ち、許されたので愛馬を還すと隣へ座る。


「てっきり女達と遊んでいるかと思ったが、こんな場所で風流をしているとはなあ」

「夜は酒池肉林じゃとも! だがまだ日暮れじゃからの~!」

「聞いた事の無い、素晴らしい音色だった。何という楽器だ?」

「これに名は無い。強いていえば、儂の“恋しいひと”じゃよ」

「ほう?」


 時刻は夕暮れ。水平線には溶けた鉄の一滴のような夕陽が触れてゆき、辺りは眩しいほどの黄金色に染め抜かれている。

 タツが手にする楽器は、馬頭琴や二胡に似た形状の弦楽器だ。だが木製には見えず、夕陽を受けて此方も黄金色に染まっていた。


「儂、海の夕陽が好きでなぁ。故この時間は、よくこうしてこれと過ごしておる」

「成る程、では俺は大事な逢瀬を邪魔してしまったのだな」

「うはは! たまにならよかろうて」


 大笑したタツが弓を置き、楽器の胴腹を愛し気に撫ぜる。


「――この楽器はなぁ、死んだ女で出来ておるのじゃよ」

「東方では楽器に猫の皮を使うと聞いた事があるが、死んだ女とは珍しい」


 ああ、だから聞いた事が無かったのかと得心する。そんな楽器はケンの世界で作られた事は無い。あまりに優しく愛し気に撫ぜるものだから興味が湧いた。


「恋愛沙汰で失墜したと言っていたな。“彼女”が原因か?」

「そうじゃよ――……何じゃ、詳しく聞きたそうな顔をしておるな?」

「うむ! 聞きたい!」

「うはは、仕方ないのう! だが他の者には内緒じゃぞ……!」

「何だ、秘密の話か?」


 内緒と言われて聞いてしまって良いものかと一瞬は思うが、かといって遠慮する気もあまり無い。首を傾げると、何とも面映ゆそうにタツが頬を掻いた。


「秘密というか、真面目な話は恥ずかしいんじゃよ~! 儂はふざけた怠惰なエロジジイで居たいんじゃあ……!」

「成る程な!? だが俺に見つかってしまっては運の尽きだぞ!?」

「ふん、まったくケン殿は運がよろしい! この時間帯の儂は少ぅしだけ真面目じゃからな。見付けた褒美に聞かせてしんぜるとしよう!」

「わはは! では礼にその真面目は見なかった事にしてやろう!」


 よく分からない密約を交わし、それから耳を傾けた。タツが再び弓を取り、ゆるり“彼女”を奏でながら話し始める。


 

 ――恋愛沙汰で失墜した物語の、はじまりはじまり。



 ◆◇◆◇◆◇◆



 はじまりは儂が随分と若かった頃じゃ。まだその頃は人型にもなれぬ、力が強いだけの、若く荒ぶるいきりまくりの龍じゃった。

 

 昔話によくあるじゃろ、気に障る事があれば大雨で洪水を起こしたり、もしくは雨を止めて日照りにして人々を苦しめたりと。それはもう好き放題しておった。

 弱り果てた村々は、儂を奉り生贄を捧げる事で鎮めようとした。

 まあ悪い気はせんかったから、暫くはそれで大人しくしてやっとったんじゃ。供え物は豪勢じゃったし、生贄は若い娘ばかりだったしな。全員嫁御にして、身の回りの世話などさせとった。


 ただ儂も増長してどんどん要求をきつくしていったから、村の方は苦しかったんじゃろうなぁ。天気は融通してやっとったが、村から若い娘は居なくなるわ、供え物を用意するのもしんどいわ。それで村々は旅の修行僧に儂の成敗を頼んだんじゃよ。


 儂の所に来た修行僧はまだ若い尼僧じゃった。それはもう、美しくてなあ。もう儂若い頃から女人が好きじゃったから、一目惚れしてしまって。嫁になれと言ったんじゃよ。だがぴしゃりと断られた。ならば喰ってしまおうと襲い掛かったんじゃが、中々の神通力で簡単に喰う事も出来んかった。


 三日三晩戦っても決着は着かなんだ。儂はもうその頃にはすっかり惚れこんでしまって、尼僧を殺すのが惜しくなってしまった。それで『其方が嫁になるならもう悪さはしないし生贄の娘たちも返す』と持ち掛けたんじゃ。


 尼僧は少し考えてこう言った。『私は神に仕える修行の身。修行と役目をすっかり終えねばあなたの嫁になる事は出来ないが、終えた時にはきっとなろう。それまで待てるというならば。生贄達は今すぐ返し、今後も悪さをしないというならば』と。

 儂は少し位待つのが何だと思って、細かく確かめずに約束してしまった。約束通り生贄の娘は村に返し、無茶な要求もしなくなった。


 じゃが尼僧が嫁になる事は無かった。あれの修行と役目が重過ぎて、嫁になる前に人間の寿命が来てしまった。あれの修行は『何度も転生し魂を磨く』事で、役目は『この世全ての人々を救う』じゃったのよ。終わる筈が無かろう?

 死の間際、泣いて拗ねる儂に尼僧は言ったのよ。


『生まれ変わればあなたはまた私を見つけるだろう。長く待つのが嫌ならば、役目を手伝ってはどうか』と。儂単純じゃから、成る程! と思ってしまって。

 彼女が形見にくれた骨の欠片を握り締めて、次の彼女を探したんじゃ。見付けては直接手伝い、見付からない時も役目が早く終わるよう人々を救済したりした。


 人間が多かったが、虫や動物、植物に至るまで彼女は色んなものに転生した。記憶は無くとも魂が覚えているのか、何に生まれ変わっても必ず救世に動くのよ。そして寿命や他の原因で死ぬ度に、儂に欠片を残していった。

 千年などあっという間だった。二千年経っても修行も役目も終わらなんだ。気付けば儂は、彼女の為に施した善行のせいで祀り上げられ龍から龍神へ。四海を統べる龍の王になっとった。


 何度目の転生じゃろうか。また彼女が尼僧に生まれ変わった時じゃったな。 儂はもう待つのが辛くて、彼女に寿命の無い天人か仙女にならぬかと持ち掛けたんじゃよ。『それでは修行にならない』とまたぴしゃりと断られたがの。

 

 …………だがなぁ、落ち込む儂を見かねたのだろう、彼女はこれまでの“形見”を使って慰めに楽器を作ってくれた。それが今奏でているこれじゃよ。まるで女人が歌っているようじゃろ?

 それで、また千年――――と、日が沈んだな。今日はこれでしまいじゃよ。



 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「えっ」

「しまいじゃ。日も沈んだからのう~!」

「続きが! 気になる!」

「うはは! 途中まででも楽器の謎は解けたじゃろ~!」

「楽器の謎は解けたが! 尼僧との行く末と失墜までの経緯は!?」

「それはまた今度じゃ! また運よく真面目な儂を見付けるんじゃな!」


 結末を聞かされぬまま終えられて、大層不満顔でケンが唸るがデリケートな話のような気もして無理強いは出来なかった。唸る間にタツが楽器を仕舞ってひょいと立ち上がってしまう。


「だがひとつだけ! ひとつだけ質問したい!」

「何じゃあ~!?」

「今の話! 一見健気に待っているよう聞こえるが、待つ間も他の女人とはあれこれ致しておったのか!? ここ最近然り! 今宵もどうせ夜の接待を受けるだろう!? それは別腹なのか!?」

「あ~!」


 問われてタツが、綺麗な顔に悪びれぬ童のような笑みを乗せた。


「だって楽器や虫とは致せぬもの! 儂は元来女人好きじゃからの! 心は全て彼女に奪われておるが、肉体は何千年も禁欲出来る筈が無かろうて~!」

「正直だなあ!?」

「それについて責められた事は無いんじゃよ~!」

「寛大だなあ!? ……成る程、よく分かった」

「うむ、では儂はそろそろ夜の酒池肉林へ――――……」


 タツが戻ろうとしたので、ケンも帰ろうと立ち上がる。


「そうそうタツさん」

「何じゃあ?」

「近日男子会をするので宜しく!」

「!?」

「強制参加だからな!」


 タツが女人が居ないのは嫌だどうの言い始める前に、ケンもオルニットを呼び出し飛び立った。先手必勝である。オブラード無しで嫌だと言いそびれたタツがその場に残され『ええ……』という顔を隠さない。


「面倒じゃのう……! だがまあ、たまには良いかぁ……」


 結局眉を垂らして笑い、尖塔から身軽に飛び降りて行った。

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