101 怨嗟の翼

 第二形態のカイが広げた翼は何十メートルもあり、不気味なものだった。鳥や蝙蝠の翼というより、次元を裂いて向こう側が覗くような鋭利な形をしている。そして覗く“向こう側”にはおどろしい数え切れない死霊の顔が浮かんでいた。

 死霊というより怨霊だった。全てが耳を塞ぎたくなるような呻きや絶叫をあげ、苦痛と悲嘆と恨みと憎悪に染め上げられていた。


 イモルヴァスは一瞬怯んだものの、すぐに気持ちを切り替えた。穂先に神の力を注いで剣呑に渦巻かせてゆく。第二形態だろうが巨大化しようが、所詮魔王とは闇側の生物なのだ。生まれ持った属性は覆せない。神の力は相変わらず“特効”だ。

 巨大なドリルのように螺旋状に渦巻いた力を解き放つと同時、自らもカイ目掛け飛び込んでいく。受け止めるように魔力の黒煙に包まれたカイの巨腕が伸びる。


「――――……ッッ!?」


 赤黒い電気が弾けるような衝撃と音と共に、神の力が握り潰された。カイの巨腕によって。目を瞠った瞬間、怨霊の翼から放たれる怨嗟の衝撃――強烈な魔力放出で飛び込んで二撃目をくれようとしていたイモルヴァス自身が吹き飛ばされる。


「ッッが、……何故だ……ッッ!?」


 おかしい。絶対におかしい事が起きていた。


「……神の力は魔族にとって確かに特効です。ですが逆に、神にとっても魔や闇属性は特効です。単純にぶつかれば、弱い方が負けますね」


 にぎ、とカイが巨腕の掌を開閉する。少し焦げた程度で、あっさりとしたものだった。


「それにあなたが所持する神の力は五分の一ですよね。私は前の世界の怨嗟の99%以上を力にしていますから、今は私の方が強いです。解りますよね、あなたも第二の世界で色々と吸い上げていたのだから」


 淡々としたカイの説明を聞いてぞっとした。魔族にも種類があるが、自分や恐らくカイは――負の感情や無惨に死んだ命を糧とし転用するタイプだ。その為自分は第二の世界で覇王や勇者一行が惨殺した死体から色々と吸い上げて糧にしていた。だが今何と言った。99%と言ったか。


「貴様も世界を滅ぼして来たというのか!? なのに何故神側に居る!?」

「行いを悔やみ、自ら滅びを願ったその時に。慈悲と機会を与えられたからです」


 禍々しく魔力の黒煙を纏い続ける異形の魔王が、翼に収まった数え切れない怨嗟へ視線を遣った。


「良い世界ではありませんでした。世界も、私も。私は魔王として世界を征服しきり、その後に一握いちあくの無垢な命を残して全てを滅ぼしたのです。その時に生まれた負の感情全てが此処に在ります」

「貴様は……貴様は、我と同じ事をしているではないか……!」

「そうですね。ですが……」


 その時少しカイが黙った。カピバラの神からの念話を受けているのだが、イモルヴァスには分からない。ややあり。


「…………解りました。それは私の役割でしょう。負の感情は全て私が引き受けます。残りは、リョウへ」

「何を言っている……!?」

「すみません、此方の話です」


 改めて、カイが両手を広げた。


「私が集めたのは、“負の感情”だけです。恨みや悲しみ、憎悪や怒り。そうした、次の転生の枷となる未練だけを集めました。今頃死した彼らは、枷がありませんから次の転生を始めている筈です」

「だからどうした……ッ!」

 

 両手に魔力の黒煙が渦巻き、怨嗟が凝縮されてゆく。咄嗟に構えたイモルヴァスが、特大の神の力を練って撃ち放つ。


「私は666代目の魔王。代ごとに違う特性が与えられますが、私に与えられた特性は、負の感情の“親和と転用、そして相乗”です」

 

 巨腕から放たれる怨嗟の凝縮が、迫る神の力を打ち砕いた。続けて反対の巨腕が放つ怨嗟の放出が、イモルヴァスを再び吹き飛ばす。


「がッ、は……! ……! 何故、半減では……ッ!」


 先程までの半減威力とは段違いだ。第二形態で力が増しているにしても馬鹿げた威力だ。これは“半減”ではない。


「“相乗”ですよ。私が負の感情を扱う時、威力は何十倍に相乗されますから。半減されても特効レベルに感じられるかと思います。簡単に言えば、私は怒れば怒る程、憎めば憎む程強くなるのですよ」

「そんな馬鹿な事が……ッ」

「私の気性と相性が悪く、扱い辛い特性ですがこういう時には役に立ちます。あなたは? そうした特性はおありでない?」


 イモルヴァスが態勢を立て直す間に、カイが更に翼を広げた。二枚の羽根が四枚、六枚と増えてゆく。何十メートルが100メートルを超え、長大に広がってゆく。


「あるならば、早めに出した方が宜しい。今から神が救済を始めるそうです」


 言うや、戦場のかしこから何かを翼が“吸い込み”始めた。小さな羽虫の群れのような、黒い靄が次々に吸い込まれている。


「………………ッッ、」


 イモルヴァスが歯噛みする。己に与えられた特性は“エナジードレイン”だ。これは敵の魔力や力を吸い取り己の物に出来る特性だったが、闇耐性が強い敵には通じ辛い上、自身と同等かそれ以下の相手にしか使えないものだった。元来魔族の王たる魔王が同族ではなく敵を糧にし世界を征服する為の特性だった。

 五分の一まで裂かれた神には通用した。神は闇耐性が高い訳では無い。だが、カイは闇耐性が高い上――試す価値はゼロではないが、試して通じなかった時に完全に“格上”であるという証明になってしまう。


「――――今、あなた達が最初の世界で滅ぼした魂達の負の感情を吸い取っています。集めています。人の事は言えませんが、本当に酷い事をしてきたのですね」

「煩い、煩いッ! 煩いッッ――!」

「こんなに憎んで恨んでしまっては、仮に転生先があったとしても動けなかったでしょう。哀れな事です」


 今や吸い込む黒い靄は、巨大な竜巻のようにうねり肥大しカイの翼へと吸い込まれていっていた。それに伴いカイ自身もどんどん巨大になっていく。当然だ。勇者一行と共に、それだけの数を殺したのだから。世界を丸ごと滅ぼしたのだから。

 

「なあ、同じ魔王ではないか! 貴様にそれだけの力があるのなら――」

「聞きませんよ。私はとても怒っているのです。私の大切な仲間を侮辱し、酷く傷つけるような展望を語ったあなたに。何度殺めても飽き足らない程怒っています」

「………………」


 最早何を言っても覆らぬと理解し、イモルヴァスが構えた。奪った神の力、それに元からある魔王としての力全てを振り絞る。目の前の魔王の力を奪えば、それこそ遠大な計画など放り投げて一足飛びだ。奪いさえすればいい。イモルヴァスにはもう、それしか残されていなかった。


 第一の世界で生まれた負の感情を全てを吸い上げたカイが、イモルヴァスへと向き直る。最早見上げる以上、山のように異形の魔王は聳えていた。

 目の前には神の力と魔王の力、二色を振り絞るイモルヴァスの姿。応えるように、カイも両腕を掲げて一息に叩き付けた。


 拮抗は僅か。見る間に圧され、何億の怨嗟にイモルヴァスが神の力ごと叩き潰されてゆく。悲鳴すらあがらなかった。吸収など叶わなかった。潰され、飲み込まれ、そして――――イモルヴァスの負の感情が逆に吸収される。


「………………おや、」


 物珍しそうに、異形の魔王の赤い双眸が瞬く。

 

「負の感情が殆どではないですか。これは転生出来ないかもしれませんね」


 呟き手を退けると、後には光り輝く神の一部とイモルヴァスの潰れた赤黒い地面の染みしか無かった。その染みは、見る間に粒子と砕かれて世界の再生エネルギーに変換されてゆく。息を吐き、それからカイは元の姿に戻った。


「これで、転生の枷となる負の感情は取り除かれた筈です。後はリョウ、頼みましたよ」


 呟いてから神の一部を持ち帰ろうと手を伸ばして――――力の相性が悪い為、一度引っ込めてハンカチで包むように持った。


「ケンやガンナー、ベルはどうなったでしょうか。特にガンナーは一対二ですからね。早く向かわなくては……後、ベルは大丈夫でしょうけど……」


 足早に戻ろうとして――――ベルの事だから、いち早く戦いを終わらせているかもしれないと思う。


「いや、だったらガンナーを助けに行くでしょうし……見られていないと良いな……」


 第二形態は大きい上に完全に異形な強面なので、醜い! とベルに嫌われるのが嫌だった。心配しながらそれでも、カピバラの神に声を掛けて戻ろうとする。

 ――――まだカイは知らない。一部始終を見られていた上に、くねくねしていたベルが戻った瞬間に抱きついてくる事を。

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