122 船出

 数日して小人新居の土台作りも終わり、いよいよケンが海に出る事を宣言した。


「では皆の者! 行って来るぞ!」


 リョウは寿司修行の為、ベルもクルーズならまだしも漁業に興味は無い為居残り組だ。マグロ釣りにはケンとガンとカイが行く事になった。


 夜明けのまだ暗い頃。ケンの船もとい海上都市“ジェムドゥメール”の港から、見送られて一隻の船が大海へと旅立って行く。元々漁業用に誂えた船で、必要な装備は全て揃っている。操船や漁の用意も船のゴースト人間がクルーとして乗っているから問題無かった。


「へえ……魔法世界にもソナーってあるんだな」

「うむ、魔力を海に投影して海中の様子を探るのだそうだ」


 ケンとガンは操舵室を見学している。ガンが知るソナーとは全然違うが、大きな水晶球のようなものに魔法で海中の様子がモニターされていた。舵やら動力機関も一見ファンタジー風のレトロなものに見えはしても、科学の代わりに魔法を使っているだけで遜色無いものだった。


「魚群が見えたら釣るのか?」

「ああ。だがその前に、マグロを釣る為の餌を釣らなくてはな!」

「ほうほう」


 ケンの案内で後部デッキの方へ出て、既に準備を始めているクルー達と合流する。長く巻かれた糸の先に餌と針が付いており、船を走らせながらそれを海へと投げ込んでいく。そうするとマグロの餌になる魚が食いついて来るという事だった。


「所でカイさんの具合はどうだ?」

「あー……ありゃ駄目だな……後でまた様子見てくる」

「そうか……船は向き不向きがあるからな……」

「魔王でも船酔いッてするんだなァ……」


 先程から姿の見えないカイは乗船早々ひどい船酔いに陥り、今はグロッキー状態で寝込んでいた。


「ガンさんは平気か?」

「おれは普段から戦闘機乗ッてるし、三半規管強えんだ。平気だよ」

「それは何より!」


 ひとまずカイは置いておき、餌釣りの方を教えて貰う事にした。針に餌を付ける所から、糸の扱い方等々。歴戦の海の男感を漂わせるクルーが、ぶっきらぼうながらも的確に教えてくれる。きっと今頃リョウも、歴戦感を出した寿司職人にしごかれているに違いない。


 言われた通りに餌付きの針を海に投げ込んでいると、先に投げた方の糸が反応した。するとクルーが巻きあげ機のレバーを回し、ヒットした糸を巻き上げ――ほどなく水面に白い物が見え、すぐに魚の形となって船上まで引き上げられる。びちびちと跳ねる魚をクルーが慣れた手付きで押さえ、針を外して生け簀へと放り込んでいく。流れるような一連の動作だ。


「結構でけえじゃん。あれそのまま食べるんじゃ駄目なのか?」

「あれはマグロの餌にすると言っただろう」

「あれが餌って……マグロ滅茶苦茶でかくねえ?」

「うむ、大きいぞ! 小型から中型の魚を餌にする大型魚なのだマグロは! ガンさんより大きいマグロもザラに居る!」

「へえ……! そりゃすげえ……!」


 名前しか知らないマグロ像が段々形を結んでくる。この間海上都市の地下で見たジンベイザメやホオジロザメみたいなものを想像した。あんな大きな魚を釣るとなれば、それはケンだってはしゃぐし楽しいだろう。


「なんかおれも楽しみになってきた……!」

「わはは! その調子だぞガンさん!」

「おっ、引いてる!」

「おお! 巻け巻け!」


 わいわいと暫し餌釣りを楽しみ――ある程度釣った後は、マグロを探して海域を移動するとの事だった。その間にカイを見舞う事にする。


「カイ大丈夫か……!」

「大丈夫かカイさん……!」

「嗚呼、二人とも……もう吐くものは無くなりましたよ……!」

「悲壮……!」


 普段から青白い顔を更に真っ白にしたカイが、風通しの良い船の中央辺りでぐったりしている。船酔いの時は新鮮な空気を吸った方が良いし、中央部が一番揺れが少ないという理由でクルーによって転がされていた。


「このままいけるか? どうしても無理なら先に戻っても構わんが……」

「頑張りたい気持ちは、気持ちはあるんですがね……!」

「カイはな……三半規管鍛える生活してねえからな……」

「鍛える事が……出来るのですか……!?」

「ああ、出来るよ……!」


 船酔いから気を反らせる為に会話も有効という事で、カイを励まそうと左右から手を取って話している。何となく危篤状態の励ましみたいな絵面になってしまっているが、実際はただの船酔いである。


「いいか。乗り物酔いってのはな、ただの平衡機能と神経の異常なんだ。日常であんま体験しない動きや刺激とかが不規則に連続しちまうと、情報過多で脳がパニックを起こして自律神経に異常信号を送っちまうんだよ。おまえはそのせいで今気持ち悪くなったりゲロッたりしてるだけなんだ……」

「成る程……私は脳の信号に踊らされて……」

「軍でもやっぱり乗り物酔いする奴は沢山居たよ。だが訓練してちゃんと戦車でも戦闘機でも乗れるようになった……だからおまえも出来る筈だ……!」

「そんな……訓練が……!」

 

 船酔いを克服出来る。希望の光が見えたような気がして、カイが感動し強く手を握り返す。


「それにさっきクルー達にも聞いたんだが、船乗りだッて最初は船酔いする奴は沢山居たらしい。訓練方法も軍と殆ど一緒だったぜ……!」

「嗚呼、それは……それは……どうすればいいのですか……!」

「吐こうが苦しもうが乗り続ける事だ……! その内身体の方が慣れる……!」

「ッッ!? 地獄の訓練じゃないですかぁ……!?」

「心頭を滅却すればみたいな話になってきたな?」


 今まさに死にそうに苦しんでいるのに、語られる訓練内容はあまりに酷だった。

 

「や、これは気持ちの問題じゃなくてほんとに鍛えてんだよ。乗り物酔いはな、小さい乗り物ほど揺れがでかくて酔いやすいと言われてる。だからほんとは大きい奴から徐々に慣らしてくのが良いんだが、この船そもそも小さくねえし……だからな、何度も乗って慣れろ……! この揺れを身体に刻み込むんだ……!」

「い、いえ……! ですが……ですがぁ……!」

「あと寝る時とか一杯寝返りしろ……! 平衡感覚と三半規管の機能強化になる……! 頭振ったり前転後転とかでもいい……! がんばれ……!」


「普段どちらかといえばカイさんには優しい筈のガンさんが、軍隊式となると急に過酷になってうけてしまうな」

「カイが頑張りたい気持ちはあるッていうから真剣にアドバイスしてんだが!?」

「いえ、いえ……! ガンナーのお気持ちは……! とても……!」


 有難いのだが、訓練内容が嫌過ぎて『やります!』と即答できないのが辛かった。互いに手を強く握り合い、見つめ合い――嗚呼、ガンナーの眼差しは真剣で私の克服したいという気持ちに全力で応えてくれているのが分かるけれどこの気持ち悪さをずっと味わうのは嫌だなあと正直な気持ちが消えない。

 その機微を察したか、反対側で強くケンもカイの手を握った。

 

「カイさん!」

「何ですかケン! 手が砕けそうですが!?」

「こうなっては勇気を出すしかあるまい! ベル嬢がクルージングに行くと言い出したらどうする!? 一人だけ陸に残るのか?」

「……!」

「ベル嬢の水着姿を自分以外の男達だけが見るのだぞ!? 耐えられるのか!?」

「それはああああああああああああああああああああああ…………ッッ!」


 カイが苦悶の叫びをあげた。


「やべえ、段々面白くなってきたこのカイ」

「分かる。不謹慎だが面白いなこのカイさんは」

「……ッッ、……ます……!」

「なんて?」

「訓練、します……ッ! 私は、船酔いを、克服、します……ッッ!」


 カイの悲痛な覚悟と宣言。ケンとガンがにっこり笑った。


「よし! 頑張ろうな!」

「俺達も応援するからな!」


 こうしてカイの船酔い克服訓練は幕を開けた。

 船は海域を移動し、マグロが釣れそうなポイントへと到着する。次は二人ではなく三人で“本番”だ。

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